Vol.176-1 森林散策と中高年の血圧


元 山梨県環境科学研究所
副所長 永井 正則

1.はじめに

 地域の自然環境を活用した保健休養活動が、全国的に盛んに行われている。保健休養活動のための自然環境という点から山梨県を見ると、県の面積の78%が森林で覆われていることがまず挙げられる。さらに、利用できる森林が標高200m前後から2000m以上にまで広く分布していることで、森林を構成する樹種や地形、森林をめぐる気圧や酸素環境などが多様性に富む環境を提供している。このように恵まれた自然環境の中で行われる保健休養活動が、心と体に与える影響について、山梨県環境科学研究所が行った研究により多くの事柄が明らかになっている。その中から、中高年者が森林散策を繰り返すことの効果を紹介したい。参考のため、これまでに出版した報告書のリストを文末に示した。

2.森林散策と血圧

 日常的にウォーキングなどの保健休養活動を行っている人の、活動持続時間は1時間前後が多い。そこで、散策路が設定された森での1時間程度の散策が、心身に与える影響を調べた。初めは、大学生を被験者として実験を行った。その結果、散策による心理効果が明確に現れ、不安や鬱、怒り、敵意などのネガティブな気分が散策後に軽減することがわかった。一方、血圧や唾液中への免疫物質の分泌などの生理機能には、散策の効果がはっきりとは現れなかった。ところが、たまたま中高年者を被験者として散策実験を行ったところ、散策の心理効果のみならず、散策による血圧の低下が明らかに観察できた。そこで、表1に示すように様々な平均年齢の被験者群で実験を行った。その結果、平均年齢54歳から72歳の被験者群では、散策後に収縮期圧(最高血圧)の低下が認められた。この血圧の低下は統計学的にも確認できた。一方、平均年齢25歳から46歳の被験者群では、散策後の血圧の低下は認められなかった。
 表からもわかるように、50歳半ば過ぎの中高年者ではもともと血圧が高めなので、散策による血圧低下作用が現れやすいという可能性がある。この可能性を確かめるため、普段から血圧が高めの被験者を集めて実験を行った。この被験者群の平均年齢は、52歳となった(表中では52と表示)。60歳並みの血圧 を示すこの被験者群でも、散策後の血圧低下は平均値の上でも小さく、統計学的にも認められなかった。すなわち、散策による血圧低下作用が現れやすいのは、中高年者の血圧がもともと高いためではなく、年齢の要因が大きいことがわかった。このことから、1時間程度の森林散策による血圧低下作用は、50歳半ば以上の中高年者に現れやすいと結論できた。

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3.森林散策の繰り返しと血圧

 中高年者では、1時間程度の森林散策で血圧が低下することがわかったので、次に、週1度の森林散策を3回繰り返すことが血圧にどのように影響するかを調べた。図1上は、表1の平均年齢66歳の被験者群の散策前の収縮期圧(最高血圧)を示している。表1には1度目の散策結果しか示していないが、週1度の散策を3週間続けることで、散策前の血圧が低下していくことがこの図からわかる。3回目の散策前の血圧は、予め被験者に申告してもらっていた家庭血圧とほぼ等しかった。平均年齢72歳や56歳、54歳の被験者群でも、散策の繰り返し効果は同様に現れた。週1度、1時間程度の森林散策という軽い運動を繰り返すことで、血圧が低下していく可能性が示された。一方、散策という行動や散策する環境に慣れていくこと、散策の前後に行う生理指標の測定や心理調査に慣れていくことなどが原因で、散策開始前の血圧が低下した可能性も考えられる。理由は何であれ、3回目の散策前の血圧が、家庭血圧とほぼ等しいということに注目したい。

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 3回目の散策では、平均で約140 mmHgの家庭血圧レベルが散策によってさらに平均130 mmHgまで低下し(図1下、矢印)、散策後3時間でも散策前より低い値に留まっていた(図1下)。この結果は、散策による血圧低下作用を明瞭に示している。散策前の不安や鬱、怒り、敵意といったネガティブな気分も、散策を繰り返すことで軽減していくものの、3度目においても散策の効果は現れ、散策後にはネガティブな気分が改善していた。
 これらの結果から、1時間程度の森林散策には気分改善効果と血圧低下効果があり、血圧低下効果は50歳半ば以上の中高年者に顕著であることがわかった。さらに、散策を繰り返すと、散策前の血圧が家庭血圧レベルまで低下していくこと、家庭血圧レベルまで低下した血圧が散策によりさらに低下することもわかった。野外活動を家庭血圧レベルから始められることや、散策により低下した血圧が数時間低いレベルに留まることの予防医学上の意味は小さくないと考えている。

4.地域における健康科学の研究

 今回紹介した実験結果は、中高年者が森林散策を行うことの健康科学上の意義を示している。実際の実験での散策時間は40~60分で、歩いた距離は2 km前後であった。運動負荷という点から見れば、軽い運動と言える。このような軽い運動を繰り返し行うことは難しくないであろう。また、森林環境を活用した保健休養プログラムを提供する側にとっても、プログラム中に組み込みやすいと考えられる。今回紹介した研究結果が活用されることを望む。
 1時間程度の軽い森林散策が、中高年者の血圧を低下させ、若齢者の血圧には影響しない理由は、今後実験によって明らかにする必要がある。また、血圧の低下が、歩くという行動に伴って特に現れる現象なのか、他の運動形態、例えば腕を使う運動ではどうなるのか、ということも実験によって確かめなくてはならない。
 今回の実験結果を得るために、表1に示した108名の被験者に3回ずつ森を歩いてもらった。さらに、実験室内で行う対照実験にも何度も参加してもらった。大学生以外は、すべて地域に居住する人々であった。定年後に富士北麓に移住してきたという人も多かった。移住に際しての最大の不安は、移住先の地域社会にとけ込めるかどうかであったという。実験に参加することで、被験者同士の交流が促進され、その結果、このような不安は解消された。実験の背景の説明や実験データーのフィードバックにより、被験者の健康意識もさらに高まった。地域における健康科学の研究は、このような面にも貢献できることを改めて実感した。

※ 報告書リスト

 1)特定研究「高原地域の環境が人の心と体に与える影響に関する研究」、山梨県環境科学研究所研究報告書第7号、2003.

 2)プロジェクト研究「山梨の自然がもたらす快適性に関する研究」、山梨県環境科学研究所研究報告書第13号、2004.

 3)特定研究「森林が人に与える快適性に関する研究」、山梨県環境科学研究所研究報告書第23号、2008.

 4)「ツーリズムと健康—観光気候学への招待—」、山梨県環境科学研究所国際シンポジウム2008報告書、2009.

 5)プロジェクト研究「森林と高原の環境を活用したストレス軽減法に関する研究」、山梨県環境科学研究所研究報告書第26号、2011.

※ 上記の研究報告書をご希望の方は、山梨県環境科学研究所総務課 TEL: 0555-72-6211までご請求ください。