富士にはシャンブレーが似合う
毎日新聞No.129 【平成14年 6月 4日発行】
~北ろく産地の職人たちの挑戦~
「シャンブレー」という美しい織物がある。繊細で様々な色に染めた絹糸で布地を織っていくため、織られた布地は、光に応じて玉虫のようにその装いを変えていく。そんなことから、玉虫織りという意味合いを持つ。私達が通常身にまとうネクタイは、無地の布地に後から色をプリントする「プリントもの」である。一方、あらかじめ染色した糸でデザインし織り上げるのが「先染め」である。意外に知られていないことだが、富士吉田市や西桂町を中心とする富士北麓地域は、シャンブレーなどの先染織物を得意とする数少ない産地である。
話は変わるが、山梨県が推進しているビジターズ・インダストリーを北麓産地で進めるため、私は、当時株式会社富士セイセン社長の戸澤重人さんと産地の若手達と討議を重ねていた。もう10年近く前、北麓産地にとっても私にとっても、悲しい事件が起きた。ある夜、議論の末、戸澤さんが「わかった。明日甲府へ行って関係者と話しをしてくる。」と仰ってくれたが、その翌日、富士吉田から甲府に向かう途中、戸澤さんが交通事故で亡くなるという訃報が入る。悲しみの向こうで、それぞれが責務を自問自答した。リーダを失い、北麓産地の活動は足踏みしたように感じられた。しかし、産地は歩みを止めてはいなかった。富士テキスタイル・ネットワーク=FTN(前田一郎会長)の活動がその代表である。
繊維産業全体の構造的な停滞感から、北麓産地も当然苦戦が続く。そもそも、OEM(有名ブランドのライセンス生産)により発注される規格製品のシェアが圧倒的な産地構造のため、中国などから安価な商品が入ってくれば、受注量は激減し苦しい状況に陥る。しかし、北麓産地は、先染めという類稀な伝統技能を継承しており、ここで織られる衣料の風合いは、理屈を超えた品格を持ち、感性のものづくり産地として十分に存在感を発揮できる。1つの答えが「マーケットイン・プロダクトアウト」であり、ビジターズ・インダストリーと重なる市場創造である。
今、FTNは、大量生産を目指さず「小資本」のまま、自らのテイストで市場創造すること、そして、そのためのオリジナルな「ものづくり」に挑戦している。OEM製品は確かにスタンダードであるが、スタンダードになった瞬間に陳腐化していく。しかしオリジナルはいつも新しい。また、市場順応型のものづくりを目指せば、常に市場は有限でしかない。しかし、自らが市場創造しようとすれば、市場は無限に広がる。難しい挑戦が始まる。
太宰治は「富士には月見草がよく似合う」と語ったが、戸澤さんが「富士にはシャンブレーがよく似合う」と口癖のように言っていたのを懐かしく思い出している。
(山梨総合研究所・主任研究員 手塚 伸)