Vol.180-1 農業後継者としての就農とその後の成長
山梨県青年農業士会 会長 村松 公孝
【はじめに】
我が家の農業は施設園芸(キュウリ栽培)が主な生産物で、水稲、柿(甘、渋)などを作っています。キュウリ栽培は温室ハウスの中で、冬春作と夏秋作の年2作栽培しています。子供の頃から農業には親しみ、高校、大学とも農業系の学校を卒業し、大学卒業後すぐに就農しています。
著者が取り組んでいる温室ハウスでのキュウリ栽培
【就農するまで…高校時代】
子供の頃から手伝いで畑仕事はしていました。10歳の頃にはトラクターに乗って田んぼを耕し、秋になるとバインダーで稲を刈ったり、ハーベスターで脱穀したりと、機械いじりの延長という感覚で楽しんでしていました。
小中学校は遊びの延長で楽しんでいましたが、高校進学やさらにその先と考えるようになると真剣に進路に迷いました。高校を出てそのまま就職するのか、大学に行くのか、それとも農業を継ぐのか、色々な状況をシミュレーションしました。
悩んだ結果、農業高校に進学しましたが、農産物の栽培を学ぶ園芸系ではなく食品系の学科にしました。園芸科に行って栽培技術を学び、そのまま就農するという選択肢もあったのですが、栽培技術は私の親がもっているので、その他のことを身につけ将来に役立てようと考え食品系を選びました。私自身が実験などを好きだったことも、実験が多い食品系を選んだ一因でした。
食品系の学科に進んだことは、その後大変役に立ちました。食品化学科(当時)の授業で学んだ、「食品化学」、「食品科学」、「食品製造学」、「食品流通学」、「微生物学」、「衛生環境や課題研究などの発表会」などは、これから先、どんな場面でも遭遇することであり、これらの基礎を高校時代に学べた事は、今思うと大変すばらしいことで、とても有意義な高校生活でした。
こうした基礎授業を学ぶうちに、もっと農業含め色々なことを学びたいと思うようになり、「就職よりは進学」と決心し、日本唯一の農業大学であるの東京農業大学農学部農芸化学科に進学することとなりました。
【就農するまで…大学時代】
この大学進学が後の就農へとつながっています。大学ともなれば勉強範囲は多岐にわたり、今まで高校で勉強した内容のほかに、農薬学、生化学、植物栄養学、土壌学、肥料学などがあり、農業をするには、とてつもない量の情報が必要だと痛感しました。
大学では、2年生までにこれらの基礎を学び、3年生からは専門の研究室に所属します。所属する研究室は、高校時代から学んで来た食品系の研究室に所属することも考えたのですが、その時の私は、フィールドで作業したいとの思いが強く、よりフィールドに近い肥料学を選びました。もちろん研究室にはそれ以外も色々な研究があり、それらを学ぶことも勉強になりました。
そんな忙しい研究室時代が過ぎ、就職の時期になりました。当時私が考えていた選択肢は、「そのまま即就農する」、「10年くらい就職してその後就農する」、「まず就職して農業は後々考える」でした。しかし、我が家の栽培規模を考えると就農しないという選択肢が消え、「就職して就農」か「即就農」しかありませんでした。私はこれまでの経験で、農業とは経験が物を言う職業だと言うことは分かっていたこともあり、せっかく直接農業の現場で働く土壌があるのに、就職して10年も無駄にするのはもったいないと決心し、卒業後即就農しました。
【就農後】
しかし就農後はただ親の作業を真似するだけで精一杯でした。もちろん『作る』という技術は全くありませんから、最初は、親の栽培管理や施肥管理を言われたままにするだけの日々でした。
今では充実している就農支援制度ですが、当時は就農支援制度があったのかも分からず、どういう人たちが農業に係わっているのかも分からない状況でした。
それでも農業をする楽しさはありました。自分が手をかければそれだけ生産物として商品になるわけですし、手を抜けばそれなりの物しかならないと言うことがその場で実感できました。その一方で、いくら人間の手を入れてもかなわないことがありました。それは自然現象です。
私の就農した地域は、昔から水害が多く、台風などで大雨になればたちまち危険水位になります。私が子供の頃には、近くの富士川からの大水が地域を流れる河川に逆流し、被害を最小限にするために水門を閉めざるを得ず、地域一帯が水没したこともあったそうです。その際の記憶はあまりありませんが、栽培している温室ハウスは大変だったと思います。もちろん栽培している作物は全滅し、機械類も水没したので、すべて交換となったと聞いています。露地栽培に比べて、施設栽培は安定していると世間ではとらえられますが、確実に安定していることはなく苦難の連続です。
河川の氾濫により水没した温室ハウス
私の就農後の2000年9月にも近くの河川が氾濫し、1棟の温室ハウス(キュウリ)は水没しました。収穫中のキュウリは1週間で全滅、植え替えとなり多大な出費となりました。しかし県や市町村、JAは…。
私の親は、以前にも同様の水害を受けた経験を活かし、このときもすぐに対処し、被害を最小限にとどめました。また、この様な被害があると経営が苦しくなる経験から、リスク分散のために畑には柿も植えてあります。これで次のキュウリの収穫が出来るまで経営を維持しようという計算です。
【ネットワークの拡大と日々の工夫】
その後、県の農業指導機関である普及センターの職員(普及員)とも交流が出来るようになり、色々なことを情報交換し始めました。初めのうちは1年や2年で担当の普及員がコロコロ代わる状態で、当てにもしていませんでしたが、徐々にそういった状態が改善されたこともあり、やる気のある普及員とはこちらからも一生懸命に交流するようにしました。また、担当の普及員が大学の先輩であることも多く、とてもよい信頼関係を作ることができました。
私は、もともと実験が好きですから、普及員から圃場を使った実験をしたいと申し出があれば一緒になって協力したこともありました。この様にただ作物を作るだけで無く、好奇心旺盛でいつでも新しいことを追い求めることは、農業にとってとても大事なことだと思います。年間を通せば同じ事の繰り返しのようですが、同じ事は全くありません。自然観察が重要で、状況変化に対応できるように今も日々修行です。
好奇心旺盛とは、何かアクションを起こしたいときに動くのではなく、常日頃作業の状態を確認し、改善したい項目を把握しておき、それに合った状態が来たときに即座に動ける環境を作っておくことだと私は考えています。
例えば、我が家では温室ハウスでのキュウリの栽培がメインで、そこに加えて水稲と柿を栽培しています。水稲・柿の収穫の時期は秋で、メインのキュウリもその時期はまだ収穫中です。優先順位は当然キュウリが1番ですので水稲・柿の収穫は手短にしたいところです。水稲は刈り取りから脱穀、片付けまで通常1週間位かかりますが、機械化を進めることでこれらの作業を2日間で終了でき、残りの日々をキュウリの栽培管理に回せます。また水稲は、品種によってはキュウリ収穫のピークと重なることが有りますが、晩生の品種にすればキュウリのピークから外せます。この様な考えは、すぐに出てくるものではなく、自分たちの作業がどうすれば楽できるか考えて日々の仕事をすることで答えが見つかると思っています。
また、日進月歩で進む農業分野の技術情報を収集することも大切で、全国規模の展示会にもよく足を運ぶようにしています。すぐには役には立たなくても、情報を収集することで次の行動が早くなります。
同様に、地域との交流というか同じ年代の農業者と交流することも大事だと感じています。少し前までは、専業農家の後継者となるとその地域のコミュニティや親の栽培方法しか学習する方法がなく、新しいことをしようとしても情報が入りにくい環境であったと思います。
今では、その地域や地域を跨いだ各所に、各種のコミュニティがありますので、自分のライフスタイルに合ったコミュニティへ所属することによって、違った視点から農業を見ることが出来、新たな発見もしやすくなります。私は施設野菜(キュウリ)が主ですが、そういった場で他の作物の農業者と交流することにより、自分の考えを提案したり、逆に足りないと感じるところは補えたりするので、自身を含め農業者の成長には大変有効だと思います。
【今後の農業に思うこと】
現在の農業への支援環境は、近年まれに見る好条件であると思います。国や県は補助金をどんどん出し、大規模化を進めています。ただし「農業後継者」にではなく「新しく農業を始める者」にです。若者も農業分野での就業に興味を持ち始めているようです。企業の農業参入も進んでいて、このままいけば農業は個人事業ではなく、大企業の一部になる勢いです。
しかし、これが本当に日本の農業の姿なのでしょうか?新規就農者(農家の息子以外)は増えるけど、専業農家の息子は増えているのでしょうか?定年帰農者(定年後に就農する者)が増えて農業は安泰なのでしょうか?大半の農業従事者の子供たちが親の後を継いで農業をしない理由は分かっているのでしょうか?ここをもっと重視して分析し、対策を立てない限り農業は今よりも衰退が進むと思います。
一次産業には一次産業の、二次産業には二次産業の、三次産業には三次産業のそれぞれ得意分野があります。農家の現金収入が少ないからと言って安易に今はやりの六次産業化に進んで良いのでしょうか。それぞれの得意分野を最大限活用して再度戦略を練り直した方がよっぽど現金収入は増えると思います。
今まで色々な農家と接して感じるのは、安定している農家は先を見る目が有り、独自の方法を取り入れているということです。常に変化に対応し、自ら道を切り開いています。対照的にそこそこの農家は周りの言うなりで独自性が見られません。これは、どの産業も同じ事で、常に先を見ないところは衰退するだけだと私は感じています。
農業も常に先を見ることが大切と考えながら、キュウリ栽培を続けている
最後に自分が農業をやっていることの意義や考えを。
- 日本国が食糧危機になっても絶対飢え死にしないために
- 専業農家が作物を作ることに専念できる農業環境に
- 常に最新の情報を収集し自分の農業に生かす
- 補助金、助成金に頼りきらない農業をする
- 楽をすること(作業効率を追求)を考え、コストカットをする
- 仕事するときは一生懸命し、休みの時はとことん休む(1年中栽培はしない)