「パソコン貧乏」だ
毎日新聞No.65 【平成12年2月16日発行】
~18年間最新型欲しがり病・・・~
今年で51歳になる。かなりの人たちに「その年で・・・」と驚かれるが、毎日8時間ほどコンピュータに向かっている。山梨総合研究所における仕事ではむろんのこと、土日も家でワープロかパソコンを駆使して趣味の世界に没頭している。この姿に家族は何も言わない。もうあきらめているのである。現在、私物として家で使えるパソコンは2台、ワープロは3台。そのうち、F社製のワープロは、そろそろお宝になるだろうという骨とう品のような代物である。こう書くと、私はパソコンオタクのように思えるだろうが、早くから仕事と趣味にパソコンとワープロが必要であったから仕方ない。
私とパソコンとの出会いは古い。最初に購入したのは18年ほど前になる。その6年ほど前、米IBM社がポータブルコンピューターという機種を発表した時、パンフレットを取り寄せて驚いた。「まさか、コンピューターを卓上で使えるなんて・・」と思い、わざわざ東京・晴海まで見学に行った。市場で多機能電卓は安く売られていたが、コンピューターは1台数億円という高価なものだった。
本体には周辺装置が舎弟のようにたくさん集まり、特別室に入って空調やオペレーターに守られていた。そのコンピュータに目的とするプログラムというアルゴリズムを組み込むと、大規模処理(計算)が可能となった。当然、そこには高度な技術を持った情報処理技術者もいた。その後、LSIや超LSIの開発により、コンピューターは急速に小型化への道を歩む。フロッピーディスクなるものも登場し、個人でも手が届くようになった。そこで家族に内緒で大枚をはたいてN社製のパソコンを購入したが、メーカーは6000シリーズ、8000シリーズ、9000シリーズと短期間に次々と機種を変更する。内心、パソコンのパイオニアのつもりだったが、機種の更新は予算面で追いつけず、ついに途中で断念した。その後も各メーカーは次々と機能を拡大し、価格を下げ、新しい機種を発表した。
グローバルネットワークの時代に突入し、ウインドウズ95あたりでOS(オペレーティング・システム)が標準化・安定化し、高度な表計算ソフトも登場したので、また病気がでて購入した。そのパソコンが、また古くなった。とことん頭にくる。
日本電子工業振興協会(国内外のパソコンメーカーで構成する組織)が昨年のパソコンの出荷台数は、対前年比30%増の920万台という過去最高を記録したという。もう買わないぞ・・・と思うが、マルチメディア対応の機種がほしいな・・
(山梨総合研究所主任研究員・向山 建生)