Vol.189-2 山岳と健康


~「健康登山」へ向けて~

公益財団法人 山梨総合研究所
調査研究部長 中田 裕久

1.はじめに

 昨年6月、富士山が世界文化遺産に登録され、先日4月21日にはユネスコの認定文書の伝達式が外務省で行われた。また、南アルプスではユネスコ・エコパークの登録に向けて機運が盛り上がっている。有名な富士山、南アルプス以外にも県内には多数の魅力的な山がある。日本山名総覧(武内正著 白山書房刊)によると、2万5,000分の1地形図に載っている国内の山の数は1万6,667。県内には401座の山がある(47都道府県の平均では355座)。こうした山々をどう活かし、地域振興を図っていくのか?とても魅力的な課題である。本稿では山梨県の山岳を活かした健康づくりについて考えたい。

2.山岳と運動

 野外に設定された勾配のある道を歩く「運動療法」が地形療法である。地形療法は19世紀末ごろからドイツで行われてきたが、20世紀後半にミュンヘン大学のアンゲラ・シュー博士によって、南ドイツの山岳リゾートにおける運動療法(気候性地形療法)の開発やその効果が実証され、現在では循環器疾患や心臓病のリハビリや予防に用いられている(注1)。
 地形療法は、山道を歩くことによる持久力トレーニングであり、これに気候条件(寒さ、風)などが加わることによって、持久力トレーニングの効果が高まる。これが気候性地形療法と言われている。
 シュー教授(ミュンヘン ルートビッヒ・マクシミリアン大学)による持久力トレーニング方法とその効果は次の通りである(注1)。

1.持久力トレーニング

(1)訓練基準

  • 期間:3週間~4週間
  • 回数:1週間に3~4回
  • 1回当たりの時間:20~40分
  • 1分間の心拍数:180-年齢(最大酸素摂取量の70%、簡便な目安)

  *運動不足の人、トレーニング開始時の人の一分間の心拍数:160-年齢

(2)血圧降下剤を服用している人の基準

  • 1分間の心拍数:(160-年齢)から10~20%減じた心拍数が目安

2.持久力トレーニングの効果

(1)中枢部(心臓を中心とする内臓)

  ― 酸素摂取量△

  ― 脈拍、収縮期血圧、カテコールアミン、末梢血管抵抗▼

(2)末梢部(筋肉)

  ― 筋肉代謝、血液容量の活用△

(3)全体

  ― 筋肉、体内の酸素供給の増加~心臓の酸素供給の増加

 野外の寒気にさらされることによって、皮膚の血行や気道粘膜の血行が変化し、耐寒訓練と同様に抵抗力が鍛えられる。また、皮膚が寒気に触れると血管収縮が起こり、心拍数や血圧が上昇するが、身体が寒気に慣れると安静時と運動負荷時の心拍数が減少する。つまり、持久力トレーニングと同様の効果がえられる。
 持久力トレーニングを行う場合、常にやや寒いと感じる服装でトレーニングを行うと、体表面の温度を気にせずにトレーニングを行うよりも2倍の効果があるという。
 気候性地形療法の特徴は、野外におけるトレーニングであることを考慮し、運動時の酸素摂取量を心拍数で代用していること、個々人の寒さに対する感覚で服装を調整することによって、トレーニング効果をあげていることである。
 気候性地形療法に適した人は、臓器自体に異常がないのに高血圧、低血圧、不整脈、めまいなどがある人で、3週間も続けると健康な血圧と全く変わらないほど改善される。つまり、運動不足で体調が思わしくない人にとって、最適の運動方法である。

3.上山温泉の地形療法コース

 シュー教授の指導により、2008年山形県上山市に日本で始めての気候性地形療法のコースが設定され、現在5箇所8コースがミュンヒェン大学から認定されている。これらのコースは、高度差、累積高度差、傾斜度、日射などの熱条件等で、歩行速度ごとの運動負荷が鑑定され、コースの難易度により、設定されている(注2)。
 平地の里山(185~573m)4か所6コース、準高地(985m~145)1か所2コースがあり、自分の体力にあった速度で、森や山の中の傾斜地を歩くことで持久力を強化し、「冷気と風」、「太陽光線」等に触れ、体表面を冷たく保ちながら(主観的な温冷感覚で-1℃やや冷えると感じる状態で、体表面温度を約2℃下げる程度)歩くことで、通常の運動の2倍の効果を得ようとするものである。
 市民を対象とした実験では「気候性地形療法を活用した運動は、中性脂肪の低下、善玉コレステロールの上昇などが確認でき、室内運動よりも健康効果が高い」との結果が得られている。こうした知見をもとに、上山温泉では「毎日」「暮色」「オーダーメード」「企業コラボ」などの各種ウオーキングプログラムを提供している。

図 上山温泉―気候性地形療法認定コース(注2)

189-2-1

4.健康づくりのための遊歩道のあり方

 県内には武田の杜、西沢渓谷の2つの森林セラピー基地があり、山梨県、市、旅館組合などで森林セラピー基地運営協議会を創設し、利用者の拡大や魅力ある基地づくりに関する情報交換、森林セラピープログラムの検討,ガイド育成をおこなう予定と聞く。
 各地の観光事業者、NPO、医療関係者、自治体などが集まり、やまなしウェルネスツーリズム推進協議会を組成し、各地の自然資源を活かした「ウェルネスツーリズム」を共同で普及・PRしようとしている。また、笛吹市、北杜市、南アルプス市などでは、山岳や田園地域でのフットパスの整備に取り組んでいる。
 これら活動をさらに展開するためには、健康づくりのためのコースを科学的に設定し、活用していくことが重要である。例えば、ドイツの地形療法コースの一般的な前提条件には以下のようなものがある(注1)。

 ― 1時間歩くコースから1日歩くコースまで

 ― 適度に運動負荷が強くなる勾配がある

 ― 空気が清浄

 ― 日陰、日向がある

 ― 膝に負担のない表面(アスファルト舗装でない)

 ― 自動車なしで誰でも到達できる出発点

 ― 運動負荷の等級づけ(距離・勾配の測定、平均的負荷と歩行時間の算定、難度による区分)

5.「健康登山」について

 当研究所では、山梨県の振興策について自主研究会を行っている。3月研究会で健康科学大学の永井正則、村松憲両先生から「運動学と登山」について興味深い発表があった。以下はその概要である。

  • 山梨県は登山王国である
    山梨県には富士山や南アルプスを筆頭に大小さまざまな山があり,重要な観光資源となっている。南アルプスのような上級者向けの山塊から初級者向けの富士御坂の山々まで多様な山があり、山梨は登山天国と言っても良いほど、山岳資源に恵まれている。
  • 現代の登山―健康登山
    登山には高い山を目指す「スポーツ登山」やレジャー・レクリェーションのための「レジャー登山」もあれば、心身の健康づくりを目的とした「健康登山」がある。
    健康維持の手段として、運動を第一目的とした登山。自分の実力にあった山に登ることが「健康登山」である。
  • 理学療法と登山の関係
    登山の「安全」が確保されてこそ、観光資源が生きる。山岳事故の特徴は「事故の原因の約半数は転倒・転落,疲労など身体運動能力に起因する」ことであり、「事故者の半数は60歳以上の高齢者」である。
    生きていくために最低限必要な基本動作(運動)(立つ、歩く、座る、寝る、起きる、息を吸う)を回復させることが理学療法である。理学療法士は主に高齢者や障害者の歩行などの基本的な運動の回復に特化した専門家集団であり、「登山中に転倒を生じる60歳以上の高齢者」の事故発生を予防することに役立つ。
  • 理学療法からみた安全登山・健康登山の目安
    理学療法の視点から、安全な登山および装備などについての具体的な方法を考えていきたい。例えば、以下のようなことを想定している。
     ― 急斜面を登るために必要な足関節の可動域などを調べ、指標として用いること
     ― 山梨の初級ルートを制覇することでさらに上級コースにステップアップできるような安全登山、健康登山のプログラムづくり
     ― 健康登山・安全登山に適した登山・トレッキングルートの整備
     ― 高齢者に分かり易い案内標識の整備、情報提供ツールの開発

6.まとめ

 県内には401座の山がある。東京から近い地域では日帰り登山などをPRしている。これら東京からの日帰り客は中高年のグループ客であり、潜在的な健康志向の登山客や行楽客は多い。
 登山はその人の体力や能力によって適切な場所・ルートを選択すれば安全である。体力に応じたペース(心拍数)で歩けば、疲労が少なく持久力トレーニングが可能であるとともに、喜びと感動を与えてくれる。しかし、登山道やトレッキングコースを利用した場合の運動負荷などの科学的な目安がない。また、一般的な山々に対する事故予防や、身体能力や年齢に起因する事故予防など、安全登山のための科学的判断材料がない。
 鉄道駅から歩いて日帰り登山が可能な場所をモデル地区として選び、健康登山に適した登山・トレッキングルートの整備、健康登山のプログラムづくりなどを、地元自治体やNPO、観光事業者、大学などが共同して、具体的に検討することを期待したい。

<引用文献・資料>

注1:アンゲラ・シュー、小関信行共著:クアオルト入門、書肆犀、2012

注2:上山温泉クアオルト協議会 ホームページ