Vol.161-2 五感を活かしたまちづくり
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 矢野 貴士
1.はじめに
週末になると、都会でサラリーマン生活をしている同級生の多くが、故郷の山梨へ帰省してくる。彼らに帰省理由を問うとその多くは、満員電車やコンクリートのビル街から逃れ、癒しを求めて、自身のルーツである山梨へ戻ってくるのだという。
私の友人だけでなく、都会で生活する方の多くが、忙しさから逃れて心地よい日常生活を送りたい、癒されたい、ホッとしたいと望んでいるのではないだろうか。
山梨には、都会人がホッとできる心地よい素朴な価値があるが、普段当たり前に生活していると、そうした素朴な価値への気づきが少ない。心地よさはとらえる人によって異なり、定量的な把握は困難であるが、私たちの身体に備わる五感をセンサーとして、上手に活用していくことで新たな気づきが生まれる。
過日、サウンドスケープ(音の風景)を専門に研究している、日本サウンドスケープ協会により、勝沼を舞台に地域の音に耳を傾ける「サウンドウォーク」というイベントが開催された。「音を聴く」をテーマに開かれたこのイベントでは、勝沼ぶどう郷駅を出発点とし、大日影トンネル遊歩道を抜けて勝沼堰堤まで歩いた。ガイドの方によると、その昔、地域住民は、大日影トンネルを甲府方面へ抜ける近道として、利用していたそうだ。電車が近くまで来ているかどうかは、枕木の振動やかすかな音から察知していたという。
当時の様子を思い浮かべ、ひんやりと冷たい枕木に耳をあて、石で叩いて音を確かめると、トンネル内に心地よい金属音が響き渡る。地下を流れる水の涼しげな音も聴こえ、普段意識が向かない音の風景を存分に楽しんだ。「音を聴く」というテーマを持って歩くだけで、いつもの見慣れたまちとはまったく違う姿が浮かび上がってくるのは新鮮な驚きであった。
「視覚」のみに頼るのではなく、「音」「匂い」「触覚」「味覚」といった五感を研ぎ澄ませ、人間本来の感覚を覚醒させることが、地域の歴史・文化や魅力的な地域資源の再発見、個性的なまちづくりに必要なのではないだろうか。
本稿では、環境省が積極的に取り組んでいる感覚環境のまちづくりの概要、全国各地で行われている個性的なまちづくりの取り組みについて、紹介するとともに、感覚環境のまちづくりの可能性を探っていきたい。
図1 サウンドウォークの様子(勝沼大日影トンネル内)
2.感覚環境のまちづくり
ここでは、環境省が積極的に取り組む感覚環境のまちづくりについて、同省が策定した「感覚環境の街作り報告書」の内容を踏まえ、感覚環境の必要性、施策の方向性、まちづくりの進め方についてそのエッセンスを概説する。
「感覚環境」とは、熱・光・かおり・音など、人間が五感を通じて感じる環境のことである。
環境省では、各地域の自然・文化・伝統などに基づいた、固有で豊かな感覚環境を再発見し、それを活かしたまちづくりを進めていこうと積極的に取り組んでいる。
(1)感覚環境の必要性について
「感覚環境の街作り報告書」では、次のとおり、①まちづくりにおける感覚環境のデザインセンス導入の必要性、②騒音などの悪影響要因のみに着目する問題対応型ではなく、川のせせらぎや虫の声のような環境設計型の対応の必要性、③環境配慮型から、環境主導型へ、更に全国一律の画一的なまちづくりから住民主導型のまちづくりへの転換の必要性を説いている。
※ 以下①~③は、「感覚環境の街作り報告書」から必要性について一部抜粋
① 街作りに感覚環境のデザインセンスを入れ込む 今後の都市更新においては都市住民の生活の質と広域を含む環境への両面を配慮することが重要であるが、そのためには熱、光、かおり、音といった人間の感覚に着目した新たな視点を街作りに盛り込むことが重要である。まちの熱環境、光環境、かおり環境、音環境といった感覚要素は、町の文化・個性・快適性を形作る重要な要素であり、街作りにはこのような感覚環境のデザインセンスを入れ込んでいく工夫が必要である。
② 問題対応型ではなく環境設計型の対応 熱、光、かおり、音といった切り口から、都市環境を改善するためには、「過剰排熱」「過剰照明」「悪臭」「騒音」といった悪影響要因としての環境要素に着目した問題対応型の対応ばかりではなく、例えば、「良好な風」「文化的価値を生み出す街の灯り」「草木や花の香り」「川のせせらぎや虫の音」といった都市内に点在するより広範な環境要素に着目した環境設計型の対応に目を向ける必要がある。
③ 環境主導・住民主導の街作り 量的基盤整備に対応した第一世代の街作りと異なり、質的要素を重視する第二世代の街作りは、「環境配慮型」から「環境主導型」へ転換していくという発想の転換が必要と考えられる。また、従来の基盤整備型の街作りでは、全国一律の基礎的ニーズを満たすことが優先されたために、とかく画一的になりがちであったが、これからの街作りは「住民主導」の観点を活かしていくことも重要となる。 |
(2)感覚環境のまちづくりに向けた施策の方向について
同報告書では、感覚環境のまちづくりを総合的に推進する方策として、感覚環境に関する情報の整備、環境のまちづくりに関する環境教育の充実、感覚環境設計の専門家など人材育成を挙げている。
施策の方向性について、特に行政がなすべきこととして、①感覚要素単体の専門家ではなく、まちづくりの視点でデザインできる専門家の育成と活躍の場としての受け皿づくり、②まちの感覚環境を継続的に観察・管理する市民レベルの人材育成、専門家と市民の連携など市民を巻き込んだ普及啓発の取り組み、③従来の行政主導型のまちづくりではなく、環境主導・住民主導のまちづくりに対する制度的なバックアップを挙げている。
図2 感覚環境のまちづくりの方向性(出典:「感覚環境の街作り報告書」)
※ 以下①~③は、「感覚環境の街作り報告書」から施策の方向性における行政の役割について一部抜粋
①専門家の育成と活躍の場の確保 感覚環境のデザインセンスの必要な光、かおり、音について、感覚要素(光、かおり、音)ごとに専門家はいるが、「街作り」という視点でデザインできる人材はごく少数に限られている状況にある。環境の街作りを実行していくためには、①地域や街区の感覚環境についてデザインできる専門家が有すべき要件を明確化するとともに、②そのような要件を満たす人材の養成と、③そのような人材が活躍できるような社会の受け皿づくりが必要となる。
②市民啓発 感覚環境は、地域により、また受け取る人側の感性により、望ましい姿がことなることから、上述の専門家のみならず、街の感覚環境を継続的に観察・管理していく市民レベルの人材の育成やそのような人材が活躍できる場や体制の整備も重要である。専門家と各地域の市民レベルの人材が連携して、街の地域特性(自然、文化、歴史、住民特性等)に応じた環境の街作りを進めていくことが必要である。
③住民主導・環境主導型の街作り 環境の街作りには、地域の環境特性や住民の意思が十分に反映されることが必要であり、地方公共団体には従来の行政主導型の街作りから一歩進んで、環境主導・住民主導の街作りを支援していく姿勢が求められる。 |
(3)感覚環境のまちづくりの進め方について
同報告書では、感覚環境のまちづくりの進め方として、まずは住民が住んでいる地域のことを、自身の五感を使って固有性を再発見して評価し、まちづくりのデザインへつなげていくことが重要であり、その上で関係者が十分に協議する場、具体的に実行する組織をつくり、行政が当該組織と連携し、側面支援を行うことが望ましいと述べている。
3.個性的なまちづくりの取り組み
(1)飛騨里山サイクリング(株式会社美ら地球(ちゅらぼし)の事例)
平成22年度、五感で楽しむまち大賞(環境大臣賞)を受賞した、「飛騨里山サイクリング」は、飛騨地域のありのままの感覚環境を活かした持続可能なまちづくりを進めている。
従来のサイクリングとは異なり、地元に精通したガイドが飛騨のありのままの日常の魅力を、少人数のサイクリングツアーによって案内し、一般的な観光のように名所旧跡を訪ねるのではなく、飛騨の細径・小径をゆっくりとめぐり、実際にそこに住んで暮らしている人と生でふれあうことができる。
2度3度と訪れるリピーターも多く、プログラムツーリズムとして機能しており、今そこにある感覚環境を知ってもらうこと、そこに住んでいる生活者と深いコミュニケーションをとることができる新しい旅のスタイルとして人気を集めている。
このように、自分たちの住む地域の感覚環境に付加価値をつけるとともに、地域にできるだけ負担をかけないことで、伝統的な飛騨のクオリティを維持しつつ、持続可能なまちづくりを進めるなど、五感を活かしたまちづくりへの萌芽が見られる。
(2)NPO法人つなぐ(地域住民を巻き込んだ取り組み)
山梨県で活動を行う「NPO法人つなぐ」は、山梨県立博物館、山梨県立文学館、各自治体や商工会などとともに、県内の地域資源を巡る、3~5km程度(徒歩90分程度)のツアーコースをつくり、各コースに応じた「ガイドブック(まちミューガイドブック)」を作成している。
既に県内全市町村のガイドブックを作成しており、2003年からスタートして、200コースが完成、各コースには案内人(コンシェルジュ)もおり、いつでもツアーへ参加できる仕掛けが作られている。これだけのツアーコースがあり、さらにガイドブックまで用意されている所は他の都道府県にもめずらしく、同法人の活動により、山梨県がフットパスの一大メッカとなっている。
私もガイドブックを片手に、韮崎市の神山地区を五感のセンサーを働かせて歩いた経験があるが、イラスト付きのため、気軽にまちの文化財やまちの歴史を知ることができ、更には住民や地域の食、田に流れる水の音等に触れることで、文献だけでは分からない、地域の魅力を堪能することができた。
過日、山梨県立大学で行われた同法人代表の山本育夫氏が講師を勤めるセミナーへ参加した際、「フットパスは、文化を楽しむというより、地域の方とのふれあいを楽しむことに重きを置いている」との話があった。
また、ツアーコースの作成にあたって、地域へ何度も取材へ行くそうだが、当初は地域住民が構えてしまうため得られる情報は限られても、取材の回数を重ねることで、地域住民の側に変化がみられるという。例えば、取材当初には汚れていた境内やトイレを地域住民が自主的に清掃するなど、自助作用(同氏は「ミニ奇跡」とも呼んでいた)が何度も起こる。
このように、大手のツーリズムでは、無視してしまうような地域資源にスポットを当てることで、地域の人が自ら腰をあげていくこと(地域資源の価値を再発見)が、もっとも大事なのだという。
同法人のホームページをみると、法人の設立目的は「あらゆるものをつなぐこと」とある。
県内の充分に活用されていない施設や文化資源・環境資源にスポットをあて、そういったものや場を親しみやすくし、アクセスしやすくするための「つなぐ」事業を行っている。
図3 まちミューガイドブック(韮崎市神山町編)
(3)神戸市の取り組み(行政による制度的バックアップ事例)
「感覚環境の街作り報告書」でも述べられているとおり、まちづくりには、住民の意思を十分に反映することが重要であり、地方公共団体には従来の行政主導型のまちづくりから一歩進んで、環境主導・住民主導のまちづくりを支援し、地域の環境特性や住民特性に配慮した意思決定を行える環境づくりを、制度的にバックアップする仕組みが必要である。
実際に神戸市では、「まちづくり条例(神戸市地区計画及びまちづくり条例に関する条例)」により、「明るく住みよいまちにしていくためには、住民・事業者、行政、専門家がそれぞれの責任と役割を認識しあい、お互いの協働のもと、住民主体のまちづくりを進めることが重要」との認識から、住民が中心となって、地域の課題を一歩ずつ解決していくためのまちづくり手続きを定めている。さらに、地域の実情に応じた多種多様なまちづくりのニーズに対応するため、①アドバイザー派遣、コンサルタント派遣(地元の勉強会への専門家派遣)、②まちづくり活動助成(街づくり活動団体への助成)などの支援制度を設け、バックアップを行っている。
このように、神戸市では住民を巻き込んだまちづくりに取り組んでおり、個性豊かな地域環境の創造を目指している。
図4 住民主導型のまちづくりの事例イメージ(神戸市)
(出典:「感覚環境の街作り報告書」)
4.おわりに
これまで述べてきたとおり、五感を活かし、個性的なまちづくりを進めるには、行政、まちづくりの専門家だけでなく、多くの市民を巻き込んだ住民主導の取り組みが必要である。また、地域住民が主体的にまちづくりを考える際、まずは、住民が住んでいる地域のことを、五感を使って、固有性や心地よさを再発見して評価し、まちづくりのデザインにつなげていくことが重要である。
平成22年度「五感で楽しむまちフォーラム」の基調講演において、東京農業大学名誉教授の進士氏は、我々現代人に今最も問われているのは、自らの感性を研ぎ澄ますこと、感性を育て自覚すること。そして、その目でしっかりと自分の町をみること。そこから良いものを発見し、味わうこと。L・M・Nの視点で、路傍のなにげないスポットに光をあて(L:ライト・アップ)、意味づけし(M:ミーン・イット)、名称をつける(N:ネーム・イット)ことで、その場所は風景資産として顕在化できる。まちづくりというのは、そういった作業をみんなでタウンウォッチングすることであると述べている。
五感を活かしたまちづくりへのゴールは遠いが、山梨を訪れる都会人の「癒されたい」「ホッとしたい」というニーズを満たし、地域への集客につなげるためにも、我々はあらためて「心地よさ」という素朴な価値を実現していく場所として、自身が生活する「まち」をLMNの視点で、五感を研ぎ澄ませ、見つめ直していく必要がある。
【参考文献】
- 山下柚実/荒井眞一/内藤克彦 「五感で楽しむまちづくり」 学陽書房 2011年
- 山下柚実 「五感の故郷をさぐる」 東京書籍 2001年
- R.Mシェーファー「世界の調律 サウンドスケープとはなにか」 平凡社 1986年
- 「感覚環境の街作り報告書」 環境の街づくり検討会 2006年
- 「まちミューガイドブック 韮崎市神山町編」 つなぐNPOまちミュー友の会 2007年
- 五感で楽しむまちフォーラムHP
- つなぐNPO公式サイト