Vol.169-1 討議民主主義と住民投票
山梨学院大学法学部政治行政学科
教授 外川 伸一
2011年11月21日、笛吹市議会は、地方自治法第74条第1項に基づき、有権者5万7656人のおよそ5分の1にも及ぶ1万2424人の住民が署名し直接請求された多機能アリーナ建設に係る住民投票条例案を圧倒的多数で否決した。一般的にいって議会は住民の直接参加を忌避する傾向にあるようだ(岡本光彦)。「多様な所見や言説(discourses)を内にもつ人間を、他の人間がそっくり代表することは不可能に近い」のに、である(篠原一)。本稿では、住民自治の向上・進展という観点からこの問題について考えてみたい。
1 新聞報道に見る住民投票条例案否決までの経緯
笛吹市は、04年に旧石和町など6町(06年に旧芦川村が加わる)が合併し誕生した。その際の新市建設計画に、「生涯学習の拠点、スポーツ施設」の整備が位置づけられた。08年、荻野市長は、2期目のマニフェストに、これを「各種団体の全国大会や屋内スポーツ県大会が開ける多目的施設の整備」と明記し当選を果たした。これを受けて、翌年、市は多目的ホール整備構想を発表し、翌10年、建築の専門家などで構成される多機能アリーナ建設委員会を発足させた。
この多機能アリーナは、合併特例債の対象になり、総事業費約45億円のうち、起債対象は95%で、その70%の元利償還金、つまり30億円程度が後年度に地方交付税交付金の形で措置される。市の実質負担額は15億円程度となる。これには、市の一般財源と公共施設等整備基金を充当するというのが市の計画である。
市の説明では、合併特例債の発行により、実質公債費比率は10年度の13.8%から、19年度には18%程度に上昇するという。この数字は、起債に当たって知事の許可を必要とする水準であるが、市では市政に影響が出ないようにするとしている。なお、アリーナの建設によって、毎年度の維持管理費が必要となるが、市ではこれを8千万円程度と見積もっている。
これに対し、反対派市民グループは、建設は子孫に負担を転嫁するものなどと主張し「市民の声を届ける会」を結成するなど反対運動を展開し、11年秋頃からアリーナ建設の是非を問う住民投票条例の制定を求めて署名運動を始め、自治法上必要とされる有権者の50分の1の実に10倍の署名を集め、市議会において条例案の可否を問うことになったのである。
2 住民投票は住民自治を高めるか
条例に基づく住民投票は、市町村合併に関する案件がほとんどであるが、現在までに400件以上も実施されている。確かに、住民投票は活発で有効な議論を誘発することもある。96年に行われた新潟県巻町(現新潟市)における東北電力の原子力発電所建設をめぐる住民投票は、それに至る過程で様々な形の議論が展開された。また、03年の北海道奈井江町の合併問題の住民投票においては、町による情報誌の発行と公平な情報提供をもとに、町民懇話会、団体別対話集会、小学5年生以上の子どもによる討議及び投票など町民全体を包摂した討議が1年半にわたって行われたという(篠原一)。
しかし、一般的に、投票前の議論はパトスとパトスの衝突に終始し建設的な討議を誘発することは少ないと言わざるを得ない。そして、こうした後に実施される住民投票においては、「明確な意見を持っていないにもかかわらず、持っているかのように回答する」者、つまり、「熟慮された判断の対極にある」<非態度>(nonattitude)に甘んじる者(坂野達郎)が圧倒的に多くなり、住民投票は住民自治の進展にほとんど役立たない。また、こうした<非態度>は、政治参加に必要な情報を集める行動を高コストと見なし、それによってもたらされる便益に見合わないとして情報収集を「合理的」に断念する<合理的無知>(rational ignorance)と結びつくことになる(坂野達郎)。これらの行動はポピュリズムの決定的要因となる。
3 住民投票の前提としての討議
そこで、住民が自らの意思決定を行う住民投票の前段として、自らの意思形成(選好形成)を行うための討議(deliberation)が必要となる。そして、こうした討議は、(住民の)代表性と討議性の双方を具備しなければならない(柳瀬昇)。また、住民の<合理的無知>や<非態度>を払拭させるような装置を内蔵しなければならない。以下、これについて、柳瀬昇の例を参考に見ていくことにしたい(図参照)。
平面上に横軸と縦軸をとり、横軸で代表性(右にいくほど代表性が高い)を、縦軸で討議性(上にいくほど討議性が高い)を測る。街頭アンケートなどは、偶然、その場に居合わせた住民を対象とし、討議をすることなく質問項目に答えてもらうので、代表性の要素もなければ、討議性の要素もない。審議会などは、理想的状態では活発な討議が行われるであろうから、討議性は高くなるが、委員の選考が恣意的であるため、代表性に問題がある。通常の世論調査は、母集団に意見を求めた場合と同様の結果が得られるように無作為に標本を抽出するので、代表性は高くなるが、街頭アンケートと同様に討議性は全くない。そこで、世論調査の無作為抽出の要素と理想的審議会の討議の要素を取り入れた手法こそ、公平で十分な情報提供がなされれば、代表性と討議性を兼ね備えた理想的な討議手法となることが理解できる。
こうした条件に合致する討議手法は、いくつも存在するが、その中で比較的多くの国や地域で試みられているのが、フィシュキン(J. Fishkin)によって考案された討議型意見調査(deliberative polling)と、ディーネル(P.C. Dienel)によって考案された計画細胞会議(planungszelle)である。詳しいことは他の論考に譲るが、この両者に共通するのは、まず、母集団の特性に合致するように無作為で標本を抽出し、さらにその中から数百人を選び、一定の期間(標準的には、前者は2泊3日、後者は4日)、一堂に会して決められた方法で討議を行ってもらう点である。また、討議の前にテーマに関する公平な情報が十分に与えられる点も同様である。さらに、全員がなるべく理性的に討議を行うことも求められる。両者の相違点は、その討議の持ち方にもあるが、討議型意見調査は討議前と討議後に同一の調査に回答してもらい、討議によって参加者の選好がどの程度変容したかを分析することが主目的であり、参加者間の合意形成は求めない。一方、計画細胞会議では、討議の最後に参加者の意見をまとめ、テーマに関する市民答申(市民鑑定)という形で提案書を提出する。これらの討議手法で分かっていることは、公平な情報が十分に与えられた状況の中で理性的な討議を行えば、一定程度、住民の選好に変容が起こるということである。また、こうした選好は長期間にわたって持続する。
こうした討議手法を討議後進国の日本、あるいは日本の自治体で完全な形で実行するのは無理である。費用がかかりすぎる、参加したくても勤務先の理解が得られない、乳児を抱えており討議どころの話ではない、そもそも討議に馴れていない、討議を促進するコーディネーターの適任者が少なすぎる、中立的な実施機関が得られないなどなどである。これらの難題を一挙に解決することは不可能であることから、わが国では、簡易な方法で既にいくつもの「市民討議会」や「日本版討議型意見調査」が開催され、それは徐々に広がりを見せている(篠藤明徳)。8月初めに2日間にわたって開催された2030年の原発比率に関する討議は、数多くの課題を残したものの、日本版討議型意見調査であったことは記憶に新しい。また、条件さえ整えば、横内山梨県知事の「スーツ仕立券受領問題」をテーマとして実施することも可能である。
4 結論
いずれにしても、まずはこうした討議手法を肯定的に捉え、住民投票の前に必ず実行することが肝要である。こうした手続きは、常設型住民投票条例や自治基本条例の住民投票の箇所に予め定めておくことが望ましい。同時に、実施するための環境整備に努めることも忘れてはならない。
ただ、討議型手法と住民投票の間には理論的問題があることも確かである。詳しいことは別稿に譲るが、そもそも討議型民主主義手法は住民の意見形成を図ることが目的であるのに対し、参加民主主義手法である住民投票は意思決定に住民自らが関わることが目的である。「接ぎ木」的手法が効果的に作動するか否かは、この二つの手法の論理整合性を確保することであり、これはいくつもの経験を経ることによって彫琢が加えられよう。
なお、こうした手法は、次第に低下する自治体議会の信頼度を回復することにも役立つ。たとえば、議会の主導で、中立的な実施機関にこの討議的手法を委託し、その結果を議会審議で活用するのである。住民の「討議」と「参加」は、公選の議会と対立するものではなく、相補的関係にあることを忘れてはならない。