異界の話に耳を傾ける「能」
毎日新聞No.315 【平成22年6月11日発行】
今春亡くなられた多田富雄氏は野口英世記念医学賞、エミール・フォン・ベーリング賞、朝日賞などを受賞し、84年に文化功労者となった免疫学の世界的な権威である。氏は、能に造詣が深く新作能「原爆忌」「長崎の聖母」「沖縄残月記」など、現代が抱える諸問題を作品として世に出している。
著書「能の見える風景」の中で氏は「お能とは異界からの使者たちが現れる場である。今でも私たちが能楽堂に足を運ぶ理由は、このような異界からの使者たちに出会うためではないだろうか。わたしたちは中世とはちがって、科学が支配する時代に生きている。しかし、私たちにとっても異界の話は決して虚言ではない。というよりも、科学を超えたものの存在を心の片隅で信じようとし、その現われを求めているのだ」と述べている。
地球温暖化、口蹄疫などの問題に接するたびに、異界からの話に耳を傾けてみるときではないかと思う。
さて、富士河口湖町小立にある名刹「常在寺」で毎年5月に「河口湖ろうそく能」が催される。地元の能楽勉強会「蒼能会」の皆さんが99年に立ち上げたというから今年は12回目になる。このような文化を生み出し10年以上も継続してきた「蒼能会」の皆さんのエネルギーとそれを支えてきた地域の皆さんの文化意識の高さには感心するばかりである。会場を提供してくださっている「常在寺」、野点を開いてくださる茶道の方々、ポスター制作は谷村工高デザインコースの生徒たちが担当しているという。また、船津小学校5・6年生のために出前公演をするなど地域ぐるみの活動として定着している。
今年も本堂は250人を超える観客でぎっしり埋まった。ろうそくの灯入れの前に、能面・装束・笛・鼓などの話がある。今回は鼓について幸流小鼓方曽和尚 靖氏が「音の効果」と題して鼓の表面に貼り湿度の調節をする「調子和紙」の話をしてくださった。
公演が終わって境内にでると、ろうそくの灯が揺れる小径がしつらえてあり能舞台の中をさまよっているような心地であった。また来年も異界の話に耳を傾けたいものである。
(山梨総合研究所 副理事長 早川 源)