都内のデパートで見た
毎日新聞No.37 【平成11年4月22日発行】
「おもてなし」の心
「スーパーあずさにどうしても乗りたい。」という3歳の息子の願いを聞き入れ、久しぶりに上京した。新宿に着くと、妻の「百貨店はしご」が始まった。息子の面倒は私の役目となるが、人混みで疲れたのか「だっこ」である。眠った子供をだっこするのは、経験者ならわかると思うが、お地蔵様でも抱えているかのようにとても重い。さらに、大勢の人でごったがえすデパートの中を歩き回るとなると地獄である。どこかでひと休みすることになった。
しかし、雨の週末ということもあってか、喫茶店やレストランはどこも満席。順番を待つ列はかなりの長さに達している。空いているお店を探し回ったが見つからず、やっと座れたのは、帰りのあずさに乗ってからだった。
車中での会話。「実は東京は不便なところなんじゃないか。ひと休みさえすることが出来ない。山梨のほうが楽だ。」「楽なのは車があるからでしょ。」「山梨でも、ある程度の物は買えるようになったし、わざわざ東京に行かなくてもいいんじゃないか。」「でも、どこか雰囲気が違うのよね。」
妻はこの日、M百貨店のお茶売場で、次のような光景を目にしたそうである。新宿は百貨店の激戦区であるが、お茶売場に現れた初老のご婦人は、ライバルであるI百貨店やT百貨店の小さな紙袋をたくさん抱えていた。
すると一人の店員が声を掛け、お茶を買ってもいないのに、大きな袋を持ち出して荷物を一つにまとめてあげたそうだ。
店員としてのプロ意識から出た、当たり前の行動だろうが、見ていた妻は「さすがは東京の百貨店」と感じたという。「いたわり」と「おもてなし」が、実にさりげなく表現されたということだろう。
残念ながら山梨では、(百貨店に限らないが)このような話は余り聞かない。中部横断道等の高速道路網の整備で、お付き合いの範囲は飛躍的に広がるだろうが、お客様を迎える準備は果たして整っているのだろうか。
目先の利益にとらわれない「いたわり」と「おもてなし」を、あらゆる場面で求めたい。
(山梨総合研究所研究員・水石和仁)