幕絵に託された思い


毎日新聞No.370 【平成24年9月14日発行】

  舞鶴城公園で先月開催の国民文化祭プレイベント「幕絵甲子園」を観覧した。高校生が「山梨」を幕絵に表現して学校間で競うもので、優勝作品には富士山や桃、富士桜などの風物が格調高く描かれていた。
  そもそも幕絵とは、幅10メートルにもおよぶ麻布に風景画や物語絵が描かれたもので、江戸時代後期の甲府城下町で、道祖神祭りの際に表通りの町屋を覆いつくすように飾られたという。城下では、併せて様々な集客イベントも展開された模様で、古くからの民俗行事を地域活性化や景気浮揚につなげようとした意欲的な取り組みと映る。

  幕絵の原点は、かつて神聖な軍隊用具とされた陣幕にあり、これを当世風にアレンジして街をくるむことで、病気や災害などの悪を防ぎたいとの祈りも込められたという。背景には、疫病の流行による人口減や、農村での商工業発達に伴う城下中心経済の衰退など、城下町を取り巻く状況の悪化があったとされる。
  ひるがえって目を平成の甲府中心市街地に転じると、少子高齢化や郊外への市街地拡大・大規模商業施設の立地などの影響により、定住人口の確保や商業・業務機能の低下に悩みを抱える点で、当時の状況と重なり合うところがありそうだ。
  復興をめざす江戸末期の城下が理想としたのは、おそらく18世紀初頭のすがたであっただろう。柳沢吉保・吉里公の治下、甲府城・城下町の整備や江戸文化の流入が進み、「甲府の花盛り」と称えられる華やかな一時代が現出した。

  それから300年。平成20年代の甲府では、市街地整備のビッグプロジェクトが目白押しで、いわば「柳沢以来」の歴史的画期をなすほど中心市街地への投資が進む。「花盛り」の再来に向けては、城下町の行き詰まりを打破するため行動を起こした天保甲府人のスピリットに及ぶことができるか否かかが、ひとつの鍵を握るかもしれない。
  こうした歴史的文脈を追うにつけ、次代を担う高校生が、街の再生に向けた先人の創意と宿願の象徴「幕絵」を再現したことは、アートパフォーマンスの域を超える深い意義があったように思える。幕絵甲子園の成果品は、12月下旬から甲府駅北口歩行者用デッキに展示予定とのこと。城跡とともに観賞しながら、城下町の来し方行く末に思いを巡らせてみたい。

(山梨総合研究所 主任研究員 中村直樹)