Vol.170-2 行政は住民を「幸福」にするか~前編~
公益財団法人 山梨総合研究所
研究員 赤沼 丈史
チルチル:ぼくのうちにも幸福がいるの?(幸福たちはまた笑いだす)
1 はじめに~幸福をめぐる背景
日本は経済の成長により発展を続けてきた。社会で一丸となって経済成長を追い求め、実際に高度成長を達成することで、一敗地にまみれた戦後から経済大国にのし上がった。
その一方で、世界からは「エコノミックアニマル」が、「うさぎ小屋」で生活しているなどと揶揄された時期もあった。時として公害を引き起こし、自然環境を破壊しながらも、それらにはひとまず目をつぶり、ひたすらに経済大国としての地位を築き上げてきた。企業戦士は家庭を顧みることなく、毎日仕事に没頭し、休日出勤やサービス残業すら当たり前の滅私奉公だった。
しかし、いつ頃からだろうか、GDPに代表される経済成長と生活の満足度が同調しなくなっていった。ものの豊かさと心の豊かさは必ずしも一致しないという実感が、社会の中に浸透していたのだ。
![]() | 左図は、国民生活選好度調査における生活満足度の推移を1人当たり実質GDPと共に表している。 1981年と比較して右肩上がりのGDPと横ばいのまま停滞する生活満足度が対照的に映し出されている。 |
また、近年においては少子化、超高齢社会、人口減少などを目の当たりにし、私たちは不安感を強めている。雇用は不安定で、ネットカフェ難民や下流社会を生んだ。自殺者は毎年3万人を下回らない。社会全体が無縁化している。新興国の台頭に直面し、経済に対しては以前ほど期待ができない。
そして2011年3月には東日本大震災が起きた。日常はいとも簡単に瓦解してしまい、容易には元に戻りそうにない。
このような時期に生きる私たちが幸福について改めて考え始めているのは、自然な成り行きだったのではないだろうか。
2 幸福を把握するための取り組み事例
そこで折に触れ、私たちの幸福について調査研究する取り組みが報道されるようになってきた。ここでは、そのいくつかについてそれぞれを概観することで、共通点を探りだす。
(1)ブータン[2]の「GNH」
Gross National Happinessの略で「国民総幸福量」や「国民総幸福」などと訳される。
第4代国王が1970年代から提唱している幸福の指標化に関する先駆的事例であり、ブータン国憲法の条文にも「国家政策の原則」として位置づけられている国策。
2005年に実施された国勢調査で、「あなたは幸せでしょうか」という設問に、96.7%が「幸せ」(「とても幸せ」が45.1%、「幸せ」が51.6%)と回答したことで一躍全世界に名を馳せることになった。
また、東日本大震災後初の国賓として来日した若い第5代国王夫妻の滞在は、被災地訪問などその行程が連日報道され、多くの注目が集まったことは記憶に新しい。
(2)幸福度に関する研究会による「幸福度指標試案」
2010年に閣議決定された新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ~の中に雇用・人材戦略の一つとして盛り込まれた調査研究で、内閣府が所管している。
「幸福感平均6.5点[3]を引き上げる」ことを2020年までに実現すべき成果目標としている。
2011年12月には研究会報告として、「幸福度指標試案の体系と基本的考え方」や「幸福度指標試案における指標群」が示された。
(3)荒川区自治総合研究所による「GAH」に関する研究プロジェクト
Gross Arakawa Happinessの略で「荒川区民総幸福度」の意。
2004年に就任した西川区長の「区政は区民を幸せにするシステムである」という考えにより、その尺度として導入された。
2011年8月には、代表的な指標案として「健康」と「子育て・保育」が中間報告として示されており、幸福に関する課題に対しては、住民に最も近い基礎自治体こそが取り組むべきという姿勢をとっている。
(4)手法の共通点
国(ブータンと日本)と基礎自治体(荒川区)と、主体に大きな違いはあるものの、ブータンでは9つの重点領域[4]、幸福度指標試案では5つの構成要素、荒川区では7本の柱を示すことで、全体の骨格を形成している(下図参照)。
ブータンのGNHにおける重点領域 | 日本の幸福度指標試案に おける構成要素 | 荒川区のGAHにおける柱 | |
1 | 心理的幸福 | 主観的幸福感 | 生涯健康都市 |
2 | 自然環境 | 経済社会状況 | 子育て教育都市 |
3 | 健康 | 健康 | 産業革新都市 |
4 | 教育・教養 | 関係性 | 環境先進都市 |
5 | 文化 | 持続可能性 | 文化創造都市 |
6 | 基本的生活 | 安全安心都市 | |
7 | 時間の使い方 | 計画推進のために | |
8 | 地域共同体の活力 | ||
9 | 優れた統治 |
GDPのように一つの視点だけで評価を下す単一指標とは異なり、複数の視点(指標)によって妥当性の確保に努めていることが共通している。
また、より下位の指標が設定されていることも共通しており、ブータンでは72、日本では132、荒川区では中間報告において、1と2の分野で48の指標に細分化がされている。
そのほか、大小様々な公の取り組みが報じられているが、紙幅の都合により、今回は例示にとどめる。
○より良い暮らし指標[5](経済協力開発機構) ○幸福度に関する研究会(福岡県)
○県民幸福量の指標化(熊本県) ○Net Personal Happiness(新潟市)
○幸福度の定量化に関する調査研究(公益財団法人東北活性化研究センター)
3 行政と幸福に関するアンケート調査結果
行政と幸福の関係について、現役行政パーソンはどのように感じているのかアンケート調査を行った。
対象者は、40都道府県127団体(107市:15町:5団体)に勤務する地方公務員129名(男性121名:女性8名)で、回収率は86.8%(実数で112名)だった。広く全国から意見を収集するため、今回は総務省自治大学校[6]の卒業生を中心にした。
集計結果(抜粋)
勤務している自治体の人口規模(図表1)は「10万人未満」が53.3%と半数を占め、「10万人以上20万人未満」が23.4%で続いている。
行政に関する実務経験(図表2)については、「20年以上25年未満」が49.1%、「25年以上」が24.1%、「15年以上20年未満」が17.0%の順となっている。
(図表3)
上述した取り組み事例に関する認知度(「知っている」+「聞いたことくらいならある」)について質問したところ(図表4)、ブータンのGNHは84.8%だったのに対して、内閣府が所管している幸福度指標試案は42.8%だった。
所属している団体において、幸福に関する調査研究が行われているか質問したところ(図表5)、「行われていない」が多数を占め、94.6%だった。
(図表6)
![]() | 幸福に関する調査研究について、誰が主体となって取り組むべきか質問したところ(図表6)、「国」(45.5%)、「市町村」(25.0%)の順となった。 「その他」については、「国と地方」や「市町村と住民」など連携や協働といった内容が多かった。 |
現在担当している業務内容により、住民を幸福にしていると感じるか質問したところ(図表7)、「よく」と「たまに」あわせて半数近くの47.4%が「感じる」と答えている。
「感じない」と答えた方(「全く」と「あまり」あわせて31.3%)に、その理由を質問したところ(図表8)、最も多かったのは、「現在の業務は、直接住民と結びつかないから(内部管理など)」で71.4%だった。
(図表9)
住民の幸福な生活を実現するために、さらに充実させるべきだと思う施策を質問したところ(図表9:3つまで複数回答)、「安定した雇用の創出」が53.6%で最も多かった。
次いで支持が多かったのは「地域コミュニティの活性化」(43.8%)だったが、同様の内容で実施された荒川区政世論調査[7]では、9.9%と支持が少なかった。
一人の住民として、行政により幸福になったと感じたことがあるか質問したところ
(図表10)、「よく」と「たまに」あわせて43.8%が「感じる」と答えている。「感じない」と答えたのは、「全く」と「あまり」あわせて40.1%だった。
「感じる」と答えた方にその分野について質問したところ(図表11:2つまで複数回答)、「民生関連」が最も多く49.0%で、次いで「土木関連」(38.8%)、「教育関連」(32.7%)となっている。
〈後編〉に続く
[1] 経済学者R・イースタリン(米)が1974年に発表した論文により、経済学の常識に波紋を広げた。
[2] 南アジアに位置する人口約69万人の王国(山梨県は約86万人)で、国土の面積は九州とほぼ同じのヒマラヤの小国。首都はティンプーで標高は約2300m。
[3] 2009年国民生活選好度調査による平均点は6.47点だった。なお、2010年は6.46点、2011年は6.41点。
[4] より上位の理念として、「公正で持続可能な社会経済発展」「自然環境保全」「伝統文化の保全とその促進」「良い政治」の4つのガイドラインがある。
[5] 2012年の発表において日本は、加盟国など36カ国中21位。19位だった昨年から後退している。全体評価の1位はオーストラリアで2年連続。
[6] 地方公務員に対する研修機関で昭和28年に開校。履修生は全国から集まり、日夜切磋琢磨に努める。筆者は約3ヵ月間にわたる第2部課程に在籍経験があり、今回は当時の同期生に協力を依頼した。
[7] 第35回荒川区政世論調査報告書(2010年)において、最も支持が集まったのは「高齢者が安心して暮らせる社会の推進」で63.3%だった。「安定した雇用の創出」は、選択肢になかった。