ホイリゲのある町


毎日新聞No.23 【平成10年12月10日発行】

~ワイン所ならではの工夫を~

 プラハ交響楽団の首席フルート奏者を務めていた大嶋義実さんは、その後請われて群響に入られた。彼には、私たちが十数年来続けている”森を核とした地域づくりの会”「落ち穂拾いの会」主催のコンサートなどによく出演していただいた。ちょうど4年ほど前になるだろうか。群響がプラハの春の音楽祭に招かれたときのことである。”群響プラハを行く”と、初めての海外遠征の様子が新聞に連載され、わくわくしながら読んだことを今でも思い出す。
 そして、その記事が私を東欧の旅に駆り立てウィーン、ブタペスト、プラハ、ドレスデン、ベルリンをめぐるバスの旅となった。ウィーンの森に入ってしばらくすると小さな村にさしかかった。家々の軒先に杉玉がつるされている。日本の造り酒屋では「杉はやし」という杉玉をつるすが、その小型のモノである。このいわれは17世紀の終りごろトルコ軍がオーストリアに侵攻し、ウィーンのワインセラーのすべてのワインを飲干してしまったときにさかのぼる。その時、ブルゲンランドヘの道沿いの農家だけがワインを守り、買い出しにきたウィーン市民に分け振る舞ったという。ワインを貯蔵していた農家がその目印にこの枯れた杉の束を軒先につるしたのである。

 さて、そんな一軒で飲ませていただいたのがホイリゲである。ホイリゲとは「今年の」「今年できた」と言う意味でヌーボーワインになる前の白酒である。

 今では杉玉をつるし、家庭料理を出してくれる店のこともホイリゲと言うそうである。ホイリゲは、仕込んで間もない時にその場所に行かなければ決して飲むことが出来ない。わが国でもようやく規制が緩和され、ホイリゲが飲めるようになったそうであるが、まだ飲ませてくれる蔵もお店もみたことがない。

 ブームなどといってはいけないかもしれないが、この不況の中でワイン業界は元気である。しかし、文化とは生活そのものであるにちがいない。まだ我々の日常の生活の中にワインが溶け込んでいるとは思えない。

 県内には94ものワイン蔵がある。フランス料理店でなくてもいいではないか。軒先に杉玉が下がるホイリゲに地元の人々や旅人が気軽に集うそんな町をつくりたいものである。

(財団法人山梨総合研究所・専務理事 早川 源)