Vol.217-1 近年のわが国における自治制度再編構想等に関する政治地理学的考察


外川先生写真
山梨学院大学 法学部政治行政学科 教授 外川 伸一

1.はじめに

 90年代後半以降、わが国においては、様々な自治制度再編構想が唱えられ、「最終形」ではないにしても、その一部は実現を見ている。本稿では、分権改革、市町村合併(平成の大合併)、道州制構想、定住自立圏構想、連携中枢都市圏構想等の自治制度再編構想を題材として、一見すると相互に密接な関係があるとは見えないこれらの構想・提案が、実は政府・自民党、さらには経済界にとって「一貫性」を持った「青写真」の基に提唱されていることを、政治地理学における国家のリスケーリング論(以下、原則として「リスケーリング論」)の観点から考察していきたい。

 2.リスケーリング論とは何か

 リスケーリング論は、『空間の生産』の著者であるアンリ・ルフェーブルをそのルーツとして、ニール・スミス、エリック・スウィンゲドウ、ニール・ブレナーなどによって90年代から盛んに提唱されるようになった政治地理学における理論である。この理論は、簡潔に言うと、地域・自治体・国などのスケールは、決して予め固定されたものではなく、社会的・経済的・政治的危機下における空間的動態の不安定性に伴い絶えず変容・転換し、時に新たなスケールが構築されるなど、その都度、再定義・再構築されるという考え方である。つまり、スケールは、社会的・経済的・政治的諸活動や諸関係の「生産物」ないし「社会的構築物」だと見なしているのである。
 また、そうしたスケールの再定義の過程では、熾烈な競争と同時に戦略的な協働も展開され、今まで社会的・経済的・政治的に権力を有していたスケールが衰退し、権力の移動が起こることも頻繁にあり得る。時には、全く新たなスケールが誕生し、このスケールが新たに権力を獲得することさえある。つまり、スケールの「生産」の過程では、様々な「スケールの政治」が展開されるのであり、こうした過程の観察が重要とされる。
 リスケーリング論が隆盛を極めるようになったのは、戦後30年の繁栄を支えた資本主義的蓄積形態としてのフォーディズムが7080年代に危機に晒され、ケインズ主義的福祉国家手法に限界が見え始めてからである。フォーディズムとは、アグリエッタによると、テイラーイズムを基盤として画一大量生産を行う「生産過程」と、賃金上昇・雇用保証によって労働力を維持・再生産する「消費様式」の両面が「調整」されて資本蓄積が行われるシステムのことである。この危機に伴い、これまでのケインズ型手法によって経済を安定化させることは難しくなり、経済成長の果実を基本とする所得再分配機能が作動しなくなり、生存権保障のためには別の調整様式、システムが求められるようになる。
 同時に、この頃、経済はグローバル化しつつあった訳であるが、国家というスケールは、蓄積形態の転換に伴い、その領域を超えてグローバリゼーションに対応しつつ、新たな蓄積形態を模索しなければならなくなるのである。リスケーリング論は、こうした状況を反映して構築されていったのである。

3.近年におけるわが国の自治制度再編構想の概観

 さて、90年代以降、わが国では様々な自治制度再編構想が提唱され、一部は実行されることになる。それには、当然、リスケーリング論を登場させた背景が作用している。ここでは、それを象徴的にグローバリゼーション、あるいはグローバル経済で代表させることにするが、その前に近年のわが国に登場している代表的な自治制度再編構想を概観しておきたい。
 第一は、90年代初頭から声高に叫ばれるようになった地方分権改革である。地方分権推進委員会(以下、「分権委」)を中心とする第一次分権改革では、国からの権限移譲を重視する権限移譲戦略よりも、機関委任事務制度の廃止や必置規制の廃止・縮小等に代表される国の関与の廃止・縮小戦略に軸足を据えたことはここで改めて言うまでもなかろう。だが、本稿との関連で言えば、その実現性はさておき、グローバルな経済競争に勝利するために、雑多な内政事務は自治体に移譲し国は外政に軸足を移す必要があった。一瀉千里にはそれは無理であるが、少なくとも「青写真」はそうしたものであった。このように考えると、分権改革の内実は自治制度再編改革であることが理解できる。
 第二は、当初、分権委が棚上げしていた「受け皿論」としての市町村合併の推進である。これは、977月の「第二次勧告」から明文化されるようになり、その後、平成の大合併に結実していくが、この最終形は200012月の「行政改革大綱」の目標市町村数1000(与党行財政改革推進協議会の目標の追認)ではなく、300400(人口3040万人)であることをひとまず頭に入れておきたい。
 第三は、自民党道州制推進本部(以下、「推進本部」)を中心に議論されてきた、府県を廃止した上で広域自治体としてこれらより大規模なブロック型道州を913程度設置するという道州制である。推進本部の道州制推進基本法案(骨子案)(当初は、「推進」の文字はなかった)は自民党内部での検討やステイクホルダーとの調整によって何回か変更されるが、いずれにしても、ここで言う道州制は、広域自治体である道州と「基礎自治体」によって構成される。道州と「市町村」ではないことに注意されたい。
 第四は、09年から本格的にスタートした定住自立圏構想と14年からスタートした連携中枢都市圏構想(当初は、地方中核拠点都市圏構想)である。前者は、人口5万人程度の中心市と周辺市町村が11の協定を締結して圏域を構成し、圏域内の生活機能・ネットワーク、そしてマネジメント能力の強化を図り、圏域全体の活性化を図ろうとするものである。後者は、人口20万人以上の中心都市が近隣市町村と11の連携協約を締結して圏域を構成し、圏域全体の経済成長のけん引と高次都市機能の集積・強化を図ろうとするものである。これらについては、国が合併から広域連携へと軸足を移したという見方もあるが、そうした見方では今までの諸構想を「一貫」して説明することは不可能である。
 以下では、政治地理学におけるリスケーリング論の視座からすると、これらの構想は実に首尾一貫しており、国ないし政府・自民党の考える自治制度の再編構想の展望が極めて明瞭に理解できることを示したい。

4.自治制度再編構想のリスケーリング論的解釈

 わが国がグローバルな経済競争において勝利するためには、この「くにのかたち」を見据え、どのような自治制度の再編(それは必然的に国家のリスケーリングに結びつく)が求められるであろうか。それは、国がグローバリゼーションに的確に対応できるよう、一方で地方分権及び規制緩和を推進することによって、内政に関する細々とした諸権限を広域自治体に大幅に移譲し、国の役割を外国との通商などに「純化」して国が外政に専念できるようにすること(こうした道州を横道清孝教授は「強い道州」と呼ぶ。)であり、他方で、自治のスケールもグルーバル経済に適応できるように、国内の広域ブロックごとに複数の成長拠点を構築し、それらを中心として経済発展が見込めるようにリスケーリングを行うことだと考えられている。
 このため、あくまでもその基礎固めではあるが、まずは、90年代後半から分権改革と規制緩和が様々な抵抗に遭遇しながらも、徐々に進められてきた。分権委の関与縮小・廃止戦略は露払い的機能を果たしたに過ぎなかったが、その後を見れば、(その成功・不成功はともかく)徐々に権限移譲戦略的要素を拡大していったことが分かる。
 これと並行して、先にも述べたように推進本部を中心に、新たな広域自治体としてブロック単位に道州を設置する道州制へのリスケーリングも模索され続けてきた。第28次地制調の「道州制答申」(2006年)が述べるように「道州制は、・・国と地方の双方の政府を再構築しようとするもの」なのである(もっとも、第28次地制調は「強い道州」を意図していた訳ではない)。また、この道州制では、州都やそれに準ずる都市圏が経済成長の拠点となるとともに、道州間の競争を促進することによってわが国全体の経済的浮揚を図ろうとしているのである。
 さて、この道州制を効果的・効率的に作動させるためには、大規模な道州と「整合的」な大規模な市町村の存在が要請されることが分かるであろう。単一の巨大な道州内に200前後もの小規模市町村が存在していては、道州政府と市町村政府の連絡調整一つをとってみても、効果性を発揮することなど不可能であろう。このため、分権委が封印した「受け皿」論を表舞台に登場させることにし、99年の地方分権一括法による地方自治法の改正によって自治体の「総合性」条項を盛り込み、特に市町村を総合行政主体(実質的には市町村自己完結主義ないし市町村フルセット主義)と喧伝し、第27次地制調答申(2003年)では、今まで公式の文書では用いられなかった「基礎自治体」という用語を登場させ、市町村に対し規模・能力の充実強化を求めた。これと02年の「西尾私案」提出、04年の「地財ショック」(地方交付税の大幅削減)が重なり、市町村は堰を切ったように合併へと向かうことになる。これが、スケールの再編としての平成の大合併である。平成の大合併は、小規模な市町村を「半強制的」に合併させ、府県の事務を承継させるための(基礎自治体を構築するための)第一歩としてのリスケール化だったのである。経済界の要請に応じグローバル経済競争に勝利するための唯一の「解」をブロック型道州制に定めた以上、これは当然のことであった。
 しかし、平成の大合併で府県の事務を承継することのできる基礎自治体の誕生は多くはなかった。基礎自治体には少なくとも3040万人の人口が必要だからである(今村都南雄中央大学名誉教授は、鳥取県の人口を勘案し50万人が必要としている)。だが、再度の市町村リスケーリングを危惧して、全国町村会、全国町村議会議長会、さらには自民党内部でも地方を基盤とする議員からの猛烈な反対により、道州制推進基本法案は未だに国会に上程されていない。ただ、自民党の「青写真」は何ら修正されていないことに留意しなければならない。
 そこで、登場してきたのが、09年にスタートした定住自立圏構想である。先にも述べたように、この構想は平成の大合併がひとまず終息したことから、合併から広域連携に舵を切ったものと受け止める向きもあるが、そうではなく圏域の形成を今後の合併に結びつけようとするものである(岡田知弘京都大学教授ほか多数)。しかし、この構想から合併へと進展しても、その人口が10万人程度となる市が大多数を占めることは明白である。この点で、道州制における基礎自治体との整合を図ったのは、第30次地制調答申によって提案された地方中枢拠点都市圏構想(151月に、他省庁の類似構想と名称を統一して連携中枢都市圏構想と構想名を変更)である。人口20万人以上の中心都市が近隣の市町村と連携し、経済成長のけん引等を図ることが謳われ、圏域人口は数十万人以上に及ぶことになる。まさに道州の成長拠点となるにふさわしい規模であるし、300400基礎自治体構想とも整合的である。要するに、両構想、特に後者は、将来の基礎自治体を構築しようとするものであり、道州内の成長拠点としてグローバル競争に打ち克つことを念頭に置いているのである。
 こうして、06年の28次地制調の「道州制答申」の言葉を借用すると、「グローバルな競争力を強化し、国と地方を通じた力強く効率的な政府を実現」するために、国家のリスケーリングのプロセスはさらに進んでいくものと考えられる。

5.おわりに

 本稿では、近年、提唱され、一部については実施に移されている自治制度の再編構想を見てきた。これらの一つひとつを見ると、それぞれが相互に密接な関連性を持っているようには思えないのであるが、政治地理学のリスケーリング論の観点から見ると、それぞれの構想が、まさにジグソー・パズルのピースのように組み合わさって、グローバル経済に対応したこの国の将来の「青写真」を完成させるものであることが理解できる。問題は、こうした「青写真」が地方自治の本旨に適っているか否かである。