Vol.213-2 子どもの貧困
~現状と今後望まれる対策~
公益財団法人 山梨総合研究所
専務理事 村田 俊也
子どもの貧困問題は、子ども自身だけでなく、社会にとっても将来を左右する最重要課題といっても過言ではない。解決には、福祉・教育面からの議論が最も大切であるが、今回は、主に経済活動への影響という面から取り上げてみる。
1.子どもの貧困の現状
(1)相対的貧困率
図表1は、相対的貧困率(注1)であるが、平成24年の「子どもの相対的貧困率」(17歳以下)は16.3%で、過去最悪の数値となっており、昭和60年からの推移をみると、一貫して上昇基調にある。また、「子どもがいる現役世帯」(世帯主が18歳以上65歳未満で子どもがいる世帯)では、相対的貧困率は15.1%となっているが、「大人が1人」の世帯では54.6%に達しており、いわゆるひとり親世帯では、2世帯に1世帯が貧困状態にある。
なお、OECD(経済協力開発機構)の調査によると、「子どもの相対的貧困率」は、日本は加盟34ヵ国の平均(13.3%)を上回っている(15.7%、平成22年、高いほうから10番目)。
(注1)ここで言う相対的貧困率とは、一定基準の所得しか得ていない者の比率(OECD基準)。
一定基準とは、等価可処分所得の中央値の半分の額(平成24 年は122 万円)。
等価可処分所得とは、世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で割った値。
出典:厚生労働省「国民生活基礎調査」
(2)貧困状態にある子どもの割合
日本財団が発表した「子どもの貧困の社会的損失推計」(平成27年、28年)によると、貧困状態にある子どもの数は約18万人(現在15歳の1学年)と想定しているが(注2)、大阪が17,015人、東京が16,927人など、やはり人口が多い都道府県で多い。しかし、子ども全体に対する割合では、北海道が23.7%で最も高く、以下、沖縄が21.1%、大阪が20.4%などと続いている。なお、山梨は11.5%で、高いほうから38番目となっている(図表2)。
(注2)日本財団が試算の前提とした貧困の定義は、国民生活基礎調査の貧困とは異なる(ひとり親家庭、生活保護世帯、児童養護施設の子どもの数をベースに算出)。
図表2 貧困状態にある子どもの割合
出典:日本財団「子どもの貧困の社会的損失推計」(平成27年、28年)
(3)山梨県の実態
経済的な理由により就学援助を受けている山梨県内の小中学生(要保護・準要保護・被災児童生徒)(注3)は6,491人で、児童生徒に占める割合である就学援助率は10.1%となっている(平成25年)。就学援助率は、全国と比べると5ポイント程度低いが、年々上昇している(図表3)。
(注3)要保護児童生徒とは、保護者が生活保護法の規定による保護を受けている児童生徒
準要保護児童生徒とは、要保護者に準ずる程度に困窮していると教育委員会等が認めた世帯の児童生徒
被災児童生徒とは、東日本大震災により、経済的な理由から就学困難と認められた児童生徒
2.子どもに対する財政支援等
(1)社会支出
国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、平成25年度の社会支出(OECD基準)(注4)の総額は114兆1,356億円であるが、内訳をみると、「高齢」が47.9%を占めている。一方、子ども関係支出を含む「家族」は5.3%と少ない。
構成比(平成23年度)について、主な先進国(アメリカ、イギリス、ドイツ、スウェーデン、フランス)と比べてみると、わが国は「高齢」の比率は最も高いが、「家族」の比率はアメリカに次いで低い(図表4)。
(注4)制度による支出のみとし、現金給付(年金、産休中の所得保障、生活保護など)、サービス(現物)給付(保育、高齢者や障害者の介護など)を含む。また、社会保障給付費に加えて、施設整備費等の個人に帰属しない支出も含む。
図表4 政策分野別社会支出の構成割合(平成23年度)
出典:国立社会保障・人口問題研究所「平成25年度社会保障費用統計」
(2)県予算における子ども関連費
就学援助からみると、「子どもの貧困」について山梨県は他の都道府県と比べると状況は比較的良いように思われる。では、県財政における子ども関連費(児童福祉費)の比重はどうなっているのか、高齢者向け関連費(老人福祉費)との比較でみてみる(図表5)。
まず、歳出決算額に占める割合であるが、老人福祉費が全国で40位台半ばであるのに対して、児童福祉費は30位台前半となっている。また、人口一人当たりの実額でみると、老人福祉費は30位前後、児童福祉費は25位前後となっている。いずれも子ども向けの順位が高く、山梨は子どもに対して支援が厚いということが窺われる。ただし、順位は後退傾向にあり、更なる充実が望まれる。
図表5 老人福祉費・児童福祉費(山梨県)
出典:総務省統計局「統計でみる都道府県のすがた」
3.貧困を放置することによる社会的損失
日本財団では、貧困家庭の子どもを支援しないで格差を放置した場合の社会的損失(所得、税・社会保障の純負担)について試算を行っている(図表6)。
これは、貧困状態にある子ども約18万人(対象:現在15歳の1学年)の高校進学率と中退率を全国平均並みまで改善させ、大学進学率も上げる支援をした場合としない場合に、64歳までに得られる所得額の差を求めたもので、社会が被る損失が2兆9千億円に上るとしている。
支援を実施する(改善シナリオ)と、所得額は25兆5千億円となるが、支援を行わない(現状シナリオ)と22兆6千億円にとどまり、生涯所得の差は2兆9千億円と支援を行わないことによる経済成長への影響は大きい。同様に、税や社会保障の納税者の純負担額は支援を行わないと、1兆1千億円少なくなる。
なお、都道府県別にみると、山梨は支援しない場合、所得は160億円少なくなり、都道府県の総生産額に占める割合は0.51%で大きいほうから26番目となっている。
図表6 社会的損失の推計結果の概要 (対象:現在15歳の1学年)
出典:日本財団「子どもの貧困の社会的損失推計」(平成27年、28年)
4.貧困から脱するための支援
子どもの貧困については、年々深刻化する傾向にあり、放置したままでは社会的に大きな損失が発生する。しかし、支援の状況を経済面からみると、高齢者対策に比べて見劣りし、外国と比べて社会的な支出が少ない。
こうしたなかで、子どもを貧困から脱出させるためには何をしたらよいか、教育支援と生活支援の面から2つの例を紹介したい。
(1)バウチャーによる教育支援
ひとつめは、教育支援である。教育の機会を均等に与えることにより、本人の努力次第ではあるが、就業を通じて所得を得て生活水準を上げていくというものである。
しかし、「親の所得が高いほど、大学進学率が高い」という現実がある(図表7)。高校卒業後の予定進路は、両親の年収が高いほど、4年制大学への進学率が高い。
また、収入が高い世帯ほど授業料の安い国公立大学への進学率も高くなっているというデータもある。これは、低年齢時からかけられる教育費の格差もひとつの要因であろう。
さらに、終身雇用制度の崩壊に伴い従来と比べて就職後の安定収入が見込みにくくなっており、返還型の奨学金制度利用への心理的なハードルが高くなっている。
こうした状況のなかで、子ども本人の学習意欲が高い、親の教育意欲が高いということが前提となるが、給付型の奨学金の拡充とともに、特に幼少期からの学校外での学習機会の確保として、低所得世帯への「学校外教育利用券」の配付が有効ではないだろうか。
低所得世帯対策として現金支給を行うと、教育資金以外での利用に流用される恐れがあるが、他の目的に利用できない「学校外教育利用券」を配ることにより、教育機会の利用が確実に見込める。また、塾経営者等の事業者側に補助金を出し、無料授業実施の環境整備を行うのではなく、利用者である家庭側に選択権を与えることにより、事業者側に競争が求められることから、実効性の高い助成が期待できると思われる。
図表7 両親の収入と高校卒業後の進路
出典:平成21年度文部科学白書
(2)フードバンク活動の拡大
ふたつめは、生活支援であり、注目したいのは、「フードバンク活動」である。
「フードバンク活動」は、生活必需品の支援活動として期待されるもので、十分に安全に食べられるのに箱が壊れている、賞味期限まで日があるが販売期限が切れている、などさまざまな理由により販売できない食品を寄贈してもらい、必要としている施設や団体に無償で提供する活動で、山梨ではNPO法人フードバンク山梨が実施している(図表8)。
この活動は、地域社会が無理のない形で協力でき、食品ロスの削減など、さまざまな面で効果が期待できるものである。実際、同法人の食品取扱量は、平成22年度の60トンから26年度には105トンに増えている。
全国的にも活動は広がりを見せており、昨年11月には全国フードバンク推進協議会が設立されている。
図表8 フードバンク山梨の取り組み
出典:NPO法人フードバンク山梨ホームページ
5.最後に(貧乏と貧困)
「貧乏」と「貧困」。同じような言葉であるが、意味は違う。辞書によれば、「貧乏」は一般的には「財産や収入が少なくて生活が苦しいこと」、「貧困」は「生活必需品が欠乏したために肉体的、精神的な生活力が減耗した状態」を各々表わす。ただし、「貧乏だけど、幸せ」とか、「貧乏を楽しんでいる」という人はいるが、「貧困だけど、幸せ」とか「貧困を楽しんでいる」というのは聞いたことがない。「貧困」は、お金の面だけの支援では解決できない。「こころ」の支援が必要であろう。
今回は、経済的な側面から「子どもの貧困」について考えてみた。いうまでもなく子どもは「社会の宝」、「将来の担い手」である。行政頼みではなく、近所のおじさん、おばさんが、気張らずにできることもたくさんある。地域の住民が自分たちの問題として、できるところから支援を行っていく、取り組みを始める、そんな社会に向かっていくことを期待したい。