リスク・コミュニケーション 情報のひとり歩き
毎日新聞No.29 【平成11年2月25日発行】
~影響力の検証が必要~
リスク・コミュニケーションという言葉をご存知だろうか。
この言葉を聞いたとき「また、新しいカタカナ言葉が増えたか。」とあまりいい気持ちがしなかったのは私だけだろうか。
自分でいい気持ちがしないカタカナ言葉を使うのは気が引けるのだが、これに対応する日本語が見当たらない。
リスク・コミュニケーションというのはたとえばダイオキシンのような化学物質が持っている危険性など、ものごとの危険性に関する情報を提供することを言うのだが、これなら、「情報公開」あるいは「情報提供」という言葉で置き換えてもいいように思われる。
では、なぜ「情報公開」「情報提供」という言葉ではなく、わざわざリスク・コミュニケーションという言葉が使われているのだろうか。
たぶん、リスク・コミュニケーションには、単に「情報を公開、あるいは提供する」という内容だけでなく、(1)危険性を「正しく評価し」、(2)専門的なことがらを「分かりやすく」表現し、かつ、(3)情報を受け取る側がどのようにその情報を受け止めているかを考えながら「相手の欲する情報を提供」する、という内容が加わっているからだと思われる。
危険性についての情報は独り歩きしがちで、ただ情報を提供するだけでは不十分であるということなのだろう。
埼玉県所沢産野菜のダイオキシン汚染問題についても、野菜農家に甚大な損害を与えるまでの騒ぎになったが、これも廃棄物処理施設の建設、農協の調査、テレビ報道と何段階かのリスク・コミュニケーション不足が重なったためではないのか。
施設の安全性に関する情報が住民に分かりやすかったか、公開しないこと自体が「何か悪いことを隠しているのではないか」と受け取られかねないことを意識していたのか、自分の提供する情報が市場などにどういう影響を与えるか考えていたか、もう一度検証する必要があるのではないかと考える。
「リスク・コミュニケーション」に置き換えられる日本語が見当たらないのは、今までそういったことがあまり行われてこなかったことの象徴かもしれない。
(財団法人山梨総合研究所研究員・坂村裕輔)