Vol.158-2 産業空洞化論を超えて


~大メコン経済圏に活路を開く県人企業の挑戦 前編~

公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 井尻 俊之

1.はじめに

 山梨総合研究所「アジアフォーラム21」は2011年度海外調査事業として、9月4~7日タイに調査団(風間善樹団長)を派遣し、海外に進出した中小企業のグローバル戦略について、経営者と現地幹部職員にデプス・インタビューと工場視察を行った。
 調査対象企業は、県人企業として松下製作所(笛吹市一宮町、松下清人社長)、甲府精鋲(昭和町、山本史明社長)、また国内中小企業として菊和(東京都板橋区、菊池英之社長)、国内大企業としてジェイテクト(大阪市、井川正治社長)を訪問した。さらに日本貿易振興機構・バンコク事務所(井内摂男所長)では、タイ経済と投資環境ならびに日本企業の動向について、詳細なレクチャーを受けた。
 本稿では、調査団に参加した筆者がタイで活躍する県人企業のチャレンジの実情を報告するとともに、FTA/EPA(包括的自由貿易・経済連携協定)[1]の完成により、巨大な市場統合へ向けて大きな転換期を迎えたASEANの経済戦略を分析しながら、急成長する東アジア市場、特にタイを中核とする「大メコン経済圏」における県内中小企業の活動環境について、可能性と課題を検討する。

2.松下製作所のケース

 松下製作所は精密金型設計・製作、精密プレス加工により携帯電話やOA機器の部品、自動車のABS(Anti Lock Brake System)に使われる部品などを製造している。1960年、初代松下清氏が山梨市で創業、当時の高度経済成長の波に乗り、1969年には輸出貢献企業として山梨県知事より表彰を受けている。
 その後、1991年経営拡大のため「いちのみや工場」を稼働させたが、折から円高、株価暴落などバブル経済崩壊による激震で日本経済が大揺れに揺れているときだった。当時の産業界では、「いっそうの生産コスト削減、高付加価値生産へ移行すれば何とかなる、あるいは景気が回復して内需が拡大すれば何とかなる」と言われたが、将来の先行きが見通せず、俗に言う「失われた10年(平成不況)」が始まり、深刻な経営不安が生じていた。
 このため、2代社長の松下慶麿氏は、円高対策として1995年タイに主力製造工場の設立を決意し、子息の紘審氏を現地法人コラート松下の社長に据えた。その経過を次のように語る。
 「その当時、円高で1ドル80円となり、日本産業はもう海外へ生きる道を探すしかないと考えた。タイのコラートで合弁の会社を創業して17年目になるが、その前にベトナム、マレーシア、中国などで適地を求めて調査して回った。最終的にタイに決めた理由は、仏教徒の国で日本人と心情的に近く、信頼関係が根付くだろうと国民性を見て決めた。また物価が安く、社会の様子が日本の昭和30年代と似ていて、ここなら松下製作所が日本でやってきたことを再現すればやっていけると思い、25歳になった息子の紘審と相談し、教育の一環で決めた。」
 松下製作所が進出したナコン・ラチャシーマー県コラートは北東部最大の都市である。バンコクから北東へおよそ250Kmに位置し、ピマーイ遺跡などのクメール時代などの遺跡が点在する古都である。(図1)

図1 ナコン・ラチャシーマー県コラートの街並み

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写真提供:ThaiSmile(タイ情報とフォトギャラリー)

 現地法人コラート松下には、松下製作所が資本金の65%、現地の自動車部品メーカーと日本の総合商社が35%を出資している。通常、日本から進出する中小企業は煩雑な用地取得交渉を嫌って、現地の工業団地に入居するのが通例だが、あえて単独で自社取得にこだわった。現地パートナーの支援もあって購入した土地面積は1万2000㎡、工場面積1700㎡。現在もさらに広い第2工場の新設準備を進めている。
 現在の操業状況は、日本人スタッフ6人を含む約500人の従業員を雇用し、ハードディスクドライブ(HDD)やデジカメ、プリンターなどの部品などを生産している。本社の従業員数が63名(09年4月)であるからタイ工場の方が規模ではるかに上回る。生産部品の出荷先は、タイ国内の日系企業向けが95%で、日本向けは5%しかない。既に同社の事業活動は単純な円高対策ではなく、タイの現地顧客ニーズに応じた現地最適化へと進展している。
 コラート松下の松下紘審社長は、成長を続けるタイ工場(図2)について、次のように語る。
 「労働力では日本人は平均的にはタイ人より優秀であるが、タイでは個々には日本人より優秀な人材が多い。そうした優秀な人材が、日本の10分の1の人件費で雇用できる。人件費の安さがコラート松下の国際競争力の原動力になっている。」
 同社が500人の従業員に支払う月次の人件費はおよそ1,500万円。1人約3万円ほどだという。
 また社員の福利厚生のため社員食堂を設置しているが、ご飯を無料とし、おかず代を社員負担にしている。その社員の1食の負担は10バーツ、日本円でたった30円ほどですむ。そもそもタイ人は外食または中食が生活習慣となっており、食事は買って食べるのが通常だ。通常1食平均20~30バーツ(60~90円)の勘定だから、社員食堂は現地従業員にとって食費が節約できるので、好評だという。

図2 コラート松下本社工場の最新設備の前で語る松下社長と本社社屋

158-2-2 コラート松下にとってタイ政府が認定した外資企業に対する税制優遇も大きな魅力になっている。松下社長は語る。
 「進出企業の収益に対する法人税は当初の8年間無税の特典がある。タイ政府は現地の雇用に貢献する企業を評価・認定している。バンコクを中心に郊外にむけて、第1、2、3ゾーンとあり、田舎に工場を開設すれば特典が厚くなる。企業として日本では考えられない楽ができる」
 どんなに収益をあげても特典期間中は法人税が課税されることがないので、利益がそのまま内部留保に回せる。特典期間終了後についても、タイでは現在法人税の大幅な引き下げ(税率30%→20%)が予定されており、日本とは大きな違いだ。同社では最近隣接地に5,000坪の敷地に新工場を増設したが、その費用4億円は内部留保で賄い、無借金経営である。
 また、タイへの進出時期が早かったため、日本国内での系列取引という下請け、孫請け縛りの慣習がなく、日本国内で頂点に立つメーカーと「納期、品質、価格」をクリアできれば対等に取引できたことも魅力だった。現在同社の直取引先には日立、スタンレー、ニコン、JVCなどのメーカーが名前を連ねる。
 タイ市場のチャンスは人材、技術、資本の全分野に渡っている。日本国内では利益を出しても高い法人税により、資本の蓄積がおぼつかない。一方、タイでは外資企業の税制特典により、どれほど利益を出しても無税で、その留保利益は山梨の本社に送金することも、現地で新たな分野へ挑戦するための資本に回すこともできる。
 しかも、山梨本社への資金還元については、日本政府が2009年税制改正で海外子会社からの配当金還流をほぼ免税扱いとする是正措置をとり、海外の出資法人があげた利益の国内還流の環境が整った。同社では、本社の新たな戦略展開のための資本を確保することが出来るので、高く評価すると言っている。
 結局松下製作所がタイに進出したことは、山梨の本社と雇用を守ることになった。急成長するタイに生産拠点があるので、山梨の工場がやっていける。現在の歴史的な円高も、タイから見ると、世界マーケットを目指す企業発展のチャンスになるという。
 同社の今後のグローバル戦略について、現地で17年間の創業経験を積んできた松下社長はタイにおけるミニ山梨工業団地構想として「タイ山梨村」の可能性に言及している。
 「タイから見ていると、山梨の産業空洞化は避けられない。山梨だけの頑張りでは、よくても現状維持になっている。しかし、日本には日本の役割がある。山梨の青年工業会の仲間には、お父さんが元気なうちに海外を経験しろと繰り返し言っている。海外に進出するからと言って、山梨の工場を閉めることはない。今なら、ここに山梨村を作ることができるので、私も出来る限りの応援をする。可能性は今決断できるかどうかにかかっている。まだ間に合う。実際には決断できる人が少ないが…」
 「タイ山梨村」は夢物語ではない。既に東京都大田区は2006年、バンコク近郊のアマタ・ナコン工業団地に「太田テクノパーク」を開設し、大田区中小企業のグローバル戦略の拠点を確保している。これは「大田区モデル」とも呼ばれ、公益財団法人大田区産業振興協会と同工業団地を開発運営する現地のアマタコーポレーションPCL社に委託して、区内中小企業の海外戦略を支援する賃貸集合工場として運営されている。
  松下社長の構想は、山梨県の産業界にとって極めて重要なグローバル戦略を示唆している。しかも郷里山梨県に社会貢献することも忘れていない。松下社長は現地で築いた17年間の活動実績をもとに、地元の県やタイの各界に人脈を築いており、昨年はそのコネクションを活かして、ナコン・ラチャシーマー・ラチャパット大学と山梨県立大の学生交換交流提携の締結を支援した。

コラート松下にとっても、この大学提携の支援は人材確保の重要な意義を持っている。ラチャパット大学では山梨県立大との提携で日本語・文化に堪能な人材育成を行い、タイの日系企業に有利な条件で就職させることが出来る。実際にJETROの調査でも、日本語が堪能な人材は通訳として、初任給でも通常のタイ人に比べて2~3倍の収入を得ることが出来るのである。

3.甲府精鋲のケース

 甲府精鋲(山本史明社長)は1972年、現代表取締役会長の山本武彦氏が自動車部品の圧造加工を目的に敷島町で個人創業。合わせて成長産業となった家電部品の生産も始めた。その後、順調に生産規模を拡大し、1983年に県基幹工業団地である釜無金属工業団地へ入居し、本社工場を建設した。
 製造品目は、コンピューター関連機器、情報通信機器、自動車など多岐にわたる業界に向けて、ヘッダーと呼ばれる特殊圧造や転造加工による部品(ねじ、リベット、シャフト類)等の製造販売を行っている。
 山本会長が海外の100%出資子会社として、コービョータイを創立したのは1994年のこと。タイに工場進出を決意した当時は、円高、株価暴落などバブル崩壊による経済成長の停滞が始まっていた。そのなかでなぜタイへ進出を決めたのか、その経過について、山本会長は次のように語る。
 「その当時、このままでは会社が行き詰まってしまうという圧迫感で、会社を守るために、どうしたらよいか分からず、毎日が不安な状態だった。それで有力な取引先がタイへ進出するという話を聞いて、海外進出のための羅針盤がない時代だったが、未知の海に活路を求めることを決断した。それがタイに工場を造ることだった。」
 山本会長は、そのどうしたらよいか分からないという、将来の進路に選択肢のない閉塞した状況のなかで、山梨の殻を打ち破り、海外で製造業として生き残る道を切り開こうとした。そのとき、定めた会社の基本方針が「小さくても、世界の中で生きてゆける会社をめざす。」というグローバル戦略である。英文の表記では、世界のコミュニティに受け入れられるよう、適応していくという“企業生態学的な決意”が明快に込められている。それは円高に苦しんだ末に到達した、日本の経済的桎梏を超越するための独自のグローバル経営哲学とも言える。

甲府精鋲の英文基本方針)

Although the company is small, we aim at building up Kohbyo so that it can be well accepted by the community of the world.

 コービョータイの本社工場は、バンコクから東に57km、車で1時間ほどのチョンブリ県にあるアマタ・ナコン工業団地内に入居した。同社の工場敷地6,560㎡、工場建物面積4,950㎡、従業員270名と、山梨の本社工場(敷地面積4,848.2㎡ 建物面積2,285.4㎡、従業員52名)より大きい。製造品目は家電・自動車向けの特殊圧造や転造加工によるネジ、リベットなどである。

図3 コービョータイの山本会長(中央)と10月から稼働する本社第2工場

158-2-3 結果として、コービョータイがアマタ・ナコン工業団地に立地したことは大正解だった。同社によると、同工業団地の規模は1989年の設立以来、毎年拡大を続けており、現在は敷地面積2,720万㎡、東西に約15kmというタイ最大の工業団地である。その入居企業は約550社、世界20カ国から進出し、そのうち6割にあたる330社が日系企業である。特にトヨタ、ソニーなど自動車と家電関連の企業が巨大なクラスターを形成し、組み立てから部品製造までの裾野産業が大きく広がっている。日系企業にとってアジアにおける戦略的拠点の位置づけがされているという。
 こうした旺盛な日系企業の進出環境のなかで、工場設立から3年ほどでパナソニック、ソニー、ミネベア、オムロンなどの大手から次々に部品の注文が入るようになり、近年は年商10億円の売上を確保している。タイの旺盛な経済成長により、経営面では2010年度までの14年間、比較的高収益の安定経営を続けてきた。
 山本会長は「タイにこなかったら、山梨の工場はどうなっていたかと思う。こちらでは政府に認定された外資企業の特典として、法人収益は非課税なので、内部留保を確保することも出来た」と語る。旺盛な需要を見込んで、この9月にはアマタ・ナコン工業団地内に新規第2工場を稼働させ、一層の増産体制に入る。(図3)現在の受注先は89社にのぼるが、新規の客先開拓のため、タイ人3名による営業チームを設置し、営業活動の強化も図っている。
 その一方で、山梨工場では、精密かつサイズの小さな部品の製造に特化し、KEYロックスクリュー(緩み止め機構付きねじ)等の高精度、より高難度な高付加価値部品に挑戦することで、世界的視野のもとに、アジア、日本を一つの経済圏ととらえ最適地・最適生産体制を目指している。
 同工業団地にはコービョーに続いて1998年、南アルプス市野牛島の三栄精工[2]がサンエイタイランドを設立し、東南アジア市場の生産拠点として、自動車・OA機器等の精密切削部品を製造している。また2007年、大月市初狩町の大月精工が大月精工タイランドを設立し、精密部品、小型歯車などの製造を行っているなど、アマタ・ナコン工業団地は山梨県企業と縁が深い。

4.県人企業が挑戦する大メコン経済圏の可能性

 今回の海外調査の目的は、現下の急激な円高のなかで、地域の中小企業が生き残る道の選択肢を模索することも大きな課題であった。
 帝国データバンク甲府支店が、9月6日発表した「山梨県・産業空洞化に対する企業意識調査」(7月19~31日、県内171社を対象。回答率53.2%)によると、回答企業の79.1%が産業空洞化を懸念し、同時期に実施した全国調査の平均(75.5%)に比べると2.6ポイントも高くなっていた。
 全国調査では、滋賀(87.2%)、福井(86.1%)、長野(83.3%)などに続き、山梨は11番目と上位に位置している。同支店では、産業空洞化の懸念が上位にランクされた地域では「山梨をはじめ電気機械、電子部品などの製造業が強い地域が並んでいる」と分析している。
 一方、同時期に甲府商工会議所が実施した「円高に関する緊急FAX調査」(会員事業所252社を対象)でも、円高によりマイナスの影響を受ける事業所は61.0%に達しており、県内中小企業の苦境は極限に達している。
 山梨からタイに進出した県人企業の活動事例は、まさに上記の円高によるマイナスの影響を緩和するための一つの対策のあり方を示唆している。
 そのタイ進出県人企業が今、新たな経済成長のステージを迎えている。各社の関係者は、現在、東アジアではタイ、さらにASEANをハブとする壮大なFTA/EPA網が張り巡らされ、急速に市場統合が進んでいることを歴史的なチャンスとして強調する。それはアジアにとって新たな希望の時代の始まりでもある。(図4)

図4 ASEANをハブとする東アジアの市場統合の本格化(FTA/EPA発効状況)

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(出典:経産省通商白書2011)

 通商白書2011(経産省)によると2010年、ASEAN原加盟国6か国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ)の間で全産品の関税が原則撤廃されるとともに、物品分野については「ASEAN + 1」のFTA が発効し、東アジア地域の市場統合が新しい段階に進んだ。「ASEAN + 1」FTA とは、ASEAN と周辺6か国(日本、中国、韓国、インド、豪州、ニュージーランド)が個別に結んだFTAである。
 そればかりでなく、この市場統合の動きは東アジア諸国のEPA協定の発効へと進展している。日本は現在、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ブルネイ、アセアン全体、フィリピン、及びベトナムとのEPA協定を発効し、投資規制の撤廃など相互の経済連携の強化を推進している。
 この市場統合の衝撃により、東アジア・豪州全体にまたがる関税のないサプライチェーンが達成され、エリア内の製造業の高度化はさらに進展していくことになる。それと同時に、東アジアは経済成長による巨大な消費市場としての姿をいっそう鮮明に現してきた。ASEAN+中国、インドだけでも現在の人口は合計30億人超の巨大なマーケットが動き出している。
 JETROバンコク事務所では、この東アジアのサプライチェーンの完成の中で、中国・インドという超大国の中間に位置するタイは、戦略的な要衝としての性格を強く打ち出していることに注意を促している。それは大メコン経済圏(メコン川流域、Greater Mekong Sub-region=GMS)開発構想と呼ばれ、中国に続く新たな東アジアの発展軸として注目されている。
 GMSでは、タイを中心にベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、中国(雲南省、広西チワン族自治区)において、FTAの締結と並行するかたちで、関税フリーの物流インフラとして高速道路網(アジアハイウェー)の整備が進み、従来の輸出入を担っていた海運に取って代わる物流革命が進んでいる[3]。主な幹線では東西回廊(ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー)、南部回廊(ベトナム、カンボジア、タイ)、南北回廊(中国雲南、ラオス、ミャンマー、タイ)など大メコン圏を縦横にトラック輸送で交流し、ヒト、モノ、そしてカネの動きが活発化する。
 この大メコン経済圏のなかで、山梨県人企業であるコラート松下(ナコン・ラチャシーマー県)は中央回廊に立地し、またコービョータイ(チョンブリ県)は南北回廊・南部沿岸回廊に立地し、それぞれ大メコン経済圏のほぼ心臓部にあたる要衝に、企業成長の橋頭堡を築いている。(図5)
 県人企業が、自社のポジションを東アジア経済統合というビッグチャンスの場に定め、今後の中長期的な成長基盤を築いている。リスクを取った者だけに許される先行者利益を満喫できる時期は、今始まろうとしているようだ。(後編に続く)

図5 大メコン経済圏(GMS)の物流インフラ網整備と山梨県人企業の戦略的ポジション(白矢印)

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(出典:Asian Development Bank・GMS Economic Corridors、JETRO資料を基に加筆)


[1] EPAとFTA:FTAは、Free Trade Agreementの略称で、「自由貿易協定」と呼ばれ、国や地域同士で「輸出入にかかる関税」や「サービス業を行う際の規制」をなくすための国際協定。EPAは、Economic Partnership Agreementの略称で「経済連携協定」と呼ばれる。FTAを柱に、さらに「投資規制の撤廃」、「知的財産保護の強化」、「技術協力」等を含む、幅広い経済関係の強化を図る国際協定である。

[2] 出典:三栄精工HP http://www.sjcnet.co.jp/  大月精工HP http://www.ohtsuki.jp/

[3] 山梨総研「アジアフォーラム21」における日本総合研究所主任研究員・坂東達郎氏の講演「インドシナ半島で進む地域経済統合と物流整備」(平成19年5月15日)によると、バンコク・ホーチミン間の物流日数が海運で1週間かかるものが、南部回廊で3日に、バンコク・ハノイ間では2週間が4日程度にそれぞれ短縮されると報告されている。輸出入の関税手続きがなくなれば、さらに所要時間は短縮されるという。