脳死判定 複雑な検査手順
毎日新聞No.31 【平成11年3月11日発行】
~急がれる基準の見直し~
約1年前のこと。歳をアバウトで数えるようになった誕生日の夕食後、妻が黄色い「臓器提供意思表示カード」を差し出した。一緒に書こうというのである。カードの裏をみると、「1.脳死判定なら心臓や肺など、どの臓器を提供する意思があるか」「2.心臓停止なら腎臓や眼球など、どの臓器を提供する意思があるか」「3.臓器は提供しない」の意思を丸で選択するようになっていた。
私は1を選択し、心臓や肺などのすべての臓器の欄に丸をしたうえで、その他の臓器の欄に「何でも」と書いた。このことは妻も子供も知っている。以来、カードは運転免許証とともに入れている。
死に対する恐怖は中学生ごろまであった。死は無であり、魂が残るとか、輪廻転生などは信じなかった。それが、中学と高校で立て続けに友人が他界したことで、生ている自分は幸運だと思うようになり、時間の大切さを意識するようになった。それからは死の恐怖はなくなった。
高知市の女性も「臓器提供意思表示カード」に臓器提供の意思を書き、本人の意思を知る家族も臓器の提供を承諾したが、問題は「脳死判定」にあった。検査したら脳波が平坦でなかったことから脳死とは認められず、「法的」な脳死判定とは異なる脳死の臨床的診断で「脳死に陥っている」と判断したという。
今回の脳死判定で、「人の死」をどのレベルで判定するのかという基準を知らされた。死には生物学的死と精神的死(本人の意向)があると思うが、そこを「法律」でどう線引きするのかである。
現状では、深いこん睡状態、自発呼吸不能、瞳孔の散大と固定、脳幹反射の消失という生物学的5基準が満たされて脳死とされ、6時間後に再検査して同じ状態であった場合、初めて脳死と診断される。臓器が活かされるギリギリの基準かも知れない。
しかし、こんな複雑な検査手順があるとは知らなかった。高知の女性は臓器移植法に基づく日本初の脳死臓器提供者になったが、本人が臓器提供を希望するということは、「有効な」死を望んでいるということなので、第三者が脳死判定でゴタゴタすることはないと思う。これでは提供する側も受ける側も疲れてしまう。面倒だから「提供しない」とも言いかねない。
今後、法的な臓器提供基準は見直しされると思うが、医学的な理屈よりも、本人の精神的死の希望があれば、5基準中1つだけ満たしていれば脳死というような、単純なものでもいいような気がする。人命はそんなにも軽いものではないというご意見もあろうが、私はそう希望する。
(財団法人山梨総合研究所主任研究員・向山 建生)