公共サービスの行方
毎日新聞No.208 【平成17年10月28日発行】
~民間開放の裏側にある責務~
このところの行政のあり方を巡る議論の主流は、小さな政府、そして「民間にできることは民間に」というものである。民間資金を利用したPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)しかり、指定管理者制度しかり。一部には「市場化テスト」のような新手も現れている。公共サービスの提供主体を民間部門に開放する流れは協働の思想にも助けられ、単なるブームと片付けることができない大きなうねりとなってきている。
伝統的に公共サービスは行政によって提供されてきたが、例外がある。公共交通サービスである。バスや鉄道による輸送サービスは、既に民間事業者によって提供されている。中でも路線バスはかつて純粋に民間の営利事業だったが、高度経済成長期以降マイカーによる移動が主流となるにつれ、運転できる人とできない人の移動の自由度に関する格差が生じたことに端を発し、公共サービスとみなされるようになった。少子高齢化が進む今日、自ら運転することができない高齢者などの移動の自由を確保することは重要な公共サービスの一つとして認識されつつある。日常生活に必要なバス路線を維持することは公共の責務である。
このような考え方は、おそらく近年における公共サービスの民間開放にもあてはまる。公共サービスの提供主体が誰であるかにかかわらず、そのサービスの質や量についての最終的な責任を負うのは行政や議会などの公共部門である。もちろん民間の持つノウハウを生かし、効率的で効果のあるサービスを提供することが望ましいことは言うまでもない。しかし、サービスの提供の状況を見ながら、時に応じて必要な介入や補完をするのは依然として公共の役割である。そうでないと単なる責任回避になってしまう。
交通サービスに見られるように、公共によって提供責任が全うされるべきサービスの範囲や水準は時代によって移り変わる。公共サービスの担い手が大きく見直される現在、そのあり方や提供方法を見極める能力が求められている。
(山梨総合研究所 主任研究員 山本盛次)