Vol.155-1 日本再生のキーワードは、新ローカリズム


東北芸術工科大学大学院客員教授 小松澤 陽一

1.大震災で見直される日本人の生き方、価値観

 2011年3月11日、午後2時46分。マグネチュード9.0の巨大地震と大津波が東日本を襲った。その日時に、僕は山梨総合研究所の6階の会議室にいた。
 2月に湯村温泉で催した<山梨文学シネマアワード2011>の事業報告書が完成したので、関係官庁・団体・協賛企業各社に、御礼の挨拶巡りをするために甲府市を訪れていたのであった。
 大きな横揺れが収まった時、「いやぁ、この建物は古いからねぇ」と不安を静めるかのように、山梨総研の主任研究員は語った。だが、今まで体験したことのない不気味な揺れだったので、心の中に芽生えた不安感は消えなかった。
 その直後、テレビニュースを見たとき、予感は現実となった。僕の故郷である岩手県をはじめ東北地方を凄まじい地震と津波が襲い、未曾有の大災害に曝されていたのである。

 東日本大震災の最新の被害者数の統計(警察方まとめ 6月18日現在)では、死亡者数の合計が15,457人にのぼる。そのうち宮城県が9,246人、岩手県が4,549人である。また、行方不明者の合計は7,676人。そのうち宮城県が4,728人、岩手県が2,601人だった。

 5月にようやく東北新幹線が開通したので、大学院の講義再開のために久しぶりに仙台を訪れた。そこで実際に目にした被害の甚大さには、言葉も出なかった。巨大津波の浸水域は東北地方全域で507 km2(国土地理院調べ)である。そのうち宮城県の被害が最大で307 km2。最も浸水域の大きかった自治体は、宮城県の石巻市(73 km2)だった。しかし、数字を語ることはむなしいことであり、僕には被災地の惨状を表現できるどのような言葉も見つからない。
 海に囲まれている日本にとって、大津波は宿命的な要素を持つ大災害であった。特に津波による原子力発電所の被災は、世界でも初めての体験だ。文明の便利さを盲信していた人類にとって、2011年3月11日はこれまでの生き方や価値観を見直す転換の日として記憶に留めなくてはならない。

2.新生・日本のキーワードは新しい「ローカリズム」

 「文明転換の日」から3ヶ月の時間が経った。だが、被災地の実情を見るにつけ、復興への手立ては一刻の猶予もない国難の時なのに、日本の政治がまったく機能していない。何よりも困難な生活を強いられている多くの被災者の方々の救済策が、具体的に実行に移されるべきなのに、政府の対応が遅れに遅れていることに怒りさえ覚える。
 また、復興を考えるにあたっても、東北地方を単に震災前に戻すのではなく、今こそ「国のあり方」の再考が求められており、「新生・日本」の形成を目指さなければならない。日本人の想像力と創造力、そして何より勇気が歴史的に問われているのだ。

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山梨文学シネマアワードの表彰式で壇上に並ぶ映画監督、映画スター

 「新生・日本」を目指すためのキーワードのひとつが、新しい「ローカリズム」だと、僕は考えている。欧米文明への追随が、富をもたらすという考え方が「グローバリズム」であった。だが、日本が真に世界に誇れる文化は、各地方の歴史の中に育まれている。そのひとつの証明が、<山梨文学シネマアワード>が縁で実現した<リアドロミュージアム in 常磐ホテル>であった。地域の本物の歴史をもつ文化遺産が、世界のトップブランド企業から敬意を表されたのだ。この経験から、これからの地域再生の切り札は、グローバルとローカルのブランド・コラボレーションにあると、僕は確信した。

3.市民の誇り、アイデンティティを確立させる方策としての映画祭

 考えてみれば僕は映画祭プロデューサーとして、大きなハンディを背負わされた自治体からの企画・実施依頼を受けることが多かった。その一つである北海道・夕張市の場合、故中田鉄治市長の陣頭指揮で、「炭鉱から観光へ!」のキャッチフレーズのもとに、市の再生プロジェクトのシンボルとして、1990年に『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』が開始された。そして炭鉱の町で、観光資源がゼロだった“YUBARI”の名前が、ひとつのイベントの成功で国際的な知名度を得たのだ。映画祭ツアーの売り上げは約3千万円。会期中の滞在客が飲食店にもたらした消費は約4億円と、地域にもたらした経済効果も大きいものだった。
 しかし行政として、国から背負わされていた町のハンディはあまりに重く、2006年に夕張市は財政破綻した。
 政治が誤り、生活者が国から見棄てられるという残酷な悲劇を、僕はこの時に目撃した。しかし悲劇の最中、人間の気高さも体験した。夕張の住民の有志がNPO法人を設立し、破綻した町の再建のシンボル事業として、市民主導による映画祭を復活させることから始めたのだ。

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夕張の映画祭は、フランスの高級紙ルモンドが1頁特集を組むほどの国際的評価を得た

 行政主導で開始された映画祭が、長い時間をかけて、自信をすっかり失っていた市民たちの生活の喜びとなり、故郷に住み続ける誇りにまで昇華していたことに、僕は感動を覚えた。
 夕張を手本にした映画祭が、海外にも誕生している。
 1997年、韓国の富川(プチョン)市から、国際映画祭の創設にコンサルタントとして協力を求められた。富川市はソウル特別市に隣接する街で、経済成長によって急激な人口増加を遂げた(6万人が80万人へ!)、巨大なベッドタウンだった。

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映画による地域活性化のモデルとして成果をあげた富川国際ファンタスティック映画祭

 富川市は大半が新住民の街であったため、乏しかった市民のアイデンディディを確立させる方策として、映画祭に着眼したのだ。そして、誕生したのが富川国際ファンタスティック映画祭である。富川市の映画祭代表団は1997年、第8回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の会場で、世界に向けて韓国の新たな映画祭の開催を告知するドラマチックな演出で話題を呼んだ。富川市は、映画祭をきっかけにして、漫画とアニメ、そして映像のコンテンツ産業の育成にも力を入れた。映画祭によるまちづくり、そしてコンテンツ産業育成という戦略的な政策ミックスは大成功を収めた。その成果は、韓国における漫画及びアニメーションの情報拠点として、映画祭から10年後に2倍に成長した市の経済規模にも見てとれる。

4.地方主権のモデルとして文化の武田軍団を目指す

 僕は今、映画祭による地域活性化に協力する手法として、新しいアプローチを開始している。夕張では行政主導で始まった映画祭が、住民を巻き込んで市民ネットワークに育つのに約10年かかっていた。だから逆に、官民を越えた勉強会を積み重ねてから、映画祭を開始し、育ててみたいとの、夢を抱き始めていた。
 だから平成21年12月から始まった、山梨総研の自主研究活動<ワイン&フルーツ観光文化研究会>に、僕は特別顧問として参加している。
 そして<ワイン文化研>がきっかけとなって、山梨県立文学館の「日仏交流映画祭」(2009年11月)、「ふえふき映画祭ワークショップ」(2010年11月)、「山梨文学シネマアワード」(2011年2月)等の、県内各地の地域活性化イベントに協力してきた。

 勉強会がアクションに結びつくのは、希有な例で、山梨総研は“シンクタンクThink tank”から、今の日本にとって手本となる“ドゥタンクDo tank”としての実績を積み重ねている。明治維新がそうだったように、“国づくり”のエネルギーは地方に眠っているのだ。
 地方分権という新たな日本の戦国時代に、今、目覚め始めている<文化の武田軍団>が、地方主権の成功モデルとして、今度こそ、天下に「風林火山」の旗をたなびかせる日が近いのではないかと、僕は夢みている。