社会の自律機能再生
毎日新聞No.79 【平成12年 7月12日発行】
~父と子のコミュニケーション~
社会が病んでいる。若者の犯罪が多く、それも陰湿で理解しがたい凶行が目立っている。わが国の社会は犯罪の少ない社会だという看板を降ろさなくてはならない。
犯罪ごとにそれなりの原因や理由があるものの、都市化、情報化する現代社会そのものに病巣があるという見方はこれまでずっと語られてきた。戦後、急速に広がった自由や利便性の追求は、国民一人ひとりを原子化させ、まとまりのないものにしてしまった。人々が帰属する家庭、地域社会、学校、企業などの秩序維持、自律などの機能も淡泊で弱いものになっているからであろう。昭和30年代に義務教育を受けた我が身を振り返ってみると、これまでの四十余年の間、家庭や学校の教育機能は失われ続けており、教育者としての父親の自覚を持ち得ていないというのが実感である。
個人の原子化への警鐘は社会病理の研究者が四半世紀以上も前、わが国の先進国病の予兆として研究課題で取り上げていたが、その成果は20世紀末になっても現実の社会に生かされていないようだ。
昨年、甲府市若手職員の自主研修で「地域の誇り」を取り上げているグループと付き合った。豊か過ぎる大量消費の時代に育った彼らは、その生活において、こだわりや誇りを必要としない世代でもある。この世代は我慢もしない代わりに、手元にあるものや環境にこだわりや誇りを持たないのである。経済的尺度でみれば、こだわりのない没個性的な生活スタイルほど分かりやすいものはないのかもしれないが、そんなことでは地域社会や蓄積された地域の生活文化は危ういものとなる。
そこで、彼らは甲府の誇り探しを始めた。街を歩き、ブレーンストーミングをする中で、歴史、文化、祭り、地場産業、夜景、明治の賢人、甲州人の人付き合いなどが甲府の誇りとして集まった。だが、誇りは主観的なものであるだけに、グループの総意にはならなかった。それでも注目したいのは、甲府の誇りは次の世代に伝えなければならないものであって、その役目は父親にあるという問題提起である。それも父と子による新しい生涯学習のメニューとして具体化できないかというものであった
生涯学習のメニューにはまだ論議すべき課題が多いが、この父と子のコミュニケーションが、新たな郷土の誇りを育み、地域社会の自律機能の再生につながり、社会の病理現象を緩和するというシナリオは見過ごしてはなるまい。
(山梨総合研究所調査研究部長 檜槇貢)