Vol.208-1 甲府市中心街の変遷と今後の展望


208-1-1

甲府商工会議所 中小企業振興部
部長 越石 寛

1.はじめに

 甲府市中心街が衰退して長い日時が経過したが、その間に甲府商工会議所では活性化のための様々な活動を行い、もう一度人々が集まる中心街を模索してきた。読者の中にも中心街で小さい頃に祖父祖母・両親に手を引かれて楽しい時間を過ごした、あるいは中学生・高校生の頃に友人達と楽しい時間を過ごした、といった思い出をお持ちの方も多い事と思う。今回この場を借りて中心街の変遷とその要因、今後の展望を示したいと思う。

2.甲府市中心街の変遷

 甲府の中心街は今から30年ほど前までは、全国的にみても一際賑わいのある街であった。平日夜も週末も、飲食街も表通りも肩と肩が触れ合うほどであり、スクランブル交差点には人々が溢れていた。それは、地方都市の中においても特徴的な要素があったからである。物販と飲食、歓楽街が混在し、山梨県全域、県境の長野県からも集客するほどであった。江戸期以降、商売の街として栄えた現在の甲府市中心街は、戦災後も見事に復興しその名残を長く留め一大消費地としての集積があったのである。
 今でこそ中心街の衰退は決定的であるが、その傾向はすでに昭和50年代後半から徐々に出始めていた。活性化事業の第一弾は昭和61年に開催されたかいじ国体に合わせるように策定された「甲府市商業近代化計画」であり、春日モール、ペルメ桜町通りのアーケード化と甲府駅エクランの建設である。
 その後、平成に入り消費者ニーズの多様化、モータリゼーションの発達といった中心街を取り巻く環境の変化は一段と進み、誰の目から見ても以前の中心街とは明らかに異なる姿になってきたのである。その中でも大きな衝撃は平成10年の西武百貨店の撤退と翌11年のトポス閉店である。これを機に中心街への客足は一気に減少し、その後浮上出来ないまま現在に到っている。このような中心街の衰退は甲府市だけに限った話ではなく、時を同じくして全国的に同様の変化が現れ始めたのである。

3.法的要因

 この平成10年は地域商店街などに対して、大きな影響を与える法整備が成された時期とも符号する。大規模店舗立地法(以下、大店立地法)の制定である。これは、従来の大規模店舗小売法(正式名は大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律。以下、大店法)に替わる法律である。大店法はもともと昭和40年代に入り、郊外型大型スーパーなどの出店が相次ぎ、地元商店街による出店反対運動が盛んになったことを背景に従来の百貨店法を拡大する内容で制定されたものであり、地域商店街などへの影響を出来るだけ小さくするために店舗規模(売り場面積、営業時間など)を制限することがその骨子であった。そのために、全国の商工会議所の中に地元の小売業者、消費者、学識経験者などから構成した商業活動調整協議会(商調協)が設置され、商工会議所がまとめ役となって商圏が重なる地域に出店しようとする大型店と地域商店街との調整を図っていたのである。いわゆる保護政策である。中小の小売業の事業活動を守り、地域経済のみならず住民生活の安定を図る上で大店法は効力を発揮したが、同時に大企業の郊外型大型商業施設の開発に対しては、その進展を妨げ国内において大きな火種になっていたことも事実である。これに風穴を開けたのは米国である。平成2年に行われた日米構造協議において、大店法は非関税障壁であるとの主張を行い、協議における大きな焦点となった。丁度その頃に日米合弁会社として設立された日本トイザらスが国内一号店の出店を計画していたが、この法律によりまったく見通しが立たない状況にあり、政府間交渉の場に持ち込んだのである。
 そのような経緯もあり紆余曲折の末、政府は大店法を廃止し、新たに大店立地法を制定、施行した。これは、地域商店街などの保護目的ではなく、大型店と地域社会との融和の促進を目的としている。出店にあたっての審査内容も周辺の交通量、騒音、ゴミ排出といった周辺環境の変動を主な内容にしている一方、規模についてはその対象から除外され、同法施行後は全国的に郊外への大型店の出店が加速したのである。このことが、地域商店街の衰退に拍車をかける一要因であったことは否定できないであろう。

4.中心市街地活性化法

 この平成10年は大店立地法の制定とともに、現在の中心市街地の活性化に関わる法整備がなされた年でもある。それは中心市街地活性化法(正式名は中心市街地の活性化に関する法律。以下、活性化法)と呼ばれるもので、大店立地法により衰退が進むであろう中心市街地の活性化に取り組む市町村などを支援する目的で施行された法律である。この時に生まれたのがタウンマネジメントという概念である。各地の商工会議所が中心となりTMO[1]を設立し、計画を策定して中心市街地の商業部分に関して事業推進していくこととなったのである。甲府市においても、集客のためのイベント、空き店舗入居者への家賃補助、レトボン運行などTMOの活動によって実施してきたものである。TMOの活動は全国で1,000近い活動がなされたが、いずれも成果面においては乏しいものであった。その後、てこ入れ策として平成18年に活性化法を改正、三つの義務事項が加えられることとなった。それは、①各市町村で策定する中心市街地活性化基本計画(以下、基本計画)は首相がその内容、実現可能性を判断し、正当性を担保するために認定制とする。②数値目標を導入する。③まちづくり会社を設立する といったものである。これに伴い、甲府市においても平成20年に第一次基本計画を策定し認定を受け、数値目標については、①歩行量、②小売店販売額、③居住人口 に定め、まちづくり会社は当会議所、甲府市、山梨中央銀行からの出向者によって設立されたのである。現在は、当会議所およびまちづくり会社が中心市街地の活性化のための公的な事業を実施している状況である。

5.成功事例

 現在全国の多くの都市で、改正活性化法に基づき活動が行われているが、そのほとんどで大きな成果には結びついていないのが実情である。しかし、その中でも高松市の丸亀商店街などは成功事例として全国的に有名である。現在の中心市街地における活性化活動のキーワードは前述した「タウンマネジメント」と「まちづくり会社」である。丸亀商店街においては、早くから青年会などが中心となって、イベント開催、店舗誘致などに止まらず街全体を一つのショッピングモール化するコンセプトのもとに、ゾーニング、居住地域・消費地としての機能の補充・集積、駐車場整備といった事業を進めてきた。また、不動産の所有権と利用権の分離を行い、重要な資源である土地・建物が常に地域経済活動における資産として流動化するような施策を講じている。成功要因は商店街の当事者達の強い危機意識と連帯感、そして将来への展望と信念だと感じる。そして、なによりもこれらの事業によって独自の収益を生み出し、それを資金に事業を推進するモデルが成立していることである。それにより地域の関係団体および利害関係者とも協働して取り組めるのである。

6.今後について

 当会議所としては、これまでのようなイベント開催、情報発信、空き店舗対策などの事業では中心街の活性化は難しいと感じている。ハード事業により街の景観は変わりつつあり、現在は甲府駅南口整備、県庁敷地整備、そして長年の懸案事項だった銀座ビルの再開発も動き出した。今後必要なものは集客できるハードであり、観光を中心にした新しい街づくりである。北口の夢小路などは景観とともに、集客面においても一定の効果があり観光客のみならず市民の利用も活発である。
 現在お城を中心に天守復元、南側部分(税務署跡地周辺)の開発が議論されているところである。この部分は甲府駅側からの中心街への入口であり、また石垣・お堀を望む景観的にも甲府をアピールするには最適な場所である。この部分に集客スペースが生まれればオリオン通り・オリオンイーストから紅梅通り、岡島百貨店、春日モール方面を一体とした回遊のモチベーションになるに違いない。これについては、当会議所としても山梨県と甲府市に「お城フロントの開発」として提言しているところである。
 また、ソフト部分の充実についても進めていかなければならない。各種のアンケートによると、県外からの来訪者(観光・出張含め)から山梨県産のワインについての情報が不足しているという意見が寄せられている。これに対して当会議所として、県産酒(勿論、日本酒も含めて)が飲めるポータルサイト「ノムカ」を作成した。12月1日から正式運用を始め中心街の飲食店で県産酒を飲める店舗をきめ細かく情報発信していく予定でいる。

7.まとめ

 失ったものを取り戻すことは容易ではない。これからの中心街は消費地としてだけではなく、文化・芸術、伝統産業などを含めた複合的な魅力を発信し、観光客および市民、県民に「ほっとする」、「楽しい」、「面白い」といった様々な「時間」を提供できる場であって欲しいと感じている。歴史と文化と伝統、そして現在が行き交う街、甲府。大きなコンセプトを掲げ、しっかりとしたグランドデザインを描き、大胆に着実に次代の中心街を想像しながら当会議所として取り組んでいきたいと考えている。


[1] Town Management Organization
タウンマネジメントオーガイナイゼーション
様々な主体が参加して街の運営・プロデュースを総合的・複合的に調整し、活動する機関