川の流れのように・・・
毎日新聞No.115 【平成13年11月27日発行】
住民と自治体との協働関係
美空ひばりは歌った。「川の流れのように、穏やかにこの身を任せていたい。」また、力士の四股名には、男女の川や清水川など川の字が付くものが多かった。穏やかな川は減り、力士の四股名から川の字が減っていった。日本の川はどこへ行ってしまったのだろうか。
この3月、恩師の一人である新潟大学の大熊孝先生が、長野県下諏訪町で開催された下諏訪ダムに関するシンポジウムにおいでになった。大熊さんは、20年ほど前に「洪水と治水の河川史」という本を書かれた。ここでの論旨を概観すると「日本の河川は非常に表情豊かであるが故に、洪水を完全に治めることは難しい。であれば、洪水を許容し、被害を最小限に食い止めるような地域社会を創ることが重要だ。」というものである。
今日でも名著だが、20年前の学会の状況や世情からすると、当時この思想は異端であったと思う。それが「脱ダム宣言」で状況は大きく変化し、大熊さんは一層多忙を極め、お会いできる機会も少なくなったので、私は、恩師に会いに下諏訪に出かけていった。
シンポジウムに出席した専門家は、ジャーナリストの天野礼子さん、宇都宮大学で緑のダムを研究している藤原信さん、地元の元高校教諭で地学が先攻の松島信幸さんに大熊さんを加えた4人である。4人がそれぞれ専門の立場から、下諏訪ダム建設計画の問題点、代替案とこれに伴う建設費を提示したが、私は、次の2点から、この国の市民と行政との間に新しい関係が着実に築かれつつあることを感じた。
第一に、これまでの住民と行政との関係は、行政からの一方的なプラン提示のスタイルが多く、情報開示という点でも十分とは言い難い側面があったのに対し、ここでは、行政から建設費が開示され、これに対し単純な反対意見ではなく、専門知識をベースに対案が示されたこと、第二に、松島さんのような、地域に住み地域学を究める人が、地道な研究を行い、その結果を大学の研究者を凌ぐほどの綿密さと説得力とで示したことである。
様々な分野でこうした議論がなされることが、この国を再生する最も効果的な方法の1つであることは疑いを容れない。山梨の様々な地域でも、こうした前向きな議論の端緒が出始めており、地域主権型社会の到来を期待させる。
最後になるが、シンポジウム終了後、諏訪の知人たちと議論した際の言葉が私の耳から離れない。・・・様々な議論はあるが、そもそもダムの建設場所は諏訪大社の御柱を伐り出す森だ。神々の森を伐ることは、先人に対しても子どもたちに対しても許されるものではない。・・・地域社会は未だに健全である。
(山梨総合研究所・主任研究員 手塚 伸)