駄菓子屋の効用


毎日新聞No.293 【平成21年8月7日発行】

  先日、約20年ぶりに近所の駄菓子屋に行った。懐かしさを感じながら、毎日のように駄菓子屋に通ったころのことを思い出した。以前は学校や公園・神社の近くを始め、あちらこちらに見られたが、最近はすっかり少なくなってきているようだ。
  小学生の頃、よく父親のおつかいでタバコを買いに行った。お釣りはお駄賃だと言われ、楽しみながら駄菓子屋に向かったものだ。当時は100円あれば、安い駄菓子を買ったり、くじを引いたり、十分楽しむことができた。100円玉を握り締め、限られた金額の中で、何を買おうか真剣に悩んだ。思えば幼いながらも、経済生活の初歩を学んだのが駄菓子屋ではなかろうか。数多い種類の商品から迷いながらもじっくりと考えて選び抜く選択力、金銭感覚を身に付けていったのである。
  また、駄菓子屋は、学校帰りにまたは休日に友達同士で集まる場所、言うなれば拠点でもあった。同級生だけではなく、上級生、下級生が集まり、駄菓子屋で一休みした後、学校に戻り校庭で遊び、公園で野球を楽しみ、また駄菓子屋に戻る。店番のおばあちゃんと会話をしながら、疲れを癒し、のどを潤す。まさに子供たちの憩いの場であり、そこには一種のコミュニティが成立していた。

  80年代以降、駄菓子屋は減少の一途を辿っている。少子化や後継者不足等の影響もあろうが、ちょうど家庭用ゲーム機が普及しはじめ、塾通いが一般化するなど、子供たちの放課後の過ごし方が変わり始めた頃と一致している。今の子供たちは外遊びもほとんどしないだろう。思えば私たちが駄菓子屋ライフを楽しんだ最後の世代なのかもしれない。
  しかし一方では、商店街の活性化に寄与し、よりよい街づくりに貢献するなど地域に密着した駄菓子屋も新たに生まれてきているという。だとすれば、地域社会との連携により、新しいスタイルの駄菓子屋を作り出すことも可能といえる。

  子供の金銭教育が話題となり、また子供同士のコミュニケーション希薄化などが叫ばれる今こそ、社会的・教育的機能を持つ駄菓子屋は必要だ。地域との共生という観点から見つめ直すことで、新たな駄菓子屋の存在価値を見い出すことが出来るのではなかろうか。

(山梨総合研究所 研究員 小柳 哲史)