お米のはなし


毎日新聞No.445 【平成27年9月18日発行】

 5年前に山梨に戻り、荒れ果てていた実家の「雑木田んぼ」と格闘した。機械もなく、植える苗もなかったが、とにかく「雑木田んぼ」を見るに忍びなく、ひたすらに格闘していた。5月の連休を過ぎた頃、「おまん、本気か?」、近所の兄さん(私の地元では、付き合いの深い年長者を親しみ込めてこう呼ぶ)が声をかけてくれた。そして、兄さんたちの協力を得て、その年に何とか一部の田んぼに苗を植え、もうすぐ5回目の刈り取りがやってくる。

 農林水産省食料需給表によると、国民一人当たりの米消費量は昭和37年の118.3㎏をピークに年々減少を続け、平成24年には56.3㎏となった。これは、おおよそ一人当たり一日0.95合、茶碗にして2.3杯の計算になる。外食、中食(ナカショク)による米消費を勘案すると、家庭内での消費量がいかに落ち込んでいるかが推察できる。
 ご飯と味噌汁、皆で囲む食卓はこの国の「食の風景」であったが、現在では、「多様な食糧供給体制による食生活の変化」、「家庭内における食事回数の減少」、「手料理機会の減少」、「単身世帯の増加」などが絡み合い、その風景は様変わりしているようだ。と同時にここまで多様な食料が自由に獲得できる時代にあっては、いよいよ「食」も嗜好品の領域に入ってきたかと考えてしまう。主食である「米」に関しても流通段階では「おむすび米」、「酢めし米」、「リゾット米」や、コーヒー豆を売るようにガラスケースに入れての量り売りが行われている。

 新米の季節である。炊きたての新米には格別の旨さがある。
 「食」には「幸せ」や「喜び」を感じさせてくれるパワーがある。炊きたての新米を前に、家族で食卓を囲む場面は想像するだけで微笑ましい。この秋、各家庭でそんな場面が生まれることを期待している。
 今後、この国の「食の風景」はどうなるのか。そんな想いを抱きつつ、我が家の新米祭りが近づきつつある。これからもちょっとだけ贅沢で厄介な米作りに向き合いたいと考えている。

(山梨総合研究所 主任研究員 末木 淳)