きちんとしかる
毎日新聞No.199 【平成17年6月24日発行】
~「駄目」と理解させること~
昨今、青少年の非行化とその低年齢化が問題視されている。教育現場においては学級崩壊が進み、教員の精神的ケアも必要となっている。平成16年度に内閣府が行った世論調査の結果によると、「少年非行は増加しているか」との問いに、93.1%もの人が「増えている」と回答した。その背景として、「保護者が教育やしつけに無関心な家庭」が59.9%と最も高い割合を占めている。また、非行に走らせないためにそれぞれの家庭で行うべき対応は、「叱るべきことはきちんと叱る」が71.7%となり、家庭教育の重要性を認識させられる結果となっている。
しかし実践する段階となると、この「きちんとしかる」ということが非常に難しい。なぜ駄目なのか、どうして悪いのか。これを理論的にきちんと子ども達に説明することは、一筋縄ではいかない。思った以上に今の子ども達は理論武装しているのである。
では、我々の世代に対して、祖父母の世代はどうやって社会道徳、規範意識を教えただろう。江戸時代の会津藩における学校、日新館にそのヒントがあった。6歳から9歳までの子弟に人としての基本を教えた、「什の掟(じゅうのおきて)」と呼ばれる心得がそれだ。「お話を致します」の掛け声で始められるこの心得は、7つの「ならぬこと」を順次読み上げ、最後は「ならぬものはならぬものです(駄目なものは駄目)」という理不尽とも取れる言葉で締めくくられる。しかし、子ども達はこの一言で全ての悪事を悟り、自分を律することが出来るようになるのである。俳句における五・七・五の十七文字でワビサビを感じることのできる日本人ならでは、である。子どもにはまず「駄目」と理解させることが大事で、理論的な考え方は学習によって後からでも充分得ることができる。私も幼少の頃、親からこの言葉を何度聞かされたかわからない。
夜の駅前。制服を着たままの学生達がギターを抱え、地面に座り、歌を歌っている。彼らは「ならぬものはならぬもの」を理解しているだろうか。
(山梨総合研究所 研究員 中野一成)