Vol.196-1 ホップと北杜高校のあいだ


山梨県立北杜高等学校 教諭 千野 政寿

◆はじめに

 昨年(平成25年)のある日、勤務をしている高校の廊下で1枚のポスターを目にした。
 深い緑色を背景に「北杜忽布物語」と書いてあった。忽布は「ホップ」と読ませる。当て字であろう。地元の北杜市郷土資料館でホップの企画展をやる、という内容だった。何となく心が引かれた。高校がある峡北地域は、かつてホップの一大産地であったということをどこかで聞いたことがあった。
 学校が夏休みに入ったある日、甲府市右左口町(旧中道町右左口)の実家に手伝いに行った。その日は、親たちが組織している「アグリ中道」の活動の一環で、東京から桃の収穫に来る人たちを受け入れる催しが行われる。その準備中に、「アグリ中道」のメンバーの方と雑談をしていたのだが、私が北杜高校勤務だと分かると、ぜひホップの企画展に行くように強く勧められた。実は、その方は「北杜怱布物語」の協力者だった。
 数日後、北杜市長坂町にある郷土資料館を訪ねた。ホップは冷涼な気候に適した作物で、峡北地域はその条件に合いかつて一大産地であったこと、「かいこがね」という優良品種がこの地で発見されたこと、などを知った。その後、栽培は廃れ、現在では栽培者の内のごく少数の方が「老後の観賞用に」と数株だけ残している状況で、山梨における「かいこがね」はまさに絶滅寸前であり、人々の記憶からも消えかかっていた。この現状に危機感を持った郷土資料館の学芸員がこの展示を企画したようだ。
 以下、この企画展が北杜高校とどうつながったかを述べ、高校がその地域で果たす役割について考えていきたい。

1.つながり

 展示を見た私は、この内容を生徒達にも知ってもらいたいと思い、その場で出前授業を依頼した。その日、学芸員は不在であったが、後日高校に電話があり、応諾の返事を頂いた。学芸員の名前は植松正江さんである。電話で話をしていて不思議な縁に驚いた。植松さんの息子さんは北杜高校の卒業生であり、私が授業を持った生徒だった。また、娘さんは在学中であることが分かった。
 出前授業は11月8日に実現し、私が受け持つ1学年の生徒のうち約180人が参加した。①県内のホップ栽培は戦前から始まり、峡北地域はその中心地であった。②キリンビール(株)の奨励で生産者が増え、最盛期の1952(昭和27)年には、生産量110トン、栽培面積96ha、生産者は898人となった。③「かいこがね」は、いまも東北地方で栽培されている。④韮崎駅前にホップの集荷場があった。⑤外国産ホップの輸入が増え、1990年代に栽培は事実上終わった。植松さんからは、このような話をうかがった。講演の後、植松さんが保存しているホップのまり花が配られ、生徒達はその香りをかいでみた。「くさい」「変なにおい」という声が、あちこちであがった(この出前授業のことは、平成25年11月16日付の山梨日日新聞に掲載された)。
 授業の後、植松さんと北杜高校の農場長との間で、「かいこがね」を学校の農場に植えることが決まり、今年、平成26年4月21日に植樹が行われた。農場にある、あけび棚の下に2本の地下茎が生徒達によって植えられた(このことも翌日の山梨日日新聞に掲載された)。生徒達は「地元でホップの新しい品種が見つかったということが驚きだった。大切に育てたい」「まり花の香りが楽しみ。多くの人にみてもらいたい」と口々に話していた。

2.現状

 10月上旬、私は農場のホップを見に行き驚いた。2本のホップは、あけび棚の高さを超えるほどに成長していた(写真)。ツルは棒に巻き付き、まり花が多く実っていた。すでに黄色くなりかけていたが、いくつかを採り、においをかいだところ、青臭くそれでいてさわやかな香りがした。担任をしているクラスの生徒達に見せ、夜はまり花を浮かべたビールを飲んだ。いつもよりビールの香りが強まったような気がした。

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  まり花の収穫は、本来7月から8月にかけて行われるが、今年は収穫しなかった。来年は家庭科の教員と協力して食材などに活用したいと考えている。

3.地域のなかの高校

 北杜高校の起源は、大正4(1915)年に創立された北巨摩郡立農学校である。峡北農林高等学校時代の昭和24年に普通科が併設された。昭和38年に須玉商業高校、昭和50年に峡北高校が分離し峡北農業高校が後に残った。平成13年に再度3つの高校が統合し現在の北杜高校となった。農業教育は、総合学科の生物生産系列に引き継がれている。この系列では、果樹・野菜・花卉に分かれ、それぞれの栽培の基礎を学ぶカリキュラムになっている。北杜市は、八ヶ岳の南麓に広がり、比較的標高が高く(北杜高校の標高は617メートル)冷涼な気候である。武川米などの稲作、キャベツ、レタス等の高原野菜の栽培が盛んである。
 農業高校(農業コース)の役割は何であろうか。それは、その地域における次世代の農業を担う人材を育てることである。武川で米(農林48号)を作っている農家、清里で高原野菜を栽培している農家の子弟が、家業を継ぐために、入学してくることもあるが、卒業後すぐに就農する生徒は決して多くはない。
 「地域に開かれた学校」。最近、よく使われる言葉である。今、学校は各地で地域との結びつきを強めつつある。北杜高校はというと、確かに、学校評議委員には地域の人たちが名前を連ねており、収穫祭(フェスタ杜のきらめき)には大勢の地元の人達がやって来る。しかし、残念なことに、その時だけの交流になってしまっており、「学校」と「地域」の親密かつ継続した関係とはなっていない。最近、島根県立隠岐島前(おきどうぜん)高校が、メディアで取り上げられ話題を呼んでいる。生徒数の減少で統廃合の危機に面した隠岐島前高校は、少人数教育や地域資源を生かしたカリキュラムを中心に学校改革を行い、全国から生徒を募集した結果、生徒数は回復し、統廃合の危機を脱した。キーワードは「魅力化」である。地域に徹底的にこだわり、「そこだけにしかない魅力を見つけること」をコンセプトに教育を行っている。
 北杜高校の「魅力化」とは何か。その一つは、地域独特の農産物をつくることだと思う。かつて峡北の地に広がっていたホップ棚は多くの高齢者の記憶に残っているだろう。学校にホップ棚があり、生徒達が育て、大きなまり花の実を付けた光景を見に人々が自由に訪れる。昔話を聞きながら、生徒達と地域の人々がホップ棚の下でともに時間を過ごす姿が浮かんでくる。増富地区には「増富きゅうり」が伝わる。こういった地域の歴史を物語る農産物を栽培することは、生徒達にとって、その地の産業の歴史や、人々の生活、また栽培を可能とする独特の季候などを知るきっかけとなり、地域への知識が深まり、愛情がより一層増すのではないかと思う。
 私は夢想する。北杜高校の農場に「かいこがね」のまり花が青々と実り、さわやかな香りがあたりに漂うことを。そして、生徒達と地元の人々とが、うれしそうにそれを見ている姿を。