Vol.176-2 健康システムと健康産業の動向


公益財団法人 山梨総合研究所
調査研究部長 中田 裕久

はじめに

 少子高齢社会の進展とともに、保健・医療・介護などの健康システムの持続可能性が問われている。これまでの健康システムは医療を中心に構築されてきたが、財政的に健康システムをどう維持・更新するは、先進各国の共通問題である。このため、20世紀後半から、健康システムのあり方が様々な観点から検討され、治療からケアへ向けた改革が実験されるようになっている。企業・職場では、健康への投資は良質な労働、高い生産性に寄与し、経済効果があるという観点から予防・健康増進が強調される一方で、人々の「健康」ニーズの増大に対応した「健康産業」の振興が成長戦略であるとみなされるようになった。また、グローバル社会の中で、鳥インフルエンザなどの感染病などの新たな問題にどう対応するかなどの課題も出現し、「健康」を巡る問題は様々な分野を含む、政策横断的な課題となっている。
 本稿では、2000年以降、EU諸国で論議されている「健康社会」というコンセプト、健康産業の動向をはじめ、健康を巡る様々な論議を紹介する。

1.健康社会

 健康社会というコンセプト(キックブッシュ、2006)が提起されて以降、ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏及び英国で論議されている。健康社会の特徴は次の6つに要約される。

  1.  人口統計上の変化、高齢者の増加、長寿命化
  2. GNPに占める健康や医療システムの役割の増加
  3. ウェルネスや医療システムの双方において、情報、製品、サービス等の健康マーケットの拡大
  4. 健康分野についての政策的、社会的優先順位が高まる一方で、連帯と責任についての討議がますます顕著になっている。
  5. 生活における個人的目標として、健康がますます重要になっている。
  6. 現代の市民権の必須の構成要素として健康がある。

 無論、日本はこれらの特徴を有する社会であり、先進国内で最も高齢化が進行している課題先進国である。取り組み次第では健康政策、健康産業のトップランナーになることができる。

2.4つの「健康」領域

 健康システムに関する歴史を見ると、パーソナル・ヘルス、パブリック・ヘルス、メディカル・ヘルス、健康マーケットという4つの領域を巡る展開とみなすことができる(キックブッシュ、2006)。 

図表-1.健康の4つの領域

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* 引用:キックブッシュ 2006

 

□ 隔離

 産業革命以前では、国家の健康に対する役割は、伝染病の大量発生を防止するための伝染病地区の設定と隔離に限定されていた。18世紀には、健康に対する新たなアプローチが始まり、公共財として健康を保証することが国家の役割の一部であり、他方で健康管理は個々の市民の道徳的義務と考えられるようになった。

□ 公衆衛生革命

 19世紀になると、予防接種法、公衆衛生法、住宅法などが導入され、下水道の改善、住宅改良、労働環境の改善、家庭計画プログラム、強制的予防接種、母子の保護などのいわゆる公衆衛生革命が展開する。1810年には欧州大陸で天然痘の予防接種が始まり、1848年には英国で最初の公衆衛生法が、1883年にはドイツで健康保険が導入されている。

□ 医療化の進行

 20世紀は医学・医療の領域が支配的になる。19世紀後半のコッホの細菌学研究以来、新たな医学知識によって病気を効果的に処置することができるようになった。また、第二次大戦後には欧州の多くの国が市民の権利の一部として、医療へのアクセス権が導入され、現代的な福祉国家に向けた取り組みが始まる。医薬品と医療技術が普及するにつれ、病気の根絶には社会的改良などの公衆衛生よりも医療の方が効果的であり、医療の進歩が社会的進歩とみなされるようになった。専門的な医療サービスが公衆衛生よりも急速に力を得て行くにつれ、健康システムにおける医療化が進展した。福祉国家では、市民の健康ニーズに応えることから、個々の市民を治療することへと変化した。と同時に、医療が中心の健康政策となり、医療保険の費用は継続的に拡大し、市民は医師に従順な受身の患者という姿になった。

□ 予防・健康増進―健康市場の拡大

 20世紀の後半には、高齢化及び長寿命化が進展し、生活習慣病が中心になる。生活習慣病に対しては、従来の病原菌の原因―効果モデルの応用では限界があることが明らかになる。病気の問題は専門的な医療システムの分野から、日常生活、日常活動の中に移転する。対症療法から予防医療への転換が求められ、一次予防(予防接種、食事、運動、禁煙)、二次予防(検診)、三次予防(再発予防、経過観察)が重要視されるようになった。また、個々人の健康は医療システムへのフリーアクセスで保持されるだけでなく、個々人が日常生活を省みて、健康的なライフスタイルを身につけ、健康を自らつくりだすものと考えられるようになった(WHOなどの啓蒙による)。

3.健康マーケットと産業振興

 長寿命化が進展するとともに、健康が個人生活における重要な目標になった。また、現在の医療システムを持続可能にするため、政治的にも、社会的にも長健康寿命が求められている。個人、社会における医療や健康の役割が増大すると、医療及び健康の双方で、製品、サービス、情報などの健康マーケットが拡大し、主要な経済分野になる。いわゆる健康産業(医療及びウェルネス)の振興が、各国、各地域企業の成長戦略の重要なファクターと考えられるようなった。
 医療とウェルネス産業の区分は明確ではないが、ピルツァーは次のように定義する(ピルツァー、2007)。医療産業とは、病気(風邪からがんまでの病気)を持つ人に対し、病気を処置するための製品及びサービスを提供する産業である。医薬品、医療機器が主要部門である。他方、ウェルネス産業とは、現在病気のない健康な人々が自発的に、より健康に感じ、より良く見え、老化を減じ、病気を予防するための製品やサービスを提供する産業である。この分野には、フィットネス、美容整形、生活改善薬、ビタミン・ミネラルなどのサプリメント、健康食品などが含まれる。また、従来の医療保険とは異なった、健康機器や健康サービスを給付する新たな健康保険なども含まれる。
 「ウェルネス革命」によれば、他方、米国の医療関連産業は約2兆ドルの売り上げで、米国経済の6分の1を占めている。他方、ウェルネス産業は約5,000億ドルであるが、5年後には1兆ドルを達成すると推定し、ウェルネス産業を次代の大きなビジネスチャンスとして位置づけている(ピルツァー、2007)。
 米国とは異なり、日本と類似した健康システムをもつドイツのウェルネス市場を見ると、フィットネス・スポーツが29.7%と最も高く、健康食品(26.7%)、美容(19.7%)、保養・療養(18.2%)、サプリメント、マッサージと続く。米国で盛んなサプリメントよりも保養・療養が上位になっており、ライフスタイルの違いが見られる。
 既存の製品やサービスに「健康」という付加価値をつける傾向も強まっている。機能性肌着、快眠枕、ウオーキングシューズ、シークレットシューズ、低カロリードリンク、健康住宅など。あらゆる人が健康に関心を持つようになると、何が健康に良いかどうか判断に苦しむ事態が生じる。健康プロダクツ・サービスに関する情報へのアクセス提供は将来有望なビジネスチャンスである(E-ヘルス)とみなされ、特に、EU諸国が力を入れている部門である。

図表-2.ドイツのウェルネス市場

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* 参考:ヘルテル2010、キックブッシュ2006

 健康産業(医療、ウェルネス)の特徴は中小企業の占める割合が高いことである。製薬メーカーは別として、医療機器産業は中小企業の占める割合が高く、日本では50人未満の企業の割合が6割、ドイツでは50人未満が22%、500人未満の企業が97%を占め、中小企業がこの産業分野を担っている。
 このため、世界の各地域で医療産業やウェルネス産業によって、地域振興を図ろうとする例は多く、地域が強みをもつ資源・環境・技術に焦点を当てて、様々なサービス・プロダクツに関わる産業クラスターを形成し、産官学連携による開発を推進している。

4.新たな健康政策の課題

 健康システムに関する論議は、従来の医療・医療専門家のテーマから、社会的な包摂と排除、民営化と商業化、健康と豊かさ、権限と参加のテーマにシフトしている。
 例えば、生活習慣病、慢性病への対策は一次予防が最も安あがりである。通常ターゲットにされているのが禁煙、肥満である。禁煙については、価格の引き上げ、パッケージの喫煙警告から始まり、公共交通機関や公共空間からの喫煙スペースの追放が行われ、近い将来、喫煙は家庭の個室に限定されるとも言われている。肥満については、低カロリーが求められる中、ファーストフード、ソフトドリンクなどの企業が健康を売りにした商品開発を行っている。
 ただし、健康的な食生活をするのもしないのも各人の健康意識、健康リテラシーに左右される。個人の健康リテラシーの習得にいかに関与すべきか、消費者政策と同様に、健康政策の課題である。また、安全・安心な歩道や自転車道に改善することも、肥満防止、健康の維持増進につながる。健康政策の一つとして身近な都市環境・交通環境の改善も検討する必要があろう。
 また、グローバル化する中で、新たな疾病の脅威(SARZ、狂牛病、PM2.5その他)などグローバルリスクも拡大しており、国内外の連携や予防のためのシステムづくりも大きな問題になっている。

5.まとめ

 健康システムには、健康政策、医療システム、健康市場、個人のライフスタイルの4つの領域が互いに関連し、それぞれの領域が拡大・深化している。現行のシステムでは、制度・組織的にも限界となり、今後さらに、健康に関する個人の役割の強化(健康についての自己決定・自己責任、個人の健康リテラシーの獲得)、治療から予防へのシフト、健康マーケット(医療、ウェルネス)の拡充と健康産業の進展が進むことになる。
 豊かな自然資源を持ち、首都圏に隣接するという立地条件をもつ山梨県で、地域の強みを活かした健康産業の育成とともに、森林や温泉など地域の特色を活かした健康システムの構築が求められる。

引用・参考文献

1.Kickbush,I:Health Governance:The health Society、2010

2.Kickbush,I:Die Gesundheitsgesellschaft、2006

3.Pilzer,P,Z.:The wellness revolution,2007

4.Lutz Hertel:Die Wellness-Revolution 2010

5.ドイツの医療技術産業 2011

6.医療機器産業の現状 2009 日本能率協会総合研究所