所変われば言葉も変わる
毎日新聞No.413【平成26年6月13日発行】
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」。歌人・石川啄木の代表歌である。家族や故郷から遠く離れている者が郷愁を覚え、雑踏の中から故郷の言葉を懸命に探し出し、自らを慰めていたのであろうか。あるいは、その言葉に触れることで、「また明日から頑張ろう」と気持ちを切り替えることができたかもしれない。故郷の言葉には、人々の心を動かす働きがあるようだ。
さて、NHK連続テレビ小説「花子とアン」が高視聴率という。この物語は、明治から昭和にかけての波乱の時代に翻訳家となり、カナダの作家、モンゴメリの長編小説を「赤毛のアン」として出版した村岡花子さん(1893~1968)の半生を描いた作品である。主人公の村岡さんの出身地が甲府市であるため、「こぴっとしろ」「~ずら」「てっ」など、山梨県民にはおなじみの甲州弁が芝居の台詞の随所に織り込まれている。
ちなみに、筆者は、幼少の頃から父方の祖母と同居していたこともあり、かつて当たり前のように甲州弁を話していた。ところが、祖母が他界し、甲州弁を耳にする場面が減ったためか、すっかり甲州弁を話さなくなっていた。だが、このドラマの放映が開始されてから、我が家では、頻繁に甲州弁が飛び交うようになっている。それに伴い、不思議なことに家族の会話や笑いの回数が格段に増えた。甲州弁を話すと場が和み、相手との心の距離が近くなるように感じる。また、甲州弁にまつわることから、想い出話に花が咲いたりするのだ。
ところで、広辞苑によれば方言とは、「一つの言語において、使用される地域の違いが生み出す音韻・語彙・文法的な相違」と定義される。それは、「その土地でしか味わうことができない言葉」であり、言い換えると、「言葉の個性」であると思う。甲州弁が誕生した裏には、山梨県の地域特性や文化的背景が深く関わっていることは否定できない。したがって、少々語弊があるかもしれないが、甲州弁を大事にすることは、すなわち、「山梨県らしさ」を大切にすることにつながるのではないだろうか。
様々な情報伝達媒体が発達し、標準語が時代の移り変わりとともに広範囲に行き渡ることで、方言を活用する機会が失われつつある。しかし、「花子とアン」を契機に、甲州弁の価値を再評価してみてはいかがであろうか。
(山梨総合研究所 主任研究員 安部 洋)