Vol.156-2 東日本大震災後の新たなビジョン
~山梨発ウェルネス・グリーン社会の構築について~
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 井尻 俊之
1.3.11パラダイムシフト
「3.11東日本大震災」をきっかけに日本人の価値判断基準にパラダイムシフトが起こっている。例えば、社団法人都市計画コンサルタント協会の「東日本大震災復興まちづくりに関する緊急アピール」(5月12日)では、社会的価値規範と枠組みの根本的転換「パラダイムシフト」の徹底を求めている。アピールでは、今回深刻な事態が生じている背景として、これまで根本的転換を先送りしてきた長年の社会的価値規範やものの見方と、それに基づく諸社会システムや枠組みをやり玉にあげている。それは「効率性・経済性」の優先、無原則的な「科学技術」の偏重、あいまいな「公平性・平等性」の重視であり、これらに由来する「一点集中主義」「メガシステム主義」「力技による自然制御主義」「一律・均質主義」等、われわれが真摯に向かい合っていかなければならない課題を挙げている。
およそ500 kmに及ぶ関東から東北にかけての太平洋沿岸部で都市やまち、むらが地震・大津波によって廃墟となり、多くの命が失われた。この「未曾有の国難」をもたらした原因は、「想定外」の地球の地殻変動にあるのではなく、変えるべきはわれわれ人間社会の仕組みであることにやっと気がついたのである。
なかでも電気をふんだんに使うために、効率性・経済性を優先してきた日本の文明のあり方が、福島第1原発事故により、実はひとたび深刻な事故を起こせば、人間には制御不能で、致命的な厄災を広範囲にばらまく原発システムの上に構築されていたことが、白日の下に曝されてしまった(図1)。
しかも、原発問題の核心は、既に個別の原子力発電システムの安全性確保にあるのではなく、議論は別次元の問題へとパラダイムシフトしている。
山梨県立大学の伊藤洋学長は、自ら運営するブログ「日々是好日日記」[1]で、日本は原子力発電所で使い終わった猛毒物質プルトニウムを含む使用済み核燃料を最終的に処分する仕組みを持っていないばかりか、日本政府がこの高レベル放射能を持つ原発ゴミを、アジアの発展途上国に埋めようと画策していることについて、「こういう悪事に現代人は知らず知らずに荷担している」と、日本の倫理にもとるエネルギー政策に警鐘を鳴らしている。
しかも、伊藤学長は仮に危険な原発ゴミの最終処分場が建設できたとして、その立ち入り安全性が確認できるのは10万年後という遠い未来のことであると、フィンランドのオルキルオト島に建設されている原発廃棄物の最終処分場「オンカロ」を紹介している(映画「100,000年後の安全」)。超未来へ危険性を“ババ抜き”しながら、「効率性・経済性」を優先しようとする、人類の倫理観や道徳的節度こそが今問われているのだ。
図1 福島第一原発の汚染分布図
(平成23年3月22日 4月3日、単位はミリレントゲン/時)
出典:National Nuclear Security Administration (NNSA) US Department of Energy
一方で、世界の人々は、被災地の日本人が災害にくじけることなく、勇気、礼儀正しさ、復興への意思を示したことを賞賛した。被災者支援と思いやり・祈りの輪は世界各国に広がり、人類が愛を分かち合うことができるという希望が生まれたことは、忘れてはならないだろう。
2.「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」
日本列島が巨大地震の活動期に入っていることは、「大規模地震対策特別措置法」(昭和53年施行)立法のきっかけとなる駿河湾を震源域とする東海巨大地震の発生を学説として発表した石橋克彦氏(当時は東大地震研助手、現在神戸大名誉教授)によって早くから指摘されていた。そのころ、筆者は直接話を伺う機会があり、背筋も凍る思いをした。
石橋氏は「大地動乱の時代-地震学者は警告する-」(岩波新書、平成6年)で、「今世紀末から来世紀初めごろに小田原地震(大正関東地震)、東海地震、首都圏直下地震が続発し、それ以後首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い。これらの地震による首都圏とその周辺の震災は、最悪の場合従来とは質的に異なる様相を呈し、日本と世界に重大な影響をおよぼすだろう。」と警告している。
この学説は各界に衝撃をもたらした。超過密都市である首都圏を、21世紀初頭に襲う震災リスクは、特別措置法の対象である東海地震だけではなく、小田原地震、首都圏直下地震がセットでやってくる可能性が大きいことを分析し、さらに過去の震災事例から富士山噴火も同時に発生する可能性があることを指摘したのである。そのとき首都圏で起こる災害は人類初体験の悲惨なものになるだろうことを予測している。
石橋氏は、平成17年の第162国会衆議院予算委員会公聴会において、「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」というテーマで公述人として発言している[2]。この公述では、プレート運動の地震発生周期のなかで、東海地震が先送りされていることから、南海地震、首都圏直下地震とセットで起こる可能性が高まっている可能性を指摘しながら、その巨大地震が起こると、地下で地震の波を出す領域が非常に大きいために、非常にゆったり大きく揺れる長周期地震波を放出し、首都圏、中京圏、関西圏の超高層ビルや大規模なオイルタンク、長大橋が深刻な長周期震災を引き起こすことを警告した。
特にそれまで「絶対安全だ」とされていた原子力発電所が長周期震災や大津波により「複数要因故障」を引き起こし、多重防護システムが機能しなくなることで、炉心溶融や核暴走などの深刻な事故が発生する危険性があることを指摘している。東海地震の震源域にある浜岡原子力発電所に深刻事故が発生した場合、放射能雲が首都圏に流れ込むことのリスクも分析している。そして、東日本大震災ではまさにその指摘通りの事故が福島第1原発で起こってしまった。
石橋氏の公述を長々と引用したのは、「3.11パラダイムシフト」の方向性を指し占めているからである。彼は次のように、衆議院予算委員会で語っている。(筆者要約)
私たちの暮らし方の根本的な変革が必要ではないかと考えています。これは決して地震とか自然災害に対して受け身、消極的にやむを得ずやるのではなくて、これ以外のあらゆる問題に通じると思います。 |
3.新たなビジョン「ウェルネス・グリーン社会」
われわれの視点を地域社会に振り向けると、県内においても上記のパラダイムシフトの方向性を否応なく、意識せざるを得ない状況に直面している。既に人口増大・経済規模の拡大を前提とした高度経済成長を追求できる時代は終わり、社会成長の基準を従来の経済規模の拡大や都市の拡大に置くことは困難となっている。
甲府商工会議所では、こうした社会的課題を背景として、平成22年度から23年度にかけて「甲府地域グランドデザイン実施計画策定委員会」を設置し、甲府地域の10年後のあるべき姿と行動計画について報告書をまとめた。(山梨総合研究所は計画策定を支援)
策定委員会では足かけ2年にわたる討議により、今解決を求められているのは、「地域の人口減少と高齢化という社会課題のなかで、環境と共生しながら新たな循環型社会を構築することである」との集約に至った。将来にわたって地域社会が持続していくためには、「環境、経済、社会の調和によって、住民が健康で、豊かで、快適さを感じる社会の構築を目指す」ことが重要になっているとの認識である。
こうした時代認識は、政府も共有している。国は昨年6月に閣議決定した「新成長戦略」において、2020年までに国民の幸福度指標を整備し、「幸福感を引き上げる」との目標を明記した。指標には「安心感」や「人とのつながり」などを反映させたいとしており、これまでのGDP一辺倒で、経済の規模拡大だけを目指した経済成長の指標のあり方を180度転換させた点で、大きな意義がある。
甲府地域グランドデザイン実施計画では、政府が目指す「幸せが享受できる社会」のあり方を、さらに明確に規定し、経済活動、自然環境、そして市民の生活が高度に調和する新しいライフスタイルの創造により、幸せが享受できる社会を目指すこととした。この基本理念を「ウェルネス・グリーン社会」と名付けたのである。
ウェルネスとは「ウェルビイングwell-being」と「フィットネスfitness」の合成語で、身体と精神の健康状態を追求するライフスタイルを言う。アメリカの医師ハーバード・ダンが1959年に提唱した。日本でも近年、環境志向の強い企業や商品などに使われることの多い用語である。
ウェルネス・グリーン社会では、まず市民が「ウェルネス(Wellness)」な存在として、「心身共に健康で、豊かで、生活に満足を感じる」社会生活を維持発展させていくことを目指しながら、「グリーン」が意味する甲府地域の豊かな自然環境、そして経済活動も「ウェルネス」な状態であることを目指す。この場合の「グリーン」は米国のオバマ政権が進める「グリーン・ニューディール政策」とも相通じるものがある。
つまり、ウェルネス・グリーン社会では、市民の暮らしも地域経済も、自然環境も高度に調和し、「甲府地域のすべてが健やかで美しい社会」が創造される。(図2)
4.ウェルネス・グリーン社会の定義と将来像について
策定委員会において、ウェルネス・グリーン社会の定義をまとめる作業を行っていたところ、環境省において、「環境と経済の好循環ビジョン」(HERB構想、平成16年)が策定されていることが判明した。「2025年を一つの到達点として、環境を良くすることが経済を発展させ、経済の活性化が環境を改善するという『環境と経済の好循環』を実現することにより、「『健やかで美しく豊かな環境先進国』を目指す」という構想である。しかしながら、環境省の「環境と経済の好循環ビジョン」においては、価値判断の基準が「環境と経済の豊かさ」に置かれ、持続可能な住民の暮らしの視点が不十分であることから、むしろ「甲府地域グランドデザイン」は国のビジョンを補強する点で、大いなる意義があることを見いだしたのである。
ウェルネス・グリーン社会の定義では、経済・環境・暮らしを健やかに「つなぐ」社会の実現することを目指す。具体的な規範は次のように掲げられている。
- 地域住民の暮らしも地域経済も、自然環境も高度に調和し、「甲府地域のすべてが健やかで美しい社会」が創造されること
- 経済の活性化が住民の暮らしを維持向上させ、限りある様々な地域資源の保全・循環を推進すること
- 一つの都市の活動が他地域の持続可能性を奪わず、拠点都市が相互にクラスター[3]として調和・共生すること
5.新たな甲府地域の将来像
甲府地域グランドデザイン実施計画策定作業では、最終のまとめ段階になって、JR東海が2027年の開業を目指すリニア中央新幹線東京-名古屋間の大まかなルートと中間駅の候補地を発表した(平成23年6月)。山梨県内での駅候補地は、甲府盆地南部でJR身延線の既存駅と新山梨環状道路の既存ランプに近接する農地主体のエリアと明記された。
リニア山梨県駅周辺でどのようなまちづくりをするかについて、山梨県庁内部で議論も始まっているが、その前提は、甲府地域内の各都市拠点は、甲府市を中心とした経済活動や雇用を通じて、一つの都市圏域を形成していることを重視すべきだろう。ウェルネス・グリーン的な考えからは、周辺地域の優良農地を温存することの重要性にも配慮が必要であり、野放図な大規模開発は望ましいことではない。むしろ、既存の県内拠点都市とリニア駅の間を短時間でむすぶ省エネ・高パフォーマンスの新公共交通システムの整備を優先し、拠点都市が相互に補い合って共生する、持続可能な都市圏域を形成することを一気に推進することが重要であると判断できる(図3)。
そのうえで、リニア中央新幹線による東京-甲府間15分、甲府-名古屋間30分の「タイム・ショック」を地域活性化の原動力とする新成長戦略が発動されるべきである。
甲府地域は、周囲を富士山や南アルプスをはじめ、数々の日本百名山に囲まれ、「日本の屋根」とも言うべきトップクラスの豊かな自然環境に恵まれ、山梨の歴史、経済、文化の中心地として栄えてきた。中世から500年間かけて先人が育んできた甲府城を始め数多くの歴史的建造物や街並みは現在も多く残されている。
超高速交通開通による「ストロー効果」で地域経済のマイナス面を不安視する向きもある。しかし、甲府地域グランドデザインでは、甲府地域を21世紀のまちづくりのモデルとするために、自然や歴史的な街並み、建造物、食文化を積極的に活かした「山梨らしさ」によって、首都圏、中京圏からの逆ストロー効果を目指す。これが新時代の地域像としての「ウェルネス・グリーン社会」のあり方である。
つまり、持続可能な安定した社会発展を確保できる経済と環境、市民の暮らしが調和した「ライフスタイル」の確立こそ、リニア新幹線の開通までに取り組むべき課題であろう。
[1] 「日々是好日日記」http://blogs.yahoo.co.jp/kendaigakucho
[2] 第162回国会 予算委員会公聴会会議録第1号(平成17年2月23日)
[3] クラスター (cluster) とは英語でブドウなどの「房」を意味するが、転じて群や集団を意味する。