Vol.211-1 地域の取組み


~住民と協力団体の協働~

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帯那地域活性化推進協議会会長
末木 英明

1.はじめに

 地方創生のもと、それぞれの基礎自治体は人口ビジョン・総合戦略を策定し、4月以降具体的な事業を実施していく段階である。人口が急減していくという今まで経験したことのない将来に対し、政府は「地方を元気にする」という処方箋を記したのである。
 私の住む帯那地区は、平成14年から地域住民と外部の専門機関、民間企業、行政の協力を得ながら活性化の活動を続けてきた。今回この場を借りて、活動の軌跡と現在、そしてこれからの展望を述べたいと思う。

2.帯那について

 皆さんは帯那という地域をご存知だろうか。甲府市上帯那町・下帯那町からなる約300世帯、人口600人の集落である。甲府市内から昇仙峡に通じる和田峠(県道104号天神平甲府線)を登りきると千代田湖に達するが、そこはもう下帯那町、帯那への入口である。
 甲府駅から自動車で15分、標高650~700m、甲府盆地を見下ろす位置にあるのが帯那地区である。北は帯那山を通りこし、金峰・北奥千丈の手前まで、西は板敷渓谷までと広大な山林野を有している。その中にぽっかりと「帯那」の字義通り、細長く・ゆったりと・美しく、南西方面に拓けているのが「帯那」である。
 この地は昭和29年に甲府市に編入されるまで、西山梨郡千代田村と言い、現在の平瀬町までを村域とする豊かな地域であった。人々は山の恵み・大地の恵みを先祖の代から享受し、この地を脈々と受け継ぎ、守り続けている。私は現在17代目であり、法泉寺にある当家の一本過去帳によると、初代礒右衛門が亡くなったのが正保(しょうほう)[1]3年8月(1646年8月)と記されているこ とから、400年ほどこの地で生きていることになる。他にも古い家が多く、4代・5代などではまだ若いなどと言われる土地柄である。

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古くから受け継ぐ棚田

 確認できた最も古い史料は慶長検地[2]の際の縄(なわ)打水帳(うちみずちょう)[3]になるが、これによると、上・下帯那の田面積は25町(ちょう)2反(たん)6畝(せ)26歩(ぶ)[4]となっている。また、畑面積は24町2反1畝14歩であり、田畑合わせると49町4反8畝10歩である。この慶長検地による石高は確認できないが、貞(じょう)享(きょう)[5]検地の記録には、石高(こくだか)372石(こく)7斗(と)5升(しょう)7合(ごう)[6]との記載がある(西山梨郡誌より)。
 この山間の地に棚田を築き、400年以上続くこの地を想うと、これからも美しい里山景色が存続し、人々がこの地の恩恵を受けながら地域が継続していくことを切に願っている。

3.活性化推進協議会について

1)設立の目的と組織

当地域で高齢化・担い手不足による休耕地が増えはじめたのは、今から20年ほど前からである。そのような中で地域の住民から「何か活動を始めよう」という声が自然と沸き上がり、2004年に設立されたのが帯那地域活性化推進協議会(以下、協議会)である。協議会の目的と組織について、お伝えしたいと思う。

(目的)
第2条この会は、帯那地域が持っている多面的機能や地域資源を十分に活用し、立地条件に沿った地域の発展方向を探り、遊休農地の解消や高齢化に対応した農業を展開し、都市住民との交流を視野に入れた地域開発を目的とし、各事業を効率的に導入することにより地域の活性化を図り、帯那地域における定住促進や環境の保全等に資するべき事項に関して地域住民の意見集約を行い、関係自治体との協議によってその実現を目指すものとする。
(組織)
第3条この会は、円滑な地域活動の推進を図るため、地域住民、自治会役員、土地改良区役員、地区内外の知識経験者等をもって構成するものとする。

帯那地域活性化推進協議会規約より 

 見ていただいて分かるように、活動の方向性としては地域資源の利活用、組織構成員および運営については地域住民、地域内外の各団体、専門家というように高い理念と理想を持ってスタートしたのである。

2)活動の軌跡

 当会は設立当初より住民の意思による自主的参加を旨とし、活動を進めてきた。また、外部の各団体、専門家からも幸いなことに大きな協力を得ることが出来て、10年以上にわたって活動を継続している。その主だったものを紹介したいと思う。

2004年帯那地域活性化推進協議会設立
2005年ジャガイモ収穫まつり開催、地域外住民との交流事業開始
2007年農地・水・環境保全向上対策に係る協定を国、山梨県、甲府市と締結
2009年菜の花まつり開始
2010年帯那地域づくりワークショップの実施/菜種油の製造・販売開始
2011年株式会社ファミリーマートと企業の農園づくりに関する協定締結
ファミリーマート社員・家族の農業体験受け入れ
餅つき・蕎麦打ち収穫祭開始
2012年関東農政局「豊かなむらづくり全国表彰事業」関東農政局長賞受賞
2013年都市農村共生・対流総合対策交付金事業に採択される。
2014年地域食材を使用したメニュー開発
山田錦(酒米)の栽培開始
フットパスコース開発
ホームページ「OBINA MODE(オビナモード)」開設
2015年太冠酒造株式会社との協働により「純米大吟醸 帯那」を醸造・製品化
2016年「純米大吟醸 帯那」ファミリーマート甲府市内40店舗で販売開始

 この中で、2010年から行っているワークショップでは、国立研究開発法人農研機構農村工学研究所の先生方との協議を通して、地域防災・減災についての理解が進み、山間地域であるからこそ、住民自らが当事者意識を持ち、危険地域の把握、一朝時の対応、行政との連携などの知識も思考も深まったと感じている。

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農村工学研究所の先生方とのワークショップ

 昨年の菜の花まつりは県内・県外から300人超の方々に来ていただき、菜の花と桜のお花見、芽摘み、フットパス、地元の食事を楽しんでもらい、フットパスについては地域の住民がガイドとして上・下帯那の歴史や史跡を案内して春の1日を満喫してもらった。

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菜の花まつりとフットパス

 ファミリーマートとの交流は、ジャガイモ収穫、お田植え、稲刈り、大豆収穫、餅つき・蕎麦打ちの5回ほど本社と甲府営業所の方々およびそのご家族が来て、田畑での労働と地元の食材を使用した食事でリフレッシュしてもらっている。同社は、ご存知のように東証一部上場の大企業である。CSR[7]活動の一つとして当地域を選んでいただき、継続してお付き合い頂いていることに住民一同感謝している。丁度この2月に、当地域で栽培した山田錦(酒米)を使用した清酒「純米大吟醸 帯那」の販売を、甲府市内のファミリーマート40店舗(酒類取扱い店舗のみ)で開始した。都市農村交流の一環として始まった関係をさらに進めて、大企業と中山間地域の連携の可能性、成功事例としての形を残したいと考えている。

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ファミリーマートとの交流事業お田植えと昼食会純米大吟醸 帯那

 そして、関東農政局「豊かなむらづくり全国表彰事業」関東農政局長賞を受賞した際には、外部の協力団体、行政、地域住民で活動の継続性と住民参加、関係団体との協力連携が評価されたことを共に喜び、祝宴を上げたことが印象に残っている。

4.活動の効果

 継続した活動が地域にもたらしたものは、住民一人ひとりが地域の持つ力に気付いたことである。
 農村地帯に住む者にとって、田畑は農産物を生産する場所であり、辛い労働が待ち構える場所である。大きな可能性を持つ、あるいは付加価値を生み出す場所とは考えにくいのであるが、街に住む人々に何が提供できるか、喜んでもらうにはどのような活用の方法が良いのか、ということを考え始めたことである。また、毎日目にする風景、身近すぎる自然、田舎ならではの生活スタイルは住民にとって当たり前のことであり、時には疎ましく感じることもあるだろう。しかし街に住む人々は違った受け止め方をする。新鮮に映る。この環境もまた地域の大切な資源と気付いたことである。外部の専門家、行政の方々と交わることにより「地域を客観的に観る力」、都市部に住む人々と交わることにより「地域の魅力を高める力」が序々にではあるが生まれつつあると感じている。

5.これから

 以前は非常に限られたコミュニティしか存在しなかった地域であるが、活動を始めて10年以上が経過し、また各地で地方創生のもとに同様の活動が行われている中で、この地にも変化が現われている。自身のルーツを大切に思い、先祖から脈々と生きてきた地をこれからも残したいと思うのは人情である。
 都市農村交流を地域活性化につなげる活動は多々見られるが、必ずしも地域や住民と一体化していない活動を聞くことが多い。当地域の活動は他所からの法人の活動ではなく、住民が地域の将来を思い、多くの方々と協力しながら活動を続けていることが大きな特徴である。代々にわたって生き続けてきたこの地は、今生きている私たちが受け継いだものであり、この先の代に引き継ぐものである。長きにわたってこの地で生きてきたことは、この地での経済活動が成立していたことが背景にある。田畑も山林も住民に対して経済的恩恵を与えなかったとしたら、この地を捨てるしかなかったであろう。先人たちの生活を支えたこの地で現在の時代に合った価値を生み出し、住民が経済的恩恵を手にすることができるように活動を進めて行きたいと考えている。
 これからの季節、帯那では4月の脚気石神社[8]の例祭を皮切りに今年も「おまつり」を計画している。ホームページ上にて随時お知らせするので、読者諸氏には是非お越し頂きたい。最後に、これまでの活動に多大なる協力をいただいている関係団体の皆さまに、深い感謝の意を表したい。

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協議会のメンバー(地域の人々)


[1] 西暦1644-1648年、江戸時代3代将軍家光の治世

[2] 慶長年間(1596-1615年)に大久保長安が行った甲斐、武蔵、美濃、越後などで行われた検地

[3] 検地の結果を記入した公的な土地台帳

[4] 約25ヘクタール

[5] 西暦1684-1687年、江戸時代5代将軍綱吉の治世

[6] 石・斗・升・合は容量単位だが、米重量に換算した場合、約55,913キロ、56トンになる

[7] corporate social responsibilityの略 企業の社会的責任

[8] 武田信虎公が鷹狩りの際、持病の脚気を発して歩行困難となり、路傍の石に腰かけたところ、たちどころに痛みが去ったので、村の者に訪ねたところ、遠く日本武尊が足痛にて腰掛けると、たちどころに痛みが去ったとのことで神祠を建立したとの言い伝えがある。例祭日は4月第2日曜日。