Vol.209-1 この地の酒について
山梨県酒造組合会長
山梨銘醸株式会社 代表取締役社長
北原 兵庫
1.はじめに
長野県高遠町郊外で代々造り酒屋を営んでおりました北原家の七代、北原伊兵衛光義がここ白州台ケ原に分家を出したのが寛延三年(1750年)ですから、今から260余年前のこととなります。当家に伝わる話によりますと甲府、江戸に出かける際には杖突峠を越え、よく台ヶ原に宿泊したそうです。そのうちに当時の村役人などと懇意になり、この地で休業している酒蔵があるので、そこで酒造りをしてみないかと薦められ、最初は3年の期間で建物、酒蔵を借りたのが現在に続く第一歩でした。伊兵衛32歳の時だったといいます。それから代を重ね、現在私は12代蔵元としてこの地を愛し、この地で酒を造り続けております。今回は、この場を借りて「地域との関係」、「酒造りの歴史」、そして山梨県酒造組合の会長という立場から「県産日本酒」について私なりの所見をお届けしたいと考えております。
2.地域との関係
元来造り酒屋は地域との深い関係性が無ければ成り立つものではありませんでした。米・水は酒造りになくてはならぬものであり、それは地元から調達するものでした。現在のように遠方から原料を調達したり、労働力を獲得したりということは不可能な時代であり、必然的に地域との関係は深くなったのです。そこから「地酒」という言葉が生まれてきました。その、地域との関係は現在、形を変えても欠くことのできないものと考えております。私どもの地域活動の一例をご紹介します。
現在地域活性化の活動が各地で行われています。私は15年ほど前に地域の仲間と「台ヶ原蔵(く)楽部(らぶ)」という有志の会を立ち上げました。当初は骨董市を旧道沿いで開催する小さなイベントから始まりましたが、年々活動の輪が広がり10月には13回目の「台ヶ原 宿市」として、多くの方々に楽しんでもらえるイベントに成長しました。最初は自治会との接点もありませんでしたが、回を重ねる毎に自治会との協力体制も強固なものになり、地域としての活動になってきました。台ヶ原が注目され来訪者が増えるようになると、行政からも注目され多くの支援を受けるまでになりました。駐車場整備や交流拠点作りなど行政も積極的に関わり、台ヶ原のプレゼンスを高めているところです。地元が積極的に活動することにより、行政が支援し易い環境が生まれ、その事がまた好循環に繋がっていくものだと思います。現在「台ヶ原 宿市」は毎年10月第3の金・土・日曜日に開催しており、「清里 秋のカンティーフェア」と同日開催をしています。それにより当日は観光で来た方々に1日中北杜市内を過ごしてもらえるような地域間連携の効果も生まれています。少しずつではありますが地域の活動は活発になり、前進していると感じています。
地域の中にはいろいろな意見があり、想いにも温度差があるのも事実です。考えの違う方々に分かってもらう、理解してもらうには時間が掛ります。しかし、私自身は言い聞かせてやるようであってはならないと思っています。賛同者が継続することによって、後に振り返った時に「良かったね」ということになれれば良いと考えています。現在台ヶ原には他の場所から移って来て商売をされている方々がいます。店舗は様々。ハチミツ・コーヒー・蕎麦・洋風の骨董品など。この方々は台ヶ原に魅力を感じてやって来たのであり、今までの活動の成果とも言えるのではないかと考えたりもします。台ヶ原蔵楽部という任意の集団から始まった活動は自治会・行政を巻き込み、良い方向で進んでいると感じています。
地域活動には「攻め」と「守り」があると考えています。前述のような活性化の活動は「攻め」ですが、反対の「守り」は資源の確保、不動産の維持にあると考えています。空き家、耕作放棄地の問題が取り沙汰されていますが、職の問題などでその地を離れなければならない状況は必ず出てきます。そしてそこに取り残されたものを地域としてどのように考えるか、そういう時代に来ているのではないでしょうか。当地においてもこのような状況が見受けられます。台ヶ原のアイデンティティを考えた時に、例えば地域の人々が望まない施設ができる、店舗ができるなどということも起こり得るのです。現在台ヶ原では弊社プラスαの法人によって資金を出し合い、遊休不動産の取得も行っております。これからも「攻め」と「守り」の両輪で地域活動に取り組んでいきたいと考えております。
3.これからの酒造りについて
酒造りも長い歴史の中で大きく変化しています。うるち米(食べる米)で造っていたものが今では酒造好適米といって酒造り専用のお米を使うようになり、磨き(精米)技術、醸造技術・環境により日本酒は格段に旨くなり、バリエーションも豊かになりました。この業界は同業者間での情報交換、意見交換なども比較的オープンであり、また、国税局には酒造りの技官(鑑定官と言います)がいて各酒蔵は日々勉強しながら酒造りに精進しております。
このように、比較的オープンな業界と言えますが、酒造りは麹菌・酵母菌などの目に見えない生き物を相手にしており、温度管理・湿度管理によってその時々の最適な発酵状態を管理することが旨さの要諦であったりします。そこは、各酒蔵の酒造りにおける根幹ですので門外不出でもあります。かつては日本全国すべての酒蔵は杜氏という現場監督と蔵人という職人が冬の間に酒造りを行っていました。全国的には越後杜氏、諏訪杜氏、南部杜氏、能登杜氏などが有名ですが、近年ではこの制度も変化の兆しを見せ始めています。
現在全国では1,600くらいの酒蔵がありますが、杜氏―蔵人制度で酒造りを行っているのは1,200ほどと思われます。これには、1.現役杜氏の高齢化 2.杜氏の後継者不足 が要因として考えられます。杜氏は冬の間地元を離れ、家族と離れ全国に散らばり酒造りを行います。高齢化が進むと体力的にも厳しい状況になり、一人、二人と酒造りから引退する杜氏が増えていくのです。また、期間労働と約半年の間家族と離れるということがネックとなり、若手の後継者が不足しています。このことが、各酒蔵の危機意識にも繋がり、現在では社内杜氏、従業員蔵人による新たな酒造りの段階に移りつつあります。この状況は近い将来、加速度的に進んで行くものと思われます。今、酒造りは製造形態の変革への対応と技術の伝承が喫緊の課題となっています。当然のことながら、どんな業種であっても若手、後継者がいなければその後の継続はありません。
4.山梨の酒について
地酒という言葉がありますが、最近はそれをしっかりと定義する必要があるのではないかと感じています。その定義とは、1.地元の米を使う 2.地元の水を使う 3.その地で酒造りを行う 4.酒蔵それぞれの技術 この四つがあって地酒と言うことができると思います。元来酒造りは地元に深く根ざしたものです。原料の調達はもちろん、地域ごとの気候までも酒造りには大きな影響を及ぼします。山梨は酒造りには適した土地です。米が獲れる、水が良い、大消費地である首都圏にも近い。これから山梨の酒を相対的に高めていくには独自性、独特の個性が大きな要因になってくるのではないかと思います。高速道路網の延伸、リニア中央新幹線の開通により、人・物の動きはさらに活発化することが予測されます。また、近年ではインバウンド観光も大きな進展を見せ、本県にも多くの外国人観光客が訪れています。海外に目を向ければ、日本食のみならず、日本の文化自体が支持をされています。その中で日本酒は日本を代表するものであり、歴史と伝統に裏打ちされた文化であります。現在私は山梨県酒造組合の会長を仰せつかっており、日々山梨県産日本酒の地位向上に取り組んでいます。
地酒という言葉にはもう一つ意味合いがあります。それは、他地域、例えば前述したような首都圏、あるいは海外で販売を強化しようとしても、やはり一番重要なことは「地元で飲まれている、愛されている」ということだと思います。それが、他地域に行ったときに販売の大きな原動力になるのです。地域の日本酒は究極の嗜好品なのではないかと思います。親子三代に亘って「その酒」を飲むという文化が各地にありました。最近では消費の多様化によりそのようなこともめっきり少なくなって来ているでしょうが、それが地酒と言われる原点でもあるのです。
現在山梨県の酒蔵は15社あります。戦後間もない頃には65社ありました(全国的には3,500社から1,600社に減少)。その原因は後継者不足と売上不振です。だんだんと減り続けていく仲間たちに非常に寂しい気持ちを持ったことを覚えています。酒造りは経営面から見ると、あまり効率的とは言えません。米作りから数えると、製品になるまでには約一年かかる。金融機関からはよく“回転率の悪い商売ですね”などと言われるがそれが酒造りなのです。経営効率を考えることは大事なことですが、やはり原点は「旨い酒を造ること」、「地域の方々に愛されること」と考えています。県内の酒蔵が地元を愛し、そして地元に愛され、県民の皆さまに山梨の酒を大いに楽しんでもらいたいと願っています。
5.山梨県酒造組合として
現在酒造組合として取り組んでいることがあります。それは、私たち組合内で取り組んでいること、山梨県と協働していること・要請していることの三つの側面があります。まず組合内のことですが、各酒蔵が酒造りの技術、品質を高めていくことです。それには技術者としての側面があると思います。情報・知識を広く吸収して、己の酒蔵においてトライアンドエラーの精神で実践的にチャレンジしていく姿勢が重要と考えています。今、品質向上委員会があり、各酒蔵の情報などを共有するような仕組みがありますので、これらの活動をより積極的に進め、組合として山梨の日本酒の品質向上を図りたいと考えています。次には販売面における取り組みです。これについては、山梨県などと協働する機会も多いのですが、各地のイベントに出向いて、飲んでもらう・知ってもらうという活動を行っています。10月1日の「日本酒の日」には、防災新館において、県内の酒蔵が集まり、盛大なイベントを開催しました。来場者も多く、大変活気ある良いイベントであったと感じています。
10月1日「山梨の日本酒で乾杯イベント(防災新館)」
また、先日は山梨県とジェトロ山梨から「香港 酒&スピリッツ」への出店要請があり、香港からも山梨県への観光客が増えていることを考えると、知ってもらう良い機会になるのではないかと考えています。それから山梨県に対する要請として本県オリジナルの酒造好適米を作ってもらうよう働きかけをしています。開発までには10年以上かかるようですが、今から取り組まなければその先は無い訳で、どうにかして形にしたいと考えております。それにより山梨県の日本酒は独自性が高まり、「山梨の酒」と声高に言えると思うのです。
6.山梨県に対する注文
現在我が国ではクールジャパンの取り組みで日本の文化を海外に広めようとしています。数年の後には「日本酒」についてもしっかりと定義付けがなされていくことでしょう。山梨県ではワインを主産品として非常に力を入れていますが、我々の造る日本酒についても同様に注力をお願いしたい旨を言い続けてきました。例えば振興予算の配分であるとか、露出機会の件数・方法、県庁職員の意識など、やはり組合としては公平感に疑問を感じる場面が多々あるのも事実です。例えば、多くの方が集まる東京で開催する催しがあるのですが乾杯は必ずワイン。酒造組合の会長として、このような時には、年毎に交互に乾杯するとか、テーブルには日本酒・ワインがグラスに注がれていて、来場者が選択できるようになっているといった状況を作ってもらいたいと、強く要望したこともありました。
山梨県は国産ワインの醸造地として一歩抜きん出た地域であることは間違いありません。県として注力するのは当然でしょうが、この地で醸造する日本酒も山梨県の歴史・文化を継承する主要な産品であることは疑いようもありません。山梨県は二つの醸造文化を持つ独特の地域です。県産ワインと競争する気持ちはありませんが、県内産業の発展、業界の発展の観点から、また山梨県の独自性をアピールする観点からも引き続き強く要望していきたいと考えております。現在山梨県酒造組合の会長という責任ある立場として任期中に「山梨県にはワインもあるけれど、日本酒もあるね」というところまで持っていきたい、それが使命と考えております。
7.これからの日本酒
お燗で、お銚子と徳利で、といった従来の顧客に満足してもらうことは勿論ですが、同時に新しい市場の開拓が必要であると考えています。例えば若い人向けには吟醸酒を冷やしてリーデルグラスで飲むといったシーンの提案をしていきたいと考えています。また、日本酒はどんな料理とも相性が良いので料理との組み合わせはまだまだ拡がる可能性があり、市場の裾野を十分に広げられると考えております。海外での日本酒ブームの効果もあり、出荷量は下げ止まっています。今後は海外からの観光客(特に欧米からの)、または海外現地において、お燗で飲む、あるいは枡で飲むといった飲み方が支持されるのではないかとも思っています。
酒は寒造りといって、この時期仕込みの最盛期を迎えています。来年2~3月には新酒が皆さまのお手元に届けられることと思います。これからも山梨県内の酒蔵は力を合わせ、酒造りに邁進して参りたいと考えております。