草の根異文化交流


毎日新聞No.268 【平成20年8月8日発行】

  夏は別れの季節でもある。毎年、国際交流ボランティアとして接してきた外国人たちの帰国を見送っていると、梅雨明けとともに、また、この季節がきたかと思う。
  先日も3年の滞在を終えた青年を成田行きのバス停で見送った。集まった人々に一人一人丁寧な別れの挨拶をする彼のほおをつたう涙が、実り多かった3年間を象徴しているように思えた。積極的に人と交わり、日本文化を深く知ろうとしていた彼のことである。きっと単純化されたステレオタイプとは違う日本の姿を、ふるさとに伝えてくれることだろう。自分の目で見、肌で感じ、人と触れ合って得た日本の姿だ。

  毎週水曜日の夜、あるレストランに彼を含めた外国人と日本人が集まるようになった。農業を営む男性が近くに住む米国人夫婦と始めたものが口コミで広まり、最近では多い時で20人以上になることもある。日本人と米国人のほか、オーストラリア人夫婦やフィリピン人研修生、ペルー生まれの日系2世も顔を出す。ただ雑談をするだけだ。だが、このような草の根の異文化交流は、当事者だけでなく、今後、地域社会にもポジティブな影響を与えていくと思われる。
  今や山梨においてさえ、外国人を見かけてもさほど珍しくはない。海外の情報も容易に手に入る。異文化間の物理的な距離は近くなった。果たして、それで日本の中で異文化理解が進んだであろうか。物理的な距離ほど心理的なそれは近くなっていないと感じる。
  あるブラジル人の青年が私に語ったことがある。彼が、スーパーで買い物をした時のことだ。買い物を終えレジに向かった。レジ係の人と目が合った瞬間、「レジ休止中」の札が立られた。同質的な日本社会に生きてきた私たちは、異質なものに出会う時、あえて近づいてやっかいな思いをするよりも遠巻きにしていた方が安全だと考えてしまいがちである。しかし、そうしていられる時代は終わりに近づきつつあるように思う。

  好むと好まざるとに係わらず、私たちの周りに外国人は増えていく。温かく迎え入れることのできる社会でありたい。自分と違うバックグラウンドをもつ人たちとの触れ合いから学ぶことは多いし、実はそれ自体かなり楽しいことでもある。

(山梨総合研究所 主任研究員 依田 真司)