加算は貧者の思想か
毎日新聞No.34 【平成11年4月1日発行】
~経済成長重視から転換を~
我々は毎日3リットルぐらいの水を飲む。ところがインド人はその3倍もの水を飲むそうである。日本上流文化圏研究所(早川町)の小俣研究員は、インドのミティラ-地方の人たちとの交流のなかから「インド医学の原点は、栄養をつけるのではなく、むしろ大量の水を飲み、老廃物を早く出す、引き算の思想にあるのではないか」と話す。
それに引き換え、飽食をほしいままにし、糖尿病患者が予備軍まで含めると人口の1割にも上り、健康食品を多量に服用して病むことを否定し、さらにその究極はバイアグラまで個人輸入し、命懸けで老いることを否定しつづけようとする加算の思想は、まさに貧しさの象徴と言えないだろうか。
バブル経済が崩壊して久しいが、消費が減退する中で設備や在庫の過剰感はぬぐい去れず、労働力も完全失業者数が298万人、企業内失業者も170万人もいるといわれている。こうした中、アジアの通貨危機と経済の混乱の影響で、韓国などからの観光客が激減している九州では、福岡市天神地区の老舗岩田屋と博多大丸、三越が三つどもえとなり、共倒れはあっても勝ちはないといわれる競争を繰り広げている。
また、県内においても大型店の出店競争は激化するばかりであり、パイの増加が期待されない中で立ち止まれば倒されるという恐怖心からだろうか、売り場面積は拡大するばかりである。
経済学者K・ボールディングは「際限のない経済成長を信じているのは狂人か経済学者ぐらいだ」と皮肉混じりに述べているが、高齢化が進み、間もなく総人口も減少に転ずる。消費は成熟化しつつあり、右肩上がりの経済も終焉を迎えつつある。人間も企業も都市も、ようやく老いること、病むことを否定する貧しさを認識しなければならないところに立たされているのではないだろうか。確かに、加算の思想から引き算の思想への転換には計り知れない勇気とエネルギーが必要だろう。血も流さなければならないだろう。しかし、遅れてはならない。
(山梨総合研究所専務理事・早川 源)