Vol.157-1 清里フィールドバレエ被災地へ


~東北各地の避難所に無料公演を届けた思い~

萌木の村株式会社 代表取締役 舩木 上次

 平成23年8月2日、萌木の村株式会社(北杜市高根町清里)は経済産業省から東日本大震災の復旧や復興に貢献した全国の中小企業の取り組み事例115社に選ばれた。東北各地の避難所などで「清里フィールドバレエ」の被災地公演を無料で行った取り組みが評価された。その目指したものを記録としてまとめさせていただいた。

◇ ◆ ◇

1.東日本大震災と清里の支援活動

 3月11日、東北地方を襲った大震災により全国の企業が深刻な影響を受けた。萌木の村も例外ではなく、大震災直後から客足が途絶えてしまい、毎日の売上はほぼゼロ、月末には会社の運転資金は底をついてしまう状況だった。
 そのなかで、清里のDNAともいうべき大事なことに気づかせてくれたのは、清里の若い大工さんや飲食店、観光施設で働く若者たちで組織する「チーム清里」が震災直後に取り組み始めた被災者支援活動だった。若者たちは、現地の情報を集めながら、被災者が緊急に必要とする食料、衣料、寝具などの支援物資を八ヶ岳興民館に集積し、現地に届ける作業を、自分たちの仕事の合間に黙々と行っていた。
 北杜市高根町清里は、キープ協会を拠点とした米国人ポール・ラッシュ博士の国際的な人道支援により、戦後農村の復興モデルとして発展してきた。また、その原点には安池興男氏という開拓の歴史を語るうえで忘れることができない恩人もいる。

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被災地支援の清里フィールドバレエ
(宮城県気仙沼市で)

2.ポール・ラッシュ博士と米国市民の援助で発展した清里

 清里の父と言われるラッシュ博士は、関東大震災(大正12年)の時に復興ボランティアとして来日し、聖路加国際病院の建設などに奔走された。そして、第2 次大戦後に再来日した博士は、日本復興計画の一環として、理想的な農村コミュニティの開拓に一生を捧げた。米国やカナダの市民に支援を求めながら、清里の地に教会、高冷地実験農場、農村病院、農村図書館、保育園、農業学校などを次々と完成させた。それが八ヶ岳南麓に位置する「清里」の遺伝子である。
 チーム清里の若者たちの行動は、偉大な先人の教えが深く清里の地に根付いていることを、改めて気づかせてくれた。自分の会社も苦しいが、被災地の人々は家族や家やすべてを失い、がれきの中でもっと苦しんでいる。「被災地のために自分に何ができるのか。現地の人々に自分が届けられるものは何か?」。自問自答の末に気がついたのは、萌木の村で20年以上取り組んできた「清里フィールドバレエ」公演の感動を被災地に届けることだった。
 「清里フィールドバレエ」は、ラッシュ博士の「人間は自然と喧嘩してはいけない」という言葉に賛同された八王子のバレエ団・シャンブルウェストとの協働作業から生まれたが、実際に野外公演で雨が降れば中断するフィールドバレエの歴史は、自然の雨や風に鍛えられた歴史でもあった。そんな自然の厳しさがあるからこそ、バレエの終演時に霧が晴れて森が映し出され、流れ星が祝福するというような感動的なドラマも数多く演じられてきた。

3.バレエ公演で被災地に夢と希望を伝えたい

 博士を愛し清里を愛する私たちは、私たちができる表現でこの言葉の中に隠された感動を伝えるために『ポール・ラッシュ ドリーム プロジェクト』を企画した。早速、シャンブルウェストを主宰する今村博明、川口ゆり子両先生に相談したところ「自分も何かできないかと考えていたところで、全面的に協力したい」と快諾し、団のダンサーたちも被災地で踊って、みんなの心を慰めたいと、手を挙げてくれた。
 4月初め、今村先生との相談の結果、萌木の村が所有する世界最大級のベルギー製オルゴール「ポール・ラッシュ」の自動演奏に合わせた、世界唯一の「清里フィールドバレエ」のミニ公演を東北各地の避難所や学校で無料開催することが決まった。
 しかし、その時点ではミニ公演という支援活動を開催するための資金は全く無く、会社のスタッフからは「そんなことをしていたら会社が潰れてしまう」と不安の声が上がり、銀行からも「企業の資金繰りも事欠く中で、あなたが今しなければならないのは違うではないか」と経営指導が入った。最初のミーティングでは、とてもスタッフが一丸になれる状況ではなかった。
 それでも「私のやらなければならないことは被災地の人々に寄り添うことだ」と固く心に決めて、話し合いを進めていくことができたのは、最期まで清里のために尽くして、無一文のまま亡くなったポール・ラッシュ先生の尊い姿が、脳裏に刻まれていたからだった。貧しかった清里は、ポール先生により海外の人々の物心両面に渡る善意で支援され、戦後の大発展を遂げた。ポール先生に恩返しができない今、私にできることはこれだという思いである。

4.全国に広がった善意の輪

 その思いをあちこちで話して回ると賛同の輪は次々に広がり、地元の企業からも協賛を申し出ていただける経営者の方が次々に現れ、実行委員会には約30の企業・団体の方々が参加していただいた。また、山梨県東京事務所からも協力の申し出があり、被災地の自治体関係先への趣旨説明と協力依頼状が発送された。この結果、東北支援のフィールドバレエ公演は、舩木個人の思いではなく、オール山梨の善意が結集された応援企画に発展することができた。
 一方で、強力なサポーターも生まれた。私が懇意にしている柔道家の山下泰裕氏(東海大体育学部長)は応援団長を引き受けてくれたばかりか、「仮設舞台で優雅に舞うバレリーナを見て少しでも安らぎを感じてほしい」と被災地の自治体に手書きの手紙を送っていただいた。また、情報誌「かがり火」の菅原歓一編集長の紹介により、宮城県丸森町の前町長・渡辺政巳氏からは、宮城県内での公演ベースキャンプとして使ってほしいと、自宅を合宿所として提供する申し出があり、私たちは好意に甘えることになった。
 多くの人々の善意からの協力により、『ポール・ラッシュ ドリーム プロジェクト』の実施計画がまとまった。

  • 公演内容       “世界唯一の「清里フィールドバレエ」”によるミニ公演を東北各地の避難所などで無料開催し、被災者に心のやすらぎをお届けする
  • 日程              5月12日から6月4日までの24日間
  • 開催地           岩手、宮城、福島県の23市町27か所を巡回
  • 出演              バレエ公演は、シャンブルウェストの主宰者である今村博明・川口ゆり子両氏をはじめ延べダンサー13名が参加し、1公演で2~3名が交代で踊る
  • 演奏              “世界最大級のオルゴール「ポール・ラッシュ」(H2.6m×W6m×D2.2m)”を4トントラックに設置したまま自動演奏
  • 仮設舞台       H0.7m×W4.5m×D3.6m(約10 畳)のリノリウム舞台を会場ごとに設営し、公演終了後に分解して次の会場に輸送する

5.東北3県を駆け巡った6,300キロの旅路

 ミニ公演とはいえ、被災地に持参する資材は膨大な量になった。自動演奏オルゴールは、内部に木管楽器・金管楽器・打楽器・オルガンなどさまざまな楽器を装備し、演奏時の音量は50人編成のブラスバンドに相当する巨大なもので、重さ2トンを超える。これを4トントラック1台に積み込んだまま、会場を回らなければならない。
 オルゴール以外に約10畳の仮設舞台に使う様々な機材、被災地では電気が通じていないので大型の自家発電機、ダンサーが着替えをするためのテント、訪問先に迷惑をかけないための移動式トイレも持参した。結局、プロジェクトのキャラバン隊は貨物輸送の4トン車2台、輸送のマイクロバス1台、連絡用乗用車1台で構成し、最終的な走行距離は6,300kmに達した。日本列島の長さは約3、000kmであるから、北海道から九州までを往復した勘定になる。

ポールラッシュ・ドリームプロジェクト

5/12(木)
5/13(金)
5/14(土)
5/15(日)
5/16(月)
5/17(火)
5/18(水)

岩手県

宮古市
山田町
大槌町
釜石市
大船渡市
 〃
陸前高田市

グリーンピア三陸みやこ
県立山田高等学校
かみよ稲穂館
市立甲子小学校
市立リアスホール
民宿あずま
陸前高田市サンビレッジ高田

5/19(木)
5/20(金)
5/21(土)
5/22(日)
5/23(月)
5/24(火)
5/25(水)
5/26(木)
5/27(金)
5/28(土)
5/29(日)
5/30(月)
5/31(火)

宮城県

気仙沼市
南三陸町
女川町
石巻市
東松山市
多賀城市
七ケ浜町
仙台市
名取市
岩沼市
塩釜市
亘理町
山元町

市立中井小学校、大谷小学校
町立入谷小学校
女川町総合運動場
市立湊中学校、鹿妻小学校
市立大曲小学校
山王地区公民館
七ケ浜町国際村
ウエルサンピア仙台

イオンモール名取エアリ
岩沼市民会館

マリンゲート塩釜
町立逢隈小学校 ※雨天中止
山元町中央公民館

6/01(水)
6/02(木)
6/03(金)
6/04(土)

福島県

新地町
相馬市
丸森町
いわき市

新地総合公園
市立磯部小学校、中村第2小学校
町立旧筆甫中学校、筆甫保育園
いわき南の森スポーツパーク

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被災地で踊る日本のプリマバレリーナ川口ゆり子さん(福島県いわき市で)

世界最大級のオルゴールの演奏で踊るダンサー(宮城県南三陸町で)

 5月11日早朝、清里を出発した私たちは12時間960kmを走り、最初の公演地に着いた。キャラバン隊が見た東北の被災地は、花々が咲く穏やかな山麓の景色とは裏腹に、がれきの山となった海岸線の悲惨な状況が見渡す限り広がっていた。その現状を目の当たりにして、私たちは言葉を失い、「被災者に受け入れてもらえるだろうか。こんなときに自己満足のためにバレエなんて非常識な、と非難されないだろうか」と不安を抱えながら、岩手県宮古市で最初の公演を迎えた。
 しかし、街ごと流されてしまい、色を失った被災地にオルゴールの音が流れ、ダンサーたちが舞い踊ったとき、奇跡がおこった。人々の心が揺さぶられ、一緒に共鳴していたことを感じ、あらためて芸術の力を認識した。
 避難所での厳しい生活のなかで、毎日眺めるのはがれきばかりの古里。我が家や財産そしていちばん大事な家族を喪い毎日泣いていたという被災者の方々が「今日来て本当によかった。本物の芸術は素晴らしい。観ていたひととき、楽しくて辛いことを忘れられました。本当にありがとう」と言葉をかけていただき、私たちも涙ながらに感動をいただいた。あるダンサーは「こんな状況でも人を思いやることのできる被災者の方々。その場所で被災者の言葉に救われたのもまた私たちでした。人はどんな境遇でもやはり人に助けられていると感じた瞬間でした」と語っている。

6.心打たれた被災者の方々の謙虚さと思いやり

 バレエ公演の概要は、毎日宿舎を出発し、11時には会場に着く。キャラバン隊に参加してくれた清里の3人の大工さんたちがパイプで土台を作り、その上にリノリウムの舞台を手際よく組んでいく。彼らは自分の仕事をなげうって公演を支えてくれた恩人である。この設営作業に約2時間かかる。その間にダンサーたちは入念にストレッチで体をほぐす。そして、午後3時、トラックの扉を開けて、自動演奏オルゴールの音楽を合図に開演だ。
 公演プログラムは、会場によって演目が変わった。日本を代表するバレエのプリマである今村先生と川口先生が被災地のために特別に振り付けた「祈り」という曲を踊るが、シャンブルウェストでは被災者の心に元気を伝えようと「ディズニーメドレー」は必ず演じた。また、被災3県のご当地ソングとして「北国の春」「青葉城恋歌」「福島県民の歌」も披露した。また、スペシャルオリンピックス日本の細川佳代子名誉会長の紹介で、日本バルーン協会から無料配付用の風船が届けられ、会場にいっそう華やかな彩りを添えてくれた。
 さらに長崎県雲仙市から「瑞宝太鼓」のメンバーが駆けつけ、5月26日から6日間にわたって競演を果たした。
 今村先生が担当した会場では、バレエストレッチを行い、被災された方たちが白鳥を舞い、自衛隊員も警察官も一体になった白鳥のコールドバレエの輪が広がった。バレエがつなぐ真実の瞬間だった。「これから長いツアー、どうぞ体に気をつけて」と反対にいたわられる私たち。終演後、ペットボトルのお茶を何本も抱えて、「気持ちだから...」とダンサーに差し出してくる被災者の女性。心が繋がる嬉しい光景に元気をもらったのは私たちの方だった。

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被災者の皆さんも一緒に白鳥になって踊った(福島県山元町で)

キャランバン隊のメンバーと筆者(中央)

 ある会場では年老いた被災者の方の言葉に私たちの胸を締め付けられる思いがした。「笑うしかないでしょう、何もかも無くなったのだから…」、「娘婿は津波と一緒にどこかに行ってまだ帰ってこないよ」、「誰を恨むわけにはいかない。海が悪いわけじゃない。ただ悔しい。でも生かされているなら笑って生きるしかないよ」。

 今回の旅を通じて、私たちのこれまでの価値観は一体何だったのかと、考える機会となった。私たちは、今本当に大事なものをしっかりと認識すべき時だと思う。今まで私たちは自分の営利のモノサシを最優先してきた。この未曾有の国難の中で、東京の政界では、保身と権力闘争にうつつを抜かす政治家たちが醜い姿を国民の目の前にさらしている。彼らにはレッドカードだ。

 しかし、被災地ではすべてを喪い地獄のような状況の中で、誰を恨むでもなく、謙虚に、そして忍耐強く、他者に思いやりを示すことのできる素晴らしい日本人の生き様に接することができた。私たちは苦難の中から学びたい。そして、新しい価値観を見いだしてこそ、亡くなった方々への供養になるのではないか。
 キャラバン隊のメンバーは人と人とが助け合って生きるための多くを学ぶことができた。そして、清里の地でポール・ラッシュ博士が実践し、伝えたかったことに一歩でも近づくことができた。
 また、被災地の多くの子供たちから感謝のお手紙をいただいた。子供たちの素直な言葉に感動し、もっともっと多くの子供たちにバレエ芸術のすばらしさを知ってもらいたい。町は元には戻らないと思うが、皆さんともっと新しい町をつくれるその力になるために頑張りたい。私たちは、これからもこの活動を続けていきたいと心に誓っている。

7.米軍へ感謝の地ビールを贈る

 萌木の村では、ポールラッシュ・ドリームプロジェクトの一環として、東北3県のバレエ公演と並行して、震災復興に向けて人道支援に当たる在日米海軍の「トモダチ作戦」に感謝して、弊社が製造する地ビール「タッチダウン」30ダースを、米海軍厚木基地に贈った。ビールの贈呈は米軍の作戦名にちなんで「マブダチ作戦」とした。
 本作戦も清里の父ポール・ラッシュ博士の縁がある。博士は関東大震災の復興支援ボランティアとして初来日し、第2次世界大戦後には日本復興支援のため、昭和20年9月GHQ将校として米国から厚木基地に再来日。GHQを退役後に米国民の献金を募って清里をはじめ全国の高冷地開拓に携わった。私たちは、東日本大震災をきっかけに清里と米国を結ぶ「絆」を再確認することができ、そのエピソードとともに、感謝の気持ちをE・ガードナー司令官に直接伝えることができた。司令官は地ビールの名称が、日本アメリカンフットボールの父であるラッシュ博士に由来することに感銘を受け、「善意はとてもうれしい。隊員たちとともに味わいたい」と語っていただいた。

ポールラッシュ・ドリームプロジェクト

http://www.moeginomura.co.jp/FB/2011/PRDP/

東日本大震災被災地域の復旧・復興に向け貢献した中小企業の取組公開サイト(中小企業庁)

http://www.chusho.meti.go.jp/earthquake2011/110802EqJirei.html