新たな視点からのまちづくり
毎日新聞No.289 【平成21年6月12日発行】
県内市町村では、「まちづくり」の動きが盛んである。これらは、主に旧中心市街地や商店街の活性化など、かつての賑わいの復活が中心となっている。
しかし、今一度「まちづくり」の本質を見つめ直す必要があるのではないだろうか。つまり「まちづくり」は単なる中心市街地や商店街の賑わい復活といったとらえ方だけでなく、私たちが日々生きる空間としての視点である。
「まち」とは、人々が集い、毎日を暮らす日常の生活空間そのものである。誰もがどこかのまちに生まれ、育ち、生活し、老いていく空間である。それ故、まちの形そのものがそこに住む人々の精神構造に影響を及ぼし、良い思い出にも、悪い思い出にもなる。だからこそ、「まちづくり」は、私たち一人一人に関係する身近な課題であり、孫子の世代にまでわたる大きな課題でもある。
明治初期に日本を訪れ、東京から北海道まで旅行したイギリスの作家イザベラ・バードは、「日本奥地紀行」の中で「新潟の官庁街は、西洋式に文明開化の姿を見せているが、純日本式の旧市街地と比べると、まったく見劣りがする。旧市街は、私が今まで見たまちの中でも最も整然として清潔であり、最も居心地のよさそうなまちである」と言っている。
これは、新潟のまちが「日常」という地元の人々の歴史を包み込んだ空間だからこそ彼女は感激したに違いない。
ところが、私たちの住んでいるまちの多くは、駅前広場には、タクシーやバスの発着所があり、ロータリーを囲んでコンビニエンスストアや飲食店街、ビジネスホテルが混然と立ち並んでいる。これが、どこにでもある地方都市の姿である。そこにはまちの風格も歴史も文化も見えてこない。そこには癒しも、安らぎも感じられない。私たちが求める「まちづくり」は長い時間の流れが凝縮された空間でなければならない。どこかの空間を持ってきて、それを移植するようなまちであってはならないのである。
私たちにとっての運命共同体である「まち」は、先人たちの手で作られてきた。今住んでいる私たちは、次代に住む人々のことを考えて「まちづくり」を進め、生きる空間として残していかなければならない。
(山梨総合研究所 専務理事 福田 加男)