Vol.157-2 歴史的なまち並み景観についての考察


公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 村松 公司

 1.はじめに

 「鞆の浦」という地域があるのをご存じであろうか。この鞆の浦は山陽新幹線・山陽本線のJR福山駅(広島県)からバスで30分程度行った半島に位置しており、いにしえより潮待ちの港として万葉集にも詠われた景勝の地でもある。
 街の南部地域には、江戸時代の建築物が約105棟、明治時代の建物は約85棟、大正時代から昭和初期のものは約84棟が現存していると言われる。一定の範囲に江戸時代から昭和初期にかけての建造物が残されているのは全国的にみても珍しいのではないか。
 数年前に私は、この地を訪れる機会を得た。このエリア周辺には、尾道、倉敷といった卓越した街並みを有する地域があるが、それに勝るとも劣らない魅力を感じたものだ。
 ところが、このように風情のある地域でも、開発か保全かの論争が以前から燻っていたことを、最近新聞記事で知った。開発計画の理由として、街なかの道路は江戸時代から変わらない幅員で狭く、自動車の通行に支障を来すようになっているため、昭和58年、広島県は、そのバイパスとして、鞆の浦の港を埋め立てて、橋梁を建設しようとしたのである。
 しかし、一部の住民が景観を損ねるとして、行政の埋め立て架橋計画に異を唱えたのである。その後、訴訟問題にまで発展し、現在は、広島高等裁判所で争われている。約30年間、開発計画に反対する鞆の浦の地域住民はこの景観をどう守り、まち並みに対してどのような意識の変化があったのであろうか。
 ところで、この稿は、まち並みの「保存」、地域の「開発」の是非について論ずるものではない。優れた景観をもつまち並みのうち、特に歴史的なまち並み景観を有する地域がいかに景観を保全し、その結果どのような効果若しくは課題があったのか考察したいと思い、このテーマを選択させていただいた。

2.歴史的なまちづくりの事例

 全国各地には歴史的なまち並みが存在している。しかし、何らかの保存運動が起こるまでは、まち並みにそぐわない改築、改修若しくは解体が散見され、多くの地域で歴史的な価値が失われていった。
 日本での歴史的な建造物を保護する組織的な活動の曙は、昭和39年、鎌倉市の御谷地区を開発から守るため、地域住民らが募金活動を行い、開発の対象となっていた土地を購入した例が保護活動の最初の事例のひとつと思われる。
 それでは、これまで歴史的な建造物やまち並み保存がどのように行われてきたのか、わが国の制度を中心にその概要等をみていきたい。

(1)伝統的建造物群保存地区

 これは、昭和50年の文化財保護法の改正によって創設された制度である。これにより、全国各地のいわゆる小京都と呼ばれる地域や城下町、門前町といった歴史的なまち並みの保存が促進されるようになった。
 伝統的建造物群保存地区の制度概要については、次のとおりである。

  • ①建造物の修理(伝統的建造物)・修景(伝統的建造物以外)について
    伝統的建造物の修理については、建物自体の価値を減ずることのないように実施される。また、伝統的建造物以外の建物の増改築等についても、保存計画に従い色彩等に留意した修景が行われる。
  • ②展示施設等の整備について
    伝統的建造物群保存地区を地域外へ情報発信していくため、伝統的建造物の空き家を利用して、展示機能や案内・交流機能を持たせた施設整備を行う。
  • ③社会基盤の整備について
    周囲の道路、街路といった社会基盤の整備については、施設本来の機能性、安全性は言うまでもないが、伝統的な建造物との調和を図り、周囲と違和感のない整備が肝要である。
  • ④維持費に係る助成等について
    伝統的な建造物の所有者が修理等を行うにあたり、保存計画に基づいた一定の基準、制限を強いる可能性があるため、行政等からの何らかの支援、援助が不可欠である。主な支援策としては、固定資産税の免除などがあげられる。また、伝統的建造物以外の建物の修景においても、補助がある場合もある。

 国は、全国の伝統的建築物群保存地区の中でもさらに価値の高いものを重要伝統的建造物群保存地区として選定しており、平成19年1月1日現在で、38都道府県68市町村79地区(合計面積2,996.3ha)となっている。
 都道府県別にみると、選定箇所数では京都府が7地域と最も多く、続いて長野県の5地域である。選定されている面積は、長野県の1,348.4haが最も多くなっており、全国の選定面積に占める割合は45パーセントとなっている。特に長野県南木曽町の妻籠宿は1,245.4haと全国で最大規模である。
 山梨県内では、重要伝統的建造物群保存地区は、1地域であり、早川町赤沢が山村・講中宿として選定(平成5年7月14日)されている。

(2)古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法

 京都など、かつて歴史上の政治、文化の中心であった「都」などにあたる地域がいくつか存在する。その地域の歴史的な建造物を周囲の環境と一体とした歴史的風土を後世に引き継ぐため、さまざまな措置を講じる「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(以下「古都保存法」という。)が昭和41年に施行された。
 この法律は、京都市、奈良市、鎌倉市、天理市、橿原市、桜井市、斑鳩町、明日香村、逗子市、大津市の10自治体が該当する地域となっている。法の制定された理由は、昭和30年代後半から京都双ヶ岡など歴史的に重要な建造物を取り巻く状況が悪化したことによるとされている。

 制度の概要として、

  • 歴史的風土を保存するために、一定の地域を「歴史的風土保存区域」に指定する。
  • 指定された区域についての歴史的風土保存計画を策定し、区域の原風景を保存するための各種規制やさまざまな整備について定める。
  • 歴史的風土保存区域の中で、特に歴史的要素が強いと認められる地域については、「歴史的風土特別保存地区」を設定することができるようになっている。
  • 歴史的風土特別保存地区では、歴史的風土保存区域よりも規制が厳しく、工作物の新築改築、屋外広告物の掲出、建築物等の色彩を変更する場合等は、知事の許可が必要となる。

 このように、古都保存法に存する区域では、経済活動等が一部制限されるとみる向きもあるが、当該地域内の土地所有者にとっては、相続税の延納に伴う利子税の利率が軽減されるなど、優遇税制により経費節減できるメリットもある。

(3)明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備に関する特別措置法

 明日香村には石舞台古墳をはじめとする日本の律令の時代の歴史的にみても類い希なる文化遺産が数多く残されている。
 そのため、明日香村全域を保存の対象とした「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備に関する特別措置法」(以下「明日香村特別措置法」という。)が昭和55年に制定された。
 この法では、村全体が保存対象地域になっており、住民生活に規制を強いることとなり、生活の質の確保が大きな課題となる。このため、歴史的風土の保存と同時に住民の生活基盤を整備していくという両面からアプローチしている点が特徴である。

(4)まちなみ環境整備事業

 地域の歴史的な景観のみに特化した修景施策ではないが、良好なまち並みを形成するための国の補助事業である。
 事業の目的としては、「住宅が密集し、かつ生活道路等の地区施設が未整備であること、住宅等が良好な美観を有していないこと等により住環境の整備改善を必要とする区域において、ゆとりとうるおいのある住宅地区の形成のため、地区施設、住宅及び生活環境施設の整備等住環境の整備改善を行う地方公共団体及び土地所有者等に対して国等が必要な助成を行う」というものである。
 対象となる区域は、面積が1ヘクタール以上で、かつ地方公共団体の条例等により、景観形成を図るべきこととされている地域である。国からの補助を受ける場合には、「まちなみ環境整備事業計画」を定める必要がある。
 この計画に基づき、小公園の整備、生活道路の整備、地域住民による塀などの修景に対して補助がなされる。
 この事業の成否は地域住民の理解が大前提となる。計画に沿った修景を地域住民が取り組んでいかなければ、事業の効果は得られない。そこで、行政は地域住民と計画段階から十分に話し合いの機会をもち、計画づくりをしていく必要がある。

3.歴史的まちづくりの取り組みについての考察

 ここまでは、歴史的まち並みを保全する仕組みを国の制度を中心にみてきた。ここからは、これらの制度がどのような効果、成果をもたらしたのか振り返ってみたい。
 自治体が施策立案するにあたっては、何らかの効果や成果を事前に予測することになるが、歴史的なまち並みを整備してきた自治体はどのような効果、成果を求めてきたのであろうか。
 財団法人地域活性化センターが1,887の自治体へアンケート調査を実施して、報告書としてとりまとめた「景観による美しいまちづくり調査研究報告書」(平成19年3月)の中で、歴史的なまち並みを形成するにあたり、どのような効果、成果を求めたかという質問を実施している。これに対しては、自治体は「地域共通の資産であるとの考え方」(72.7%)という回答が最も多かった。次いで「地域イメージ・ブランドの向上」(38.0%)、「観光振興」(36.8%)と続いている。
 このことから、観光振興というような経済効果を求めているだけではなく、地域住民の大切な財産、地域のシンボルであることを認識させることにより、地域コミュニティの醸成を図っていることが推察される。
 次に、歴史的なまち並みを整備したことによって、実際にどのような効果がもたらされたのであろうか。
 まず、数値で捉えられるものとしては、観光客数の増減が挙げられよう。北九州市にある門司港の整備を事例にみていきたい。
 門司港の築港は、明治22年で、九州の起点として、また物流の拠点として栄えた。しかし、戦後、産業構造や交通体系の変化などに伴い、ターミナルとしての機能はだんだん低下していった。それに伴い、門司港の最盛期に建設された近代的な建造物も見向きもされなくなった。ところが、昭和63年、北九州市は「北九州市ルネッサンス構想」を策定して、門司港地区の近代遺産である駅舎などの保存が図られた。特に、第1期の整備(昭和63年~平成6年)は、歴史的建造物の修景の整備が行われている。これらの整備による効果としては、観光客数の増加がある。北九州市産業経済局の資料によると、門司港の第1期の整備が終了した翌年の平成7年度には、107万人だった観光客が、平成20年度には224万人となり、約117万人増加した。

157-2-1

出典:北九州市産業経済局

 しかし、歴史的景観を有しているからといって、入り込み客数が増加しているわけではない。また、入り込み客数があっても、地域経済、地域振興の活性化につながっていない地域もある。もちろん、歴史的まち並み景観の目指すものは観光振興だけでないが、同じ歴史的まち並みの景観を有する地域で、入り込み客数に違いが生じたり、地域振興の進捗状況に差があるのはなぜであろうか。理由は幾つかあると思うが、面的な景観づくりやそれぞれの建造物が利活用されていないのも理由のひとつであろう。

4.新たな歴史的なまちづくりの制度概要について

 前章では、これまでの歴史的なまち並みを保全する制度の成果を見てきたが、その一方、面的整備の限界、建造物の利活用といった課題の一端も垣間見えた。それは、制度ごとに置かれた力点が違うからである。例えば、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」によるまち並み保存では、京都、奈良といった限定した地域の周辺環境の保全に特化したものとなっている。また、文化財保護法によるものは、文化財自体の保存活用を図るものであり、広域的な整備を目的としたものではなかった。また、活用についても、限られた行為しか規定されていない。
 つまり、これまでの歴史的なまち並み保存に関した各種施策は、広域的な整備、活用が十分でなかった。ここに効果的なまち並み整備が進まなかった理由があるのではないか。
 そこで、この課題を解消すべく制定されたのが「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(以下、「歴史まちづくり法」という。)である。
 それでは、法律の概要をみていきたい。地域には、城や仏閣など歴史的な価値のある建造物が存在する一方、伝統や文化を背景とした地域特有の風景が息づいているが、このようなハードやソフトが共存する環境「歴史的風致」を後世に継承するために平成20年に制定された。
 この法律の特徴は、重要文化財として指定された建造物、重要伝統的建造物群保存地区だけではなく、その周辺で、歴史的風致の維持向上を図る必要がある区域を重点地域として設定し、歴史的風致維持向上計画を策定することができることにある。
 この計画を市町村が策定することにより、さまざまな特例措置や、各種事業の支援を受けることが可能となる。
 法律上の特例措置としては、重要文化財等に関する文化庁長官の権限に属する事務のうち現状変更許可等に関するものの一部を当該市町村の教育委員会で行うことができるなどの特例が認められる。
 事業の支援としては、「まちづくり交付金」の活用により、電柱類移設等を実施し、魅力的なまちづくりを推進していくなどのメニューが用意されている。
 併せて、祭りや伝統行事などのソフト的なものに対しても支援策があり、ハード、ソフトの両面から歴史的なまちづくりを総合的に支援している。
 このように、総合的なまちづくりを推進できることは大変魅力的な制度であるが、自治体のセクショナリズムの体質では、絵に描いた餅になりかねない。この計画を効果的に推進していく上で大切なことは、市町村の文化財保護部局と都市計画担当部局が連携して進めていくことにある。
 今後は、見て、歩いて楽しい面的な整備、文化財の保存活用策が全国で展開されることを望みたい。

5.歴史的なまちづくりの事例紹介

 全国には、歴史的なまち並みが大なり小なり数多く存在している。筆者も多くの地域を訪問させていただいたが、その中で、特に感銘を受けた地域を紹介したい。
 感銘を受けたとは、まち並みがもつ観光的な価値でもなく、その規模という観点からではない。そこに住んでいる人々の先祖や建物に対しての想いからである。
 ご紹介したいのは、三重県松阪市にある御城番屋敷である。御城番屋敷は、幕末に紀州藩士が、松坂御城番職に就任した際に、住居としていた屋敷群で、築後145年以上が経過している。
 さて明治に入ると、武士の世はなくなるが、松坂御城番職に就いていた旧藩士は共同して合資会社である苗秀社を設立して、農業などに従事していくようになった。苗秀社の内規のもとで、その子孫は強い絆で繋がり、建物を現在まで連綿として維持管理してきた。その甲斐あって、平成16年12月10日、国の重要文化財に指定された。
 この建物群の概要を記すと、屋敷地約7,000㎡の周囲には石垣が巡り、市道を挟んで2列に建物が並んでおり、前面には槇垣と小庭があり、建物の後ろには、畑や井戸が備わっている。現存する建物のうち一戸を松阪市が借り受けて、一般公開を行っている。
 この御城番屋敷の最大の特徴は、松坂御城番職の武士の子孫により、継続して使用され、現在まで良好に維持管理されていることにある。旧士族の子孫が会社を設立し、建物の維持管理を行っている例はほかに聴いたことはない。
 私は、たまたま、この会社の関係者と話す機会をいただいたのだが、やはり145年以上経過している建物を子孫の手で維持管理していくことは難しくなっているという。後継者がいないなど課題は多いようである。それでも多くを行政に頼らず、自分たちの力で維持して、次の世代に引き継ごうとする強い意志が伝わってきた。
 この松阪市の御城番屋敷のようにはいかないかもしれないが、全国で展開している歴史的なまち並み形成をしている地域の参考となるのではないか。

6.終わりに

 それでは、まち並み整備で何が大切となるのか最後にみていきたい。
 これまで、歴史的なまち並みを整備するための支援制度や地域の実情などを中心にみてきた。しかし、いかに国の制度や各自治体が制定する景観条例等が整備されても、地域住民の協力や理解がなければ、歴史的な地域資源を活かしたまち並みを形成することは難しい。制度の持つ理念とそこに住む住民の想いが融合することにより、はじめて魅力的なまち並みが形作られるのである。
 具体的には、自分の住んでいるまちをどのようにしたいのか、どのようなまちに住みたいのか、住民総意のビジョンをもつことが第一に必要なことである。その上で、条例や国の支援メニューなどの制度が住民の描く青写真を具体化していくのである。
 冒頭の鞆の浦の例は、裁判まで縺れてしまったケースではあるが、徹底的に住民どうしが議論し合って、住民が納得できるまちづくりが出来るよう期待したいものである。

<参考文献等>

まちあるきの考古学(website)

Wikipedia(ナショナルトラスト運動、御城番屋敷)

伝統的建造物群保存地区(文化庁HP)

全国伝統的建造物群保存地区協議会(website)

古都保存法、明日香村特別措置法、街なみ環境整備事業(国土交通省HP)

景観による美しいまちづくり調査研究報告書(財団法人地域活性化センター)

歴史的建造物を活用した観光都市化の推進(国土交通省HP)

歴史的遺産を活用した門司港地区都市再生調査(北九州市)

伝建地区(伝統的建造物群保存地区)の現状と課題(岩井正)

月刊地域づくり平成20年11月(財団法人地域活性化センター)

歴史まちづくり法の概要(文化庁HP)

御城番屋敷と苗秀社(合資会社 苗秀社)