Vol.219-1 「八ヶ岳名水会」が取り組む 「日野春學舎構想」について


219-1-1社会福祉法人八ヶ岳名水会 企画事業部 窪川 敦之

1.法人設立から現在までの経緯

 「社会福祉法人八ヶ岳名水会」の設立は、平成4年に遡ります。初代理事長 坂本清満が私財をなげうって北巨摩郡長坂町(当時)小荒間に法人を立ち上げ、翌平成5年4月に入所更生施設(当時)「星の里」を開設してから、早いもので今年で24年目になりました。当法人の活動は、この間様々な方々に支えられ育てられて、現在は入所施設を1、通所施設を3、地域生活支援センターを1、グループホームを18箇所展開するまでになり、さらに、相談支援体制も加えるとともに、障がい者就業・生活支援センター、山梨県地域生活定着支援センター事業等にも関わり、社会的な要請にも広くお応えできるような体制を整えて参りました。こうして規模こそ大きくなりましたが、開設間もない頃に掲げた「たとえ障がいがあっても、地域という大きな家族の中で支え合って安心して暮らせる社会の実現」という理念は、現在の第5代目理事長 坂本ちづ子まで変わらずに引き継がれています。

219-1-2旧日野春小学校=日野春學舎

 

 さて、少し時間を巻き戻して平成24年度末、当法人の通所施設が集まる北杜市長坂町長坂下条地区に所在する北杜市立日野春小学校が、児童数の減少によって閉校することとなりました。当法人では、ちょうど通所の利用者数が定員一杯になっていたこともあり、まずは活動場所として利用できればとプロポーザルに手を挙げることにしました。しかし、創立140年というこの学校の歴史を想ったとき、長年地元の方々に大切にされてきた学校の跡地を、当法人が単独で使用するのは申し訳が無い、ここを器にして、お世話になった地域の方々と一緒に何かできないだろうかという思いが自然に起こりました。また、これに呼応するように、地域からも様々なご希望が上がってきました。
 この思いや希望を、法人本部長の小泉晃彦が中心となってとりまとめたものが以下の「日野春學舎」構想です。因みに「日野春學舎」という名称は、日野春小学校の名を引き継ぎ、かつてこの場所が学校であったときのように、これからも様々な人々が集って学び合い、力を合わせて課題を解決していける場にしたい、という願いを込めて私たちが命名したものです。

2.私たちの置かれている現状

 活動の方向性を決めるにあたり、私たちは、まず現在の福祉が直面する課題に目を向けました。これまでの福祉において、障がい故に生き辛さを抱えた人たちは、往々にしてサービスを一方的に受ける側でした。現在、措置費制度から給付費制度へと法律は変わりました。しかし、彼らがすべての面で主体者となったとは言い難いのが現状です。さらに、福祉の枠組みに納まらない社会的な弱者が活躍できる仕組み作りに至っては、まさにこれからという状態です。特に、発達障害者や触法者等は受け皿すら明確ではなく、たらい回しにされ、時としてご本人の意志に反して特定の施設に収容してよしとするケースも少なくありません。これからの時代に必要とされるのは、社会から阻害されている彼らを社会から隔離して解決とするのではなく、地域社会へ還して、その人が選ぶ場所でその人らしく活躍できる道を模索し、地域での共生を可能とするための支援の仕組みを構築することだと考えます。しかし、このことは取りも直さず、受け皿としての地域の度量に期待するところが大きいのです。
 しかし、その期待を寄せるべき、当法人が活動を展開する山梨県峡北地区の地域社会は徐々に衰退しようとしています。地域農業は少子高齢化によって後継者を失って、田畑は遊休農地という名の雑草の海となり、これまで地域を支えてきた企業は海外等へ拠点を移し、下請け工場は閉鎖されて廃墟と化しています。
 この現状を放っておけば、先の課題は解決の糸口もなく、あと10年すると地域で大切に受け継がれてきた伝統も文化も、そしてそれを守ろうという意思も全て途絶えてしまうのではないか、という危機感が募りました。と同時に、この10年が勝負だという強い使命感も起こりました。このままでは、この地には衰退して枯れた地域と、制度に守られて肥大化した福祉施設しか残りません。

3.当法人の地域および社会における役割とその必要性

 私たちにできることは何だろうか。そこで改めて当法人のこれまでの取り組みを振り返ったとき、私たちは上記の問題を解決するための有効な手段となるであろう実績を、すでにいくつか持ち合わせていることに気付きました。
 その一つが農業です。農業は、周囲の豊かな自然を活かした地域に根ざす活動として、また障がいを持った方も一緒に作業できる取り組みとして大変魅力があります。入所事業所「星の里」および通所事業所「春の陽」では、設立当初からこの地域の農家の方々にご指導を受け、連携協力しながら、地域の気候風土に合った農産物の有機無農薬栽培に取り組んできました。この地域の農業後継者不足を補い、地域を活性化させる切り口として、当法人の実績は有効なピースになると考えました。

219-1-6地元農家への援農

219-1-7遊休農地を活用した稲作(お田植え)

 もう一つは社会との架け橋づくりです。障がい者の就労に関しては、一般就労に向けて支援する就労移行支援事業に制度開始当時から取り組んでおり、平成15年度からは「障がい者就業・生活支援センター」事業を開始し、地元企業とも太いパイプを築いて障がい者雇用への道筋を付けてきました。障がいのある触法者の支援に関しては、当法人に「地域生活定着支援センター」(平成23年開設)および「自立準備ホーム」が稼働しており、総合的なサポートを行ってきました。また、連携法人の「NPO法人杜の風」においては、この地域に在住する発達障害者の支援について、その幼少期から関わって保護者と共に成長を見守り、信頼関係も築いてきました。
 ただし、これまでは、上記にあげた当法人の実績を連携させ、地域と繋いでもう一歩昇華させる仕組みがありませんでした。よって、私たちは、この構想の主たる柱の一つを、これまでの実績およびノウハウを連携させ、地域を舞台として十分に活かしながら縦横に循環させるためのステージの創造に据えました。
 社会との架け橋づくりを考えたとき、特に触法者や発達障害者等、制度の狭間にある彼らには新たな受け皿が必要でした。私たちは、社会から疎外されてきた彼らに学び直しの機会を設け、多様な生き辛さを抱えた一人ひとりに寄り添い、社会参加への道筋を一緒に探るこの取り組みを「ブリッジスクール」と名付けました。

219-1-8ブリッジスクール講座風景


 「ブリッジスクール」では、その取り組みの中で、これまでの彼らの人生の中で学ぶ機会の乏しかったと思われる礼儀や社会常識といった社会参加のルールや、彼らを守る労働法規、さらにそもそも何故働くのかといった根本的な問いも取り上げました。また、算数や国語といった基礎的な学習にも丁寧に取り組むことで、学齢期には常に”お客さん”的な立場にあって劣等感を抱いていた彼らから、「自分もやればできる」という前向きな気持ちを引き出すことができました。彼らは、同じような境遇に仲間と一緒に学ぶ機会を得たことで、互いに励まし合いながら、一人ひとりが自分にとっての解決の糸口を見い出そうとする意志を持てたのです。また、様々な職業体験の機会を設けて、地域の農家の方々や企業の担当者等と直接触れ合う多様な人間関係作りの実績も積み重ねていきました。そうした様々な経験をすることにより、彼らを理解する人垣が少しずつ作られ、彼らも失敗を恐れず、自分自身の可能性を広げることができるようになってきました。
 今後も、十分な社会的支援が受けられていない彼らの居場所と学びの場を「學舎=まなびや」として充実させ、さらに確かな「人材=人財」として育成していきたいと考えています。そうした実績を積むことで、広く企業や社会の理解を醸成し、連携していただいた企業への就職の道が拓かれていくことを目指しています。
 一方で、一般就労はハードルが高い方もいます。そういった方々には、農業や当法人施設の美化や修繕等の管理業務、厨房での調理や皿洗い等を仕事として確立することにより、彼らを理解するより手厚い人垣の中での中間的雇用の場を創出したいと考えています。
 また、社会へ出ること自体が課題となっている、いわゆる「引きこもり」の方達への支援も課題として上がってきました。平成28年度より、その課題に特化した「つどいコース」を設定し、自由な雰囲気の中での居場所づくりを掲げた取り組みを開始しています。
 こうして、様々な課題を抱えた彼らと社会とを結ぶ多様な架け橋を創造し、総合的な支援モデルの実現を目指しています。

4.人や物が自然に集う魅力ある場を創造するために

 この構想に多くの方々の協力をいただいて活動を盛り上げていくためには、上記のような実利的な取り組みばかりでは面白味に欠けます。そこで、人々が自然と訪れたくなるような魅力についても取り上げて、活動の強みにしようと考えました。
 私たちが活動を展開する八ヶ岳山麓は、風光明媚で名所旧跡も多く、移住希望者も後を絶ちません。私たちを含めて地域の人々は、この地がどれほど魅力的な場所であるのかを再認識する必要があります。私たちは、「日野春學舎」をそのきっかけを作って展開させるための拠点として活用するべく、豊かな自然環境、および大切に受け継がれてきた文化や伝統芸能、並びに障がい者が紡ぎ出す作品の魅力を発信するアート活動など、多彩なイベントを沢山企画しています。
 また、旧校舎建物の改修も最小限に留めて、往年の雰囲気を残すよう心がけました。長い歴史を持つこの小学校が、卒業生が思い出を語ることができる場所であり続け、誰もが持つ同様の思い出を懐かしく共有できる場所となっていくことを願っています。

5.まとめ

 この構想は大変広範囲に亘り、全体を実現させるためには今後も入念な準備と試行作業が必要です。特に収益を生み出す仕組み作りが難しく、活動を支えるためには資金的な裏付けが必須です。しかし幸いにも、この構想の趣旨を認めていただいた日本財団(平成26,27,28年度)および福祉医療機構(平成27年度)から走り出すための助成をいただくことができました。さらにアート活動は平成28年度、厚生労働省の「障害者の芸術活動支援モデル事業」にも採択されました。構想の実現は道半ばですが、独立した暁には、地域社会を広汎に巻き込んで、多種多様な活動展開が実現できるものと期待も膨らんでいます。
 法人設立以来24年余、ひとえに地域住民の方々のご理解とご協力により活動を展開し、信頼関係を築いてきました。その地域への恩返しの気持ちも込めて、地域との幅広い互恵関係を築き、地域社会全体の再生と活性化を住民参加で実現したいと思っています。またこのことが、地域に立脚する当法人に科せられた使命であり、当法人がこの地に存在する意義であると考えています。
 結びになりましたが、この構想の企画段階からお世話になっている「株式会社シナプテック」の戸田達昭氏、ブリッジスクールの講師等運営にご協力いただいている「コネクト創造社」の石垣悦子氏、元わかば支援学校校長の原まゆみ氏、農業で連携している「一般社団法人里くら」の方々、そして何より、法人を見守り育てていただいている地域の方々に改めて深く感謝申し上げます。