精神産業の時代へ
毎日新聞No.45 【平成11年7月1日発行】
~「情報化」が盛衰を左右~
先日、民俗学者の梅棹忠夫先生のお話を拝聴した。視力を失い手を引かれておられたがお元気そうであった。先生は36年前の「情報産業論」の中で 、既に今日の情報化社会の到来を予見している。それはダニエルベルの「脱工業化社会」やトフラーの「第三の波」が華々しく取り上げられるはるか前のことである。
さて、近著「情報の文明学」では、文明史的考察から動物発生学と人類の産業史とを対比させて論じている。
発生学とは受精から細胞分裂を繰り返し、生体になるまでの過程を研究する学問である。「細胞分裂が始まると、まず消化器官系を主とする内胚葉諸器官の機能が充足され、次に筋肉や骨格などを中心とする中胚葉諸器官の機能が、そして最後に脳神経系、あるいは感覚器官を中心とする外胚葉諸器官の拡充という3つの段階を経て成体化する。一方、産業の歴史も同じように農業の時代、工業の時代、精神産業の時代という3つの段階を経て展開する」と述べている。
確かに、モノの重要性は変わらないが、相対的にみるとモノから情報の時代に変わり、知的資産の蓄積と活用があらゆる分野において重要になってきている。
さらに「人間の脳は活動したがっていて、目的論的な意味があろうがなかろうが脳は働いてしまう。その働きを支えるものが情報だ」とも述べている。
長引く平成不況の中で「物質としての商品」の市場は低迷を強いられているが、コンサートや演劇などの「感覚情報としての商品」の意外な盛況を見ると、情報過多といわれながら人間の脳は情報に飢えているのかもしれない。
アメリカの輸出額に占める映画の比率が航空機に匹敵する規模であるのを見ても”情報を産業化する”という視点が大切である。
魚沼産のコシヒカリや、モノづくりをすべて外部化した工場を持たないパソコンメーカー、生業的な商店に取って代わったコンビニエンスストア、全米一の書籍店にのし上がったアマゾンなど、情報産業といわれる分野だけでなく、農業においても工業においても流通業においても、情報を産業化できるか否かがその盛衰を左右している。地域の元気さの尺度も情報発信力で測れそうである。
(山梨総合研究所専務理事 早川 源)