Vol.177-2 アジアの中で生きる日本 ― 道は拓けるか


公益財団法人 山梨総合研究所
理事長 渡邉 利夫

はじめに

 山梨総研が創立されて16年目に入る。自主研究「アジアフォーラム21」も平成12年度に開始され、以来、毎月のように研究会が催されてきた。年1回の海外研修も欠かすことはなかった。
 この10年余のアジアの激しい変貌を反映して、研究テーマも実に多様に変化してきたが、特筆すべきは中国の発展であり、中国はつねに私どもの議論のベースに存在していた。当初は、ビジネスチャンスとしての中国であったが、尖閣諸島の日本領有権に対する中国の挑発的な行動により、日中関係は近来稀にみるほどの緊張状態に入り、今度は一転してチャイナリスクがわれわれの議論の焦点となった。
 グローバリゼーションの時代の到来といわれ、日本人も「国際人」として生きることの必要性が叫ばれている。中国は、その意味で日本のグローバリゼーションの成否をうらなう「賭場口」にちがいない。
 以下で、私が主張したいことは、日本人と日本企業にとって日本という国家が強力なものとして存立しない以上、グローバリゼーションはいかにも危ういこと、中国は日本にとって実に厄介な「鬼門」であること、日本企業は対中進出にはよくよく慎重たるべきこと、この辺りのことを思うままに書き記してみたいと思う。

Ⅰ 「半国家」日本

 日本政府による尖閣国有化の意向表明以来、中国では反日愛国主義運動が吹き荒れ、有数の日系製造企業の事業所やスーパーマーケット、日本料理店などが襲撃を受けた。自動車への不買運動はなおつづいている。日本人に犠牲者が出なかったことは幸いであった。被害額はどれほどに及んだのかはわからないが、わずかであったとは到底思えない。
 中国政府方はといえば、みずから進出を認可しておきながら、不法な襲撃が起こっても、賠償などするつもりはない。遺憾の意を表眼することさえしない。逆に、中国固有の領土を「国有化」したのは日本なのだから、民衆が騒擾を引き起こしたのも当然だといった、法治社会ではおよそ考えられないステートメントの繰り返しである。日本の駐中大使の公用車に掲げる日の丸が中国人によって強奪されるという事件が起こったことは記憶に新しいが、犯人は数日の勾留の後、釈放されたという。
 中国政府がそのような対応に終始していることを私が憤っているのではない。日本への中国の対応が傲慢で尊大なものであることは別に今に始まったことではない。私どもが問題にしなければならないのは、日本政府の対応の方である。2010年の9月に起こった中国漁船衝突事件では、明らかに主権を侵犯した中国人船長を、拿捕・勾留はしたものの、結局は処分保留のまま釈放してしまったではないか。尖閣国有化に端を発する昨夏の反日愛国主義を掲げた乱暴狼藉に対しても、日本政府が中国政府に謝罪と賠償を申し出たという話はついぞ聞くことはなかった。
 中国が圧倒的な政治優先社会であれば、日本の方は世界でも稀なる「政経分離」国家である。外国で何が起こっても日本政府は取り立てての救済策は何も講じてはくれないと覚悟して、仕事をしたり旅行をしたりしなければならないと、日本人は覚悟しなければならないのであろうか。
 日本の勇気ある優れたジャーナリスト古森義久氏は日本を「半国家」だという。私も古森氏と同様の気分である。この半国家のことを、今なお日本で主流を占める研究者やジャーナリストの多くは、「ポストモダン国家」だという。もういい加減にしないかという不快感を私は充満させている。

Ⅱ 自国民の救済にさえ勇気を持てない国家か

 国家というものの存在のありようが最も鮮明な形で表出されるのは、危機の劇的状況下においてである。劇的状況の三、四の事例を振り返ってみよう。
 1979年のイラン革命の、追放されたパーレビ国王の入国を米国が認めたことに激怒した革命派学生がテヘランの駐米大使館を占拠、米外交官を含む53人を人質に取り、444日後に解放にいたった事件のことが思い起こされる。当時、私はイスラム研究に携わる親友から、人質達はこの間、することなくむしろ意気は軒昂であったと聞かされた。“米国がわれわれを見捨てるはずがない”と、国家に対する信頼を失った者が誰もいなかったからだという。
 事実、カーター大統領は陸海空軍、海兵隊4軍の力を結集して救出作戦を展開、これが失敗に帰するや第二の救出作戦に打って出ようとした。その矢先に国王が死去し、占拠の論拠を失った反体制派が米国と合意して人質解放となったというのがであった。
 1977年9月に起こった日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件に遭遇した日本人乗客、1996年12月に発生し4ヵ月以上つづいたペルー日本大使公邸占拠事件で人質となった多数の日本人のうち、“日本政府が事件解決のために全力を尽くしてくれるに違いない”と考えた人が何人いたであろうか。
 前者では、福田赳夫首相が“人命は地球より重い”といい犯人の要求を丸飲みして事を収め、後者では、橋本龍太郎首相が「平和的解決」を求めてフジモリ大統領支援を訴えるのみ、結局は大統領の果断により特殊部隊の公邸突入をもってようやく人質は解放となった。卑劣な犯罪に対しては屈辱的な対応を余儀なくされ、さもなくば他国の救出作戦に全面的に頼るしか、日本という国家には自国民を救出するがない。
 北朝鮮による拉致被害者は、日本政府の認定によれば17人である。北朝鮮側は、拉致は13人、うち5人が帰国、残りの8人は死亡、これで「拉致はすべて解決済み」という立場を崩す気配はまったくない。特定失踪者問題調査会によれば、拉致の可能性のある失踪者は約470人に及ぶという。
 大韓航空爆破事件が起こって、金正日の指令により115人の乗客をミャンマー上空で爆死させたという事実が、逮捕された北朝鮮特殊工作員のによって語られ、その2ヵ月後の1988年3月26日に当時の国家公安委員長の梶山静六氏が参院予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」だと公言した。それ以前のことは問わないにせよ、少なくとも日本政府の責任者によるこの公式発言以降に行われた、断固たる意思を欠いた微温的な制裁措置発動、供与の理由に乏しいコメ支援など、日本政府には外交的が多々あったといわねばならない。
 唯一の進展が2002年9月17日の小泉訪朝により日朝首脳会談が開かれ、この会談を通じて金正日が13人の拉致を認め謝罪、生存者5名が同年10月15日に日本への帰国が可能になった。2004年5月22日、再度の小泉訪朝により、同日中に蓮池・地村夫妻の子供、7月18日には曽我ひとみさんの家族の帰国も叶った。しかし、5人死亡の論拠は不自然な以外の何ものでもない。真実はいまなお不明のままである。
 小泉訪朝により事態が進展したのは、被害者家族、横田滋・早紀江夫妻や飯塚繁雄氏達の、悲劇の事態を知らされて震えるほどの怒りを満身にこめ、なお静かに訥々と訴えるあの語りと所作の中に、自国民を救うことのできない日本という国家への不信を多く国民が共有し、国民運動が大きく盛り上がったからであろう。国民運動の昂揚に北朝鮮と朝鮮総連がみ、日本政府の前進に道を開いたのである。日本という国家が家族会と国民運動によって辛くも「救出」されたかのごとくであった。しかし、昂揚は一時的なものに過ぎなかったのか。政府も国民も、次々と繰り出す中国、韓国の攻勢に威圧され、拉致被害も遠い過去のものへと押しやられつつあるかにみえる。
 ダッカ日航機ハイジャック事件、ペルー日本大使公邸占拠事件が起こっても、卑劣と非情においてこれ以上もない北朝鮮の明白な国家犯罪を前にしても、自国民救出のための気概と手段を持ち合わせない国家が国家といえるか。小泉訪朝によって署名された日朝平壌宣言なるものには拉致の2文字さえ書き込まれていない。日本には犯罪国家を追い込む外交手段さえ欠如しているのである。

Ⅲ 対中企業進出戦略を大きく転換せよ

 目下、喫緊のテーマは、中国に大量に進出している日本企業がその戦略をどう再構築するのかである。
 尖閣諸島領有権確保に向けて、中国が日本に対する強圧の矛を収めることはあるまい。20年余にわたり二桁の軍事費増大と軍事力近代化に励み、南シナ海ならびに東シナ海の制海権掌握に向けて中国はを取った。尖閣領有への意思を中国が緩めることはなかろう。「海洋権益の堅持・海洋強国の建設」が、胡錦濤前党総書記による昨秋の共産党全国大会での政治報告に盛られた。大会直後に開かれた第一回政治局中央委員会総会の内外記者会見で、習近平新党総書記は「中華民族の再興」を繰り返した。海洋強国への道を指し示し、愛国ナショナリズムの発揚を促しているのである。
 現在の中国は、長らく余儀なくされてきた「近代史の屈辱」をぐべく、新たなナショナリズムの時代に入った。日本政府による尖閣国有化に端を発した反日運動が一過性のものだというのは、誤認である。長らく継続するであろう反日愛国主義の国民運動のことに思いをめぐらせれば、中国の投資環境はこれまでとは異質の困難なものへと変じつつあるといわねばならない。
 中国の市場はなお巨大である。しかし、この市場を手に入れるには、さまざま考えねばならないビジネスモデルがある。中国はASEAN諸国と自由貿易協定(ACFTA)を結んでおり、日本もASEANのほとんどの国々と自由貿易協定の締結にいたった。日本がASEANに進出してそれぞれの生産拠点を拡充し、これを通じていよいよ拡大するASEANの域内需要に応じると同時に、ASEANから中国市場を狙うことが一つの有力な方式である。
 将来のもう一つの巨大市場がインドである。2009年3月にはASEAN・インド自由貿易協定(AIFTA)が締結され、日印包括的経済連携協定も2011年8月に発効した。ASEANにおける日系企業はインド市場をも視野に入れることが可能となった。チャイナリスクを分散しながらASEANの域内市場、中国、インドの三つの市場を掌中にするための新戦略の構築に、日本企業は日中の政治的確執の現在を好機と見立てて果敢に取り組むべきことを提言する。
 もう一度、強調すれば、中国は圧倒的な政治優先社会だという認識を私どもが持つことが必要である。「政経分離」などというのは、日本人の「太平楽」に過ぎない。政治的に有利とみれば、日本企業などは公然と襲撃の対象となることを肝に銘じて、新戦略の再構築に打って出なければならない。