景観の大切さ
毎日新聞No.162 【平成15年10月28日発行】
「共有の宝」という意識を
外国、とりわけヨーロッパを旅行してみると感じると思うが、整然とした街並みや田園風景などが美しい景観を持ち、都市として一種の風格を醸し出している。一方、わが国は緑の景観の中に、不作法な原色の看板が立ち、なにやら混然として落ち着きがなく、薄っぺらな印象を与える。ヨーロッパでは、景観というものを非常に重視している。優れた景観は、国民の共有財産だとして、土地利用においても厳しい私権の制約が行われ、国民もそれを許容している。一方、わが国は、土地に対する私権が非常に強く、都市計画上それをコントロールする仕組みが整備されていない。また、エコノミック・アニマルと呼ばれた時代、日本人は効率性を重視するあまり、次第に公共感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
日本人は、昔からこうだったのだろうか。明治時代に日本を来訪した外国人の記録では、日本の都市景観、田園景観を賛美するものが残されている。日本人は本来非常に情緒的な国民であり、四季の移り変わりを文学や芸術作品、建築などで表現する感覚は、決して欧州諸国にひけをとるものではなかった。また、19世紀初頭の江戸の町はパリやロンドンと並んで、人口100万人を超える世界的大都市でありながら、整然と黒瓦が連なる都市景観のなか、都市内リサイクルの仕組みが整備され、上水道も完備されており、やはり当時日本を訪れた欧米人が、あまりの清潔さに驚がくしている記録が残っている。日本人は、本来美的センスに優れ、エコロジーを理解していた国民だったのである。
山梨にとって、富士山のなだらかな稜線や、八ヶ岳南麓の高原景観、峡東地域の果樹園景観などは、日本にとっても宝と呼べるものである。ずっと住んでいると感じないが、初めて山梨を訪れる人、山梨を離れ再び故郷に戻った人などにとっては、得難い価値のあるものである。県民がこの価値を認め、共感して守っていくことは、山梨全体の価値を高めていく上で大切なことだと考える。
(山梨総合研究所 主任研究員 広瀬信吾)