Vol.210-1 伝統工芸
山梨県立美術館館長
白石 和己
1.はじめに
近年、生活様式の急速な変化によって、人々の求める工芸品の傾向や志向が変わってきている。また様々な技術の発達、新しい素材の開発などにより、新しいものも生まれてきており、さらに人々の価値観も大きく変わってきて、日常のさまざまな道具、特に身近な工芸品に対する使い良さや耐久性、便利性など従来とは大きく変化してきている。その一方、道具や素材を含めて伝統工芸に対して見直す動きも見られる。伝統の中に新しい価値観を見いだそうとする積極的な動きである。利便性や経済性優先に対する反省といえるかもしれない。伝統工芸は、大きく分けると、美術作品としての方向と産業製品としてのそれがある。そしてその間にもいろいろな傾向があるし、その両方を行っている場合もある。
2.伝統工芸とは
伝統工芸について、漠然としては捉えられても、厳密にはそれほど明確にできない場合が多い。何をもって伝統とするか。工芸とは何なのか。絵画や彫刻と工芸はどう違うのか。産業製品、特に工業製品と工芸はどう区別するのか。伝統とは何をもって言うのか。伝統は現代性とどう関わるべきなのか等々である。これらは個人によって考え方が異なり、その時々によっても違ってくる場合がある。こうした疑問に答えるべくこれまで数多くの見解が提示されてきた。しかし、いまだにその境界は曖昧のままになっている部分が多い。その理由は、工芸が私たちの生活に身近なものであること、また伝統工芸は長い歴史を背負って発展しているため、時代によっても異なっており、それぞれの個々人での事情、関わり方が違うため、その考え方は多様であり、場合によっては生活上、非常に切実な場合もあるためであろう。
私たちは普通、伝統工芸というと、まず実用的なものを思い浮かべる。陶磁器、金属製品、木工や竹工、染織品などである。それらの用途は、茶碗、皿、壷、花瓶、箱、籠、着物、帯などであり、また和紙や織物の布地など、形になる以前の材料的なものについても伝統工芸の範疇に入れることもある。そこには、素材がこれまで長い間使われていたものについて思い浮かべる。文様や形についても、多少の創作性があっても、それほど突飛なものではない、穏やかなものが考えられるだろう。
3.国・県による保護・振興政策
伝統工芸は社会の急激な変化やさまざまな情勢により、原材料の入手困難、後継者不足、そしてなんと言っても作った製品が売れなくて経済的に立ちゆかなくなる場合がある。だが産地が消滅してしまっては、その地域の活力が衰退してしまう恐れがあるし、伝えられた技術がなくなれば、復元が困難となり失われてしまうことになる。大きく言えば、現在の私たちを形づくってきた文化が途絶えてしまうのである。そのため国をはじめ、さまざまな方策をとっているが、その主要なものは、文部科学省による無形文化財保護や経済産業省による伝統工芸品産業振興策であり、県や市町村等でも同様の施策が行われている。
文部科学省による無形文化財の保護は文化財保護法によっており、その代表的なものは重要無形文化財制度である。これは、伝統的な工芸技術のうち、歴史上又は芸術上、特に優れた技術を指定することができ、指定にあたっては、その技術を高いレベルで保持している技術者を重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定しなければならない、とするものである。重要無形文化財制度は昭和30年にはじまるが、これまで延べ170名以上の人間国宝の認定があった。平成27年12月時点では40件の技術の指定と58名(重複認定のため実人員は57名)の人間国宝が認定されており、団体指定は14件、14団体となっている。
一方、経済産業省の所管である伝統的工芸品の指定は、昭和49年の制定以来、平成27年6月18日時点では全国で222件が指定されている。おおむね100年以上の歴史があり、現在も技法が受け継がれていること、日常生活に使われる製品であること、主要部分が手作りであること、産地が形成されていることなどの要件を満たす必要がある。山梨県でも甲州貴石細工、甲州印伝、甲州手彫印章の3件が指定されている。県や市町村でも、地場産業振興のため、指定したりしていろいろな振興策を採っているところがある。山梨県では郷土伝統的工芸品として、国指定のほかに甲州雨畑硯、甲州大石紬、甲州武者のぼり・鯉のぼり、西島手漉和紙、親子だるま、甲州鬼瓦、市川大門手漉和紙、山梨貴宝石、富士勝山スズ竹工芸品を指定している。こうした工芸品は、振興や広報などのため、公共の施設をはじめ各種団体や企業などによって地域の製品を集めて展示、販売を行ったり、実演などをしているところも多い。美術作品の場合は、美術館や画廊等での個展、グループも開催されている。
もちろん指定にはなっていない伝統工芸品もほかに数多く存在していることはいうまでもないし、作家活動をしている人たちは、それぞれに活動している。いずれにしても伝統工芸は生きているものである。美術作品でも産業工芸品でも、伝統工芸としての基本をしっかり守りつつ、今の時代の中で、周囲の環境に対応し変化しているのである。伝統工芸を孤立したものとしてそれだけを守るのではなく、社会全体としてつながりを持つことが大切である。そうしなければ、一時的なものとして行き詰まってしまうだろう。
4.伝統工芸と地域
伝統工芸はその地域で長く伝わる技術が基本であり、素材などその土地に伝承されてきた理由があるはずである。たとえば備前焼、萩焼、美濃焼などといった陶器では、その地域の土を用いて制作した特色のある陶器である。今日では、材料の移動手段が発達しているので、材料の採取できない所でも制作は可能だが、基本はその土地で採れた土を使い、そこで発達した技術で制作したものである。山梨県の水晶や瑪瑙などを使った貴石細工は、地元で水晶が採れたことから発展し、江戸時代には甲州の特産として高い技術を育ててきた。現在では材料のほとんどを外国などほかの地域から調達しているが、地元に伝承され、発展してきた技術を生かした制作によって、山梨県の代表的な伝統工芸として続けられている。また雨畑硯は、地元で採取される独特の石を使った伝統工芸品である。どちらも作家として日本伝統工芸展等で活躍している人も数多くいる。工芸材料とは別に、その土地の気候風土を生かして、独特の伝統工芸を発達させてきたところも多い。越後上布のように、雪に布を晒して独特の風合いを生み出す方法などである。
流通が発達してきた近代以降になって、材料がどこでも入手できることや情報の得やすさなどから、地場産業とはあまりかかわりのない、東京などで活躍している作家も多いが、伝統工芸では長い時間をかけて連綿と続けてきた産地から、作家活動をする人が出てくることが自然な道だろう。生業として地場産業製品を作りながら、その中で作家活動を行っている人が、全国的にも数多く存在する。
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高野誠「瑪瑙香炉・香合」平成17年 | 雨宮彌太郎「悠想硯」(雨畑硯)平成24年 |
5.伝統工芸をめぐる事情
伝統工芸というと、代々伝わってきた材料や技法を忠実に守り、できあがった工芸品についても昔のままの形や用途を、何の工夫もしないで作り続けると思うかもしれない。しかし、そうした工芸品は、はたして今も受け入れられるだろうか。また、今も忠実に昔のままの材料、方法で作ることができるだろうか。昔のまま作ることがかなわない事情も多く、しかも昔のままでは、今の生活には合わないことが多くある。
昔のままでは作れない事情としては、いろいろな理由があるが、たとえば福島県浪江町大堀で生産されていた大堀相馬焼という陶器がある。動きのある馬の絵や釉に特徴的なひびを入れた陶器で知られており、300年以上の伝統を持ち、通産省(現・経済産業省)の伝統的工芸品の指定も受けている。だが平成23年の東日本大震災とそれに伴う原子力発電所の事故により窯元のあった一帯の人たちは、土地を離れなければならなくなった。産地がなくなってしまうという危機のなか、大堀相馬焼を守ろうとして、組合の人たちは比較的近くに拠点を築き、現在復興の努力を続けている。使う土など今までとは異なるものになると思うが、以前のものになるべく近づけるように努めているとのことである。
これは極端な例かもしれないが、環境が急速に変化しつつある現代においては、さまざまな理由で変わらざるを得ないことが多い。たとえば多くの人が密集して住んでいる地域では、陶芸の薪窯は煙のため使用できないし、鍛金による騒音も問題とされるケースが多い。また今では古い話になってしまったが、ワシントン条約による希少動物保護のため、鼈甲、鯨のひげ等、これまで伝統工芸の材料や道具に必要だった、さまざまな種類の素材が入手困難となっている。漆芸の蒔絵に使う根朱筆という特殊な筆には、家ネズミの背中の水毛が最適なのだが、家ネズミが少なくなり、またコンクリートによって、背中の水毛がすり減って使えないといった事情も語られている。ほかの材料や道具に転換しているのだが、理想をいえば、単に代わりになるもので置き換えるのではなく、ほかの材料、道具にするのなら、その特性を生かすことが望ましい。伝統の基本的枠組みをきちんと守りながらでなければならないが、時代の要請や環境に合わせて、あるいは自身の芸術的感覚を新しい形に表すこと、大変難しいがこのことが現代の伝統工芸に求められている。
6.伝統工芸の魅力
伝統工芸の見方はさまざまであるが、伝統工芸は、基本である素材の特性、持ち味をよく表したものであり、その素材の魅力を生かすために、長い時間をかけて発達してきたさまざまな技術が用いられている。まず、素材の魅力と髙い技術力を見ていただきたい。さらに育ってきた歴史を調べたり、土地とのかかわりを考えることも理解を深めるだろう。また、技術は長い時間をかけて磨き上げられてきたものに、現代の技術者が一段と工夫を加えている。こうした制作の様子の一端を知ることも大切だろう。工房などに出かけ、見学する機会があればぜひご覧いただきたい。美術作品はもちろんのこと、産業製品も温かさを感じ取ることができるし、手に触れて鑑賞し、実用的なものは実際に使っていただきたい。そうすれば愛着も増すと思う。伝統工芸は、日本の誇る技術の集積である。我が国は最先端の科学技術に非常に優れているが、その基礎の一部は、細部にわたるまで丁寧に磨き上げてきた伝統工芸技術にある。そうした高い技術力を繊細な感覚で、一点一点作者の手によって表現する世界。伝統工芸をいろいろ調べてじっくり鑑賞すれば、さらにその魅力は増すだろう。そしてその中で、現代の伝統工芸として作り手がどのように工夫し、個性を表現しているのかを味わっていただきたい。