風格ある兜造り古民家群
毎日新聞No.196 【平成17年5月13日発行】
~残したい芦川村の文化的景観~
大型連休の初日、山梨総合研究所のメンバーで釈迦ヶ岳に登った。甲府から車で45分、鳥坂峠を越えると登山口の芦川村に着く。人口590人ほどのひっそりとした山間の村である。
俳句に「山笑う」という季語があるが、春の陽を浴びる混交林の山々は、まさに「山笑う」の風情である。この芦川村には、上芦川、新井原、中芦川、鶯宿という4つの部落がある。どの部落も山に向かって整然と石垣が積み上げられていて、猫の額ほどの段々畑が造られている。その石垣の周りは芝桜が帯状に伸びていて、ところどころに芋や蚕種でも保存したのだろうか小さな祠が見える。点在している兜づくりの古民家は、ほとんど赤いトタンを被せられ、すでに戸が締められ人の気配のない家も多い。かやぶ茅葺き屋根の職人もいなくなり、茅場も荒れてしまっただろう。しかし、往時の芦川村は京都の美山町や岐阜の白川郷、富山の五箇山などと並ぶような見事な山村風景であったにちがいない。 東京から僅か2時間ほどのところにそんな山村風景が残されている。
さて、明治以降、わが国は欧米先進国に追いつこうとあらゆるものを犠牲にしてひたすら富国強兵を進めてきた。昭和30年代から40年代にかけて若者たちは田舎を捨てて東京へと向かっていった。その結果、確かにGDPは拡大し経済的には豊かになったが、日本の尊い文化的な景観を惜しげもなく葬り去ってきたことも事実である。
中国の古典「韓非子」に出てくる故事に「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」という言葉がある。とかく奇抜なものに目が向いてしまい、身近にあるものの価値や美しさにはなかなか気づかない。美しい景観は賢い生活の中にあるという。芦川村が守ってきた石垣と兜づくりの民家は先人が築き上げてきた汗の結晶である。それは芦川の誇りであり、宝である。
経済優先から時代は大きく舵を切り始めている。芦川村の文化的景観は、人々の心を満たし、人間を甦がえらせてくれる不思議な磁力を持っている。
(山梨総合研究所 専務理事 早川 源)