Vol.186-1 道州制導入の是非を議論するためのノート(下)


山梨学院大学法学部政治行政学科
教授 外川 伸一

 前回(Vol.185-1)の「道州制導入の是非を議論するためのノート(上)」では、このテーマに関する第1節から第5節までを議論してきた。今回は、続く第6節から議論を開始したい。今回が初めての読者には前回の分も合わせて参照いただければ幸いである。

6 道州制導入による自治の脆弱化・希薄化

 次に、前記の②、そして③、④についてである。道州制の導入については、付随的目的として「スリム化」という意味での行政改革的側面が求められていることは否めない。したがって、現在の都道府県と市町村の二層制の上に三層目の自治体として道州を設置することは「屋上屋」を架すことになるとして拒否されるのが一般的である。かくして、広域自治体としての都道府県は、「行政区画」として存置されることはあっても、自治的活動主体としては廃止され、より広範なブロック単位(たとえば、東北六県を合わせた東北州)での道州が設置されることになる。市町村については、現在の1700(H26年1月1日現在で1719)体制では、都道府県から移譲される事務を担うための行財政能力には到底欠けることから、推進法案では、大幅な広域再編とともに市町村という「名称」さえも消滅し基礎自治体という名称になる。
 このうち、道州については、全国にどの程度設置するか、したがって規模はどの程度になるか、またそれをどのような手続きで決めていくのか等の困難な問題を抱えることになる。道州の数については、第28次地方制度調査会が「道州制のあり方に関する答申」(2006年2月28日)で、全国を9~13に区分した複数の「区域例」を提示した。その中の9区域例の東北州は、現在の東北六県から構成され、区域面積は163,987k㎡にも及び、広域再編の対象となる市町村数は232にもなる。大規模な道州との関係において明らかに「均整」が取れていないのである。
 こうしたブロック型道州では、団体自治・住民自治の両自治は明らかに脆弱化・希薄化する。前者について言えば、たとえば東北州では、青森県下北半島の住民から福島県会津盆地の住民まで、「その全域にわたって、共通の利害関係のある問題など殆ど考えられない」という主張(行政法・田中二郎教授)は今でも説得的である。また、団体自治を行使する社会的基盤が備わっていなければ、そもそも地方自治の実をあげ得るかどうかも疑問である(行政法・俵静夫教授)。逆に、「ブロックが広きに過ぎるときは、却って内部における利害対立を来たし、・・・広域行政課題の処理に対して必ずしも有効適切な機能を果たし得ない」であろう(田中二郎教授)。要するに、大規模なブロック型道州は、ある意思決定に際しその区域内の諸地域が様々なベクトルを持つことにより、自治体としての「一体性」を持ち得ず、団体自治を発揮することを困難にするのである。こうしたことは、道州の区域内調整コスト(経済学でいう組織内コスト)を著しく高めてしまうことにも繋がる。
 後者の住民自治については、自治体政治に参画する権限である「地方参政権」を確実に希薄化する(憲法学・渋谷秀樹教授)。東北州を例にとろう。その州都は人口の観点から仙台市となる可能性が高い。宮城県以外の住民は、広域的課題について今まで各県庁所在地を中核拠点として政治参加や直接活動を行っていれば良かったが、東北州の設置とそれに伴う東北六県の廃止によって、その中核拠点は仙台市へと遠ざかることになり、政治参加のコストは明らかに増大する。
団体自治の脆弱化と住民自治の希薄化の「相乗効果」として、東北州周辺部の衰退や東北州区域内の地域間格差拡大、さらには仙台市への一極集中に拍車がかかることは、「平成の大合併」の検証などからも容易に類推できる。 

7 道州制導入に伴う自治の否定

 道州の区域割の手続きも大きな問題である。法律の制定によって国が一方的に区域割を決めてしまえば、都道府県自治(さらには区域内の市町村自治)の否定となるし、関係都道府県の協議と合意に基づいて決めるとなると、合意に至るまでにはとてつもなく長い時間を要するに違いないからである。その困難さは市町村合併の比ではないであろう。
 市町村を広域再編し(推進法案の言う)基礎自治体にするという問題は、さらに困難であろう。道州制においては、基礎自治体は現在の都道府県が担っている事務の一部を除きほとんどの事務を処理することになる。第28次地制調で道州制を検討した専門小委員会の座長を務めた松本英昭氏は、「道州制の下での基礎自治体は、標準的に、少なくとも現在の中核市程度の権限・機能を有することが想定されている」とする。中核市の条件である人口30万人以上の市は、現在、1700市町村の5%未満に過ぎない。これを人口20万人の特例市に広げても、その割合は6%強にしかならない。要するに、90%以上の市町村には合併が求められるのである。しかも、人口5万人未満の市町村は70%程度も存在するので、そうした合併は必然的に極めて大規模なものになる。中核市程度の行財政能力となると、1700の市町村を300~400程度に再編成することになるので、当然そうならざるを得ない。もし、それが可能でないとなると、「二層制」を前提にする限り、小規模の基礎自治体が9~13の大規模道州と適切に役割分担した上で道州制なる自治制度を効果的に作動させていくことは不可能である。しかし、現実に「平成の大合併」を経験した市町村に、これまでになく大規模な合併を求めても「無理」というものであろう。だとすれば、残された手段は「強制」合併ということになる。大規模合併は、仮にそれが自発的であっても、基礎自治体の団体自治・住民自治は脆弱化する。大規模化が自治と無縁な「強制」である場合、自治は脆弱化どころでなく「否定」されることになる。

8 事務権限増大による自治体機構の複雑化と調整コストの増大

 最後に、⑤、⑥についてである。内政の大半を担う道州の事務は広範にわたり行政機構は極めて膨大なものとなる。行政法学者の稲葉馨教授は、このことに関して「道州行政機構における割拠化(縦割り化)も不可避」であり、「部局長クラスの権限も飛躍的に強くなるものと思われ、『調整』のコストも増大不可避」と指摘している。現在、都道府県には、最高意思決定機関として、その名称は様々であるが、知事、副知事、各部局長などで構成される「庁議」が設置されている。また、その前段階として関係部局間の各種調整会議も存在している。稲葉教授の指摘は、この「庁議」が「ミニ閣議」となり、各種調整会議が霞ヶ関の「ミニ省庁調整」の様相を帯びてくることへの警鐘であろう。また、「庁議」に参加する部局長は強大な権限を持ちながら、閣議とは異なり、道州知事を除いて彼らは公選ではなくただの公務員(道州官僚)であることも問題視していると言える。加えて、その上に位置する公選である道州の長の権限は都道府県知事の比ではない。国政との関係で問題がないとは言えない。
 また、立法機関についても、道州議会は強大な立法権限を有する。道州の長の権限と合わせ考えると、議員内閣制など、現在の二元代表制とは異なる統治機構を考えざるを得ないように思う。道州ほどではないが、拡大再編された基礎自治体についても、行政機構内部の調整コストの増大は不可避である。
 なお、事務の移譲に伴い、道州は国家公務員と都道府県職員、基礎自治体は市町村職員と都道府県職員によって再編成されることになるが、特に基礎自治体については、現行の中核市程度でも専門職の確保に課題を抱えていることから、道州制を有効に機能させるためには抜本的な人材確保方策が必要となることも付け加えておきたい。

9 その他の-しかし、そもそもの-問題

 以上、自民党道州制推進本部の「道州制推進基本法案(骨子案)」を念頭に、「根本部分」の5項目に関する問題点等について述べてきた。しかし、以上の議論で触れていない重要なことが少なくとも2点ある。その第一は、政府・自民党を含む道州制推進論者の、「道州制を導入すれば、ヨーロッパの中規模国家と人口もGDPもほぼ同規模の各道州が国際競争力を獲得し、相互に競争することによって、いま一度この国を浮揚させることが可能である」という論理構成は、現在のところ「ビジョン」の域を脱しておらず、極めて脆弱な「仮説」に過ぎないということである。これについては、別稿を用意したいが、道州間の行財政能力格差は極めて大きく(たとえば、沖縄州と一都三県を中心とした州)、財政的に自立できない道州が競争力を獲得するという考え方には相当の無理がある。
 第二は、そのことは取りあえず横に置くとしても、推進論者が主張する国の役割を極めて限定した道州制を効果的に作動させるためには、現在の憲法の枠内では困難ではないかという疑問である(したがって、現行憲法の改正を行う場合には、道州制について明記すべきという意見が自民党内にもある。しかし、それは当分先のことになるであろう)。そうなると、01年の中央省庁再編のように、あるいは現在の地方分権改革のように、今の制度に若干の変更を加えた程度の制度改編が、「道州制」という仰々しい名の下に導入されるに過ぎないといったことが十分に考えられる。筆者には、これこそ、「最大の無駄」だと思われるのであるが、いかがなものであろうか。