「子供を授かる」
毎日新聞No.92 【平成12年12月 6日発行】
~児童虐待防止法機に社会全体で子育てを~
少子化、少子化と言われているが、私の周りではおめでたい話が結構多い。この秋にはご近所で相次いで2人が誕生したし、年末には甥っ子(おそらく)が一人増える予定である。ミレニアムだからかどうかはわからないが、新聞のお誕生欄があふれそうな日も多く、何となくにぎやかで、活気が出てくる。なるほど人口動態統計を見ると、今年1月から6月までの出生数は、昨年の同じ時期を若干上回っている。だが、そもそも昨年の出生数が史上最低のレベルにあるため、少子化傾向に歯止めがかかるわけではない。
だからと言うわけではないが、私たちは子供をもっと大事にしなければならない。だが現実には、数多くの子供たちが大事にされていない。
厚生省のまとめによると、昨年度に、全国の児童相談所が受けた子供虐待の相談件数は1万件を超えていて、なんと1990年度のおよそ10倍になった。うち約5割は、自分では意見が言えない未就学児だというから、話は一層切ない。
ストレスや疲れ。虐待に走ってしまった親たちの気持ちが分からないわけではない。「どうしてこんなに泣くのか」「いい加減にして欲しい」。子育てで、こうした思いをしない日は少ない。親ならだれしも体験している。だがどんな理由があろうと、それは親の都合である。
子供とは親にとって、いったい何なのだろうか。あるラジオ番組が、リスナーからのお便りとして紹介していたのは、「最近子供の虐待が多いのは、子供を授かるのでなく、子供を作った親が多いからです」との意見であった。どこから授かるかはわからないが、授かりものであるからには「俺の子供に何をしようと俺の勝手だ!」などという理屈は通らないし、また、逆に甘やかして、その子の芽を摘むような行為もできるはずはない。
先日施行された児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)には、「親権の一時停止」が盛り込まれている。さらに、福祉や教育関係者等には児童虐待の早期発見に努めることが義務付けられているし、なおかつ、全ての人に、児童虐待を見つけた場合の通告を義務付けている。こうした法律が成立すること自体、社会が病んでいる証拠なのだが、この法律から読み取れるのは、子供は親だけのものではなく、社会全体に授けられた存在であるということである。少々言い古されたフレーズかも知れないが、こうした認識を、親はもちろん、全ての大人が持たなければ、21世紀は大変暗いものになってしまうだろう。
さて、最後に疑問なのは、財政問題や環境問題で、我々のつけを子供たちに残すことはいかがなのだろうか。もちろん、児童虐待防止法で定める虐待にはあたらないが、これらも、言ってみれば私たち親の都合である。
(山梨総合研究所研究員 水石 和仁)