Vol.223-2 色と街づくりに関する考察


【公益財団法人 山梨総合研究所 研究員 渡辺 たま緒】

はじめに

 歴史を感じるローマの石畳、荘厳なバルセロナの建築物、海とのコントラストが印象的なギリシャ・サントリーニ島の白壁…。海外には、生きているうちに一度は目にしたいと思う街並みがある。歴史を重んじ、美しく、個性的。どうやって、この美しさが生まれているのか、不思議でさえある。ひるがえって日本の各都市は、わが街はどうだろう。地方ごとの個性の差は大きくないように感じる。インバウンドの増加が著しい古都・京都でさえ、寺社の敷地を一歩出ると、街の雰囲気は他都市と大きく変わらない。
 ファッション界に「パーソナル・カラー(個人個人の雰囲気や肌の色味によって異なる似合う色)」があるように、リージョナル・カラー(※regional=地域の)とも言うべき、地域に似合う色が街には存在するのではないか。本稿では、地域の色とは何か、という問題意識の中で、色に焦点をあてながら街づくりについて考察したい。

 景観計画における色彩の位置づけ

 わが国では、1950年代中頃から1973年の第1次石油ショックまで続いた高度経済成長期に都市化が一斉に進んだことで、各地に似通った街がつくられていった。没個性の街並み形成に対する反省も踏まえ、「都市、農山漁村等における良好な景観の形成」を図ろうと国が制定したのが、平成16年の景観法である。
 景観法に基づき、多くの自治体は建築物の高さや建造物の色を制限する「景観計画」を定めた。「地域独特の色」は、景観計画の中に定める「基準色」や「推奨色」によって定義づけられていった。建物等に使用できる範囲の決め方としては、土壌や建物、空、自然の緑といったその土地の色を測定し、さらに、歴史的遺産や伝統的な建築様式等による色をマンセル値[1]によりデータ化するのが大きな流れになっている。
 全国各地で、景観計画に基づき、使用できる色の範囲を定めて景観保存、街並み保存に取り組んでいるわけだが、「使用できる色」の範囲を見てみると、多くの自治体で重なりあっている。加えて、「周りと調和する落ち着いた色に」と指導する自治体も多い。

  現在定められている色彩基準は、土壌や空、自然の緑といった地勢的なものと、文化・歴史的建造物の建築様式等により決定することが多いと前述した。
 基準色を定め、地域の独自性を出そうという試みは、大賛成である。しかし、重なりあった基準色で「景観色彩」を整え、すべて落ち着いた色で統一することは、「地域の特色」ではなく、没個性につながってしまうのではないだろうか。
 では、「地域の色」とは何なのか。地域を取り巻く自然や建物といった地勢的な色に加え、時代の変遷をたどりながらも、私たちに受け継がれてきたものの中にヒントがあると考え、人々の生活や文化と密着していたといわれる旧町名や昔の写真などを確認してみる。

 歴史からのアプローチ

「きれいに文化の、しみとおっているまちである。」

 これは作家・太宰治が「新樹の言葉」で書いている有名な言葉である。太宰は昭和14年に甲府の東洋館や市内中心部に居を構えるなどしていた。この言葉が表現されている作品「新樹の言葉」の1段落をすべて見ると「沼の底、なぞというと、甲府もなんだか陰気なまちのように思われるだろうが、事実は、派手に、小さく、活気のあるまちである。よく人は、甲府を、『擂鉢底』と評しているが、当っていない。甲府は、もっとハイカラである。シルクハットを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである。」となる。
 甲府は、太宰に、派手で、コンパクトで、活気のあり、文化がしみとおっている街という印象を与えていたということになる。

  太宰を印象付けた街の様子はどうだったのか。昭和10年頃の甲府市中心部の写真を確認してみる。
 なお、モノクロ写真には、早稲田大学の研究グループによる「モノクロ写真を人工知能によってカラー化する技術」で、カラー化を試みた加工画像を載せている。昔の写真であるため、カラー化には至らなかったものの、わずかながら色が付いたところなどもあり、全体的に明るく見やすくなっている。

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図1 昭和10年頃の甲府市中心部
①昭和10年頃の春日通り南端 ②昭和10年代の常盤町通り ③昭和初期にかけての錦町・常磐町交差点 ④昭和12年の春日町通りの露天 ⑤昭和12年の桜町通りの芝居小屋 ⑥昭和12年のえびす講祭り



 図1の①の写真には、「温泉旅館」の看板が掲げられており、当時の甲府市中心部は温泉地として温泉宿が十数軒あったという歴史が見て取れる。
 また、建物には威厳のようなものすら感じられ、人々は街を楽しんでいるように見受けられる。

 さらに時代をさかのぼって確認してみる。

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図2 明治41年および昭和初期の甲府市中心部
⑦昭和初期の桜町通り ⑧明治41年完成の甲府駅駐車場造園 ⑨昭和初期の八日町通り

 ⑦の写真に看板が映っている「早川ベーカリー」は、山梨県初のケーキ店で、記録に残っている最も古い年を取って昭和4年創業としている。当時はコーヒーを提供する喫茶店も2階に設けられていたそうである。日本初のケーキ販売が大正10年ごろといわれていることを考えると、昭和4年に地方でケーキ店があったのは確かにハイカラである。ちなみに「三ツ鱗麦酒」の名で甲府の地ビールを醸造したのは、明治7年。横浜にビール工場ができてからわずか4年後である。また、明治41年の造園には、周囲の市がそれぞれ資金を出し合い、整備に至ったという住民の街への「親しみ」もうかがえるエピソードもある。

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図3 吉田初三郎 「甲府景勝」(5枚組絵葉書)


旧地名から見る

 甲府市の旧町名は生活が結びついた名のものが多いことから、旧町名で人々の生活を探ってみる。

 魚町

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図4 大正時代の甲府市の地図(魚町)

 武田氏時代に肴の市がたてられたことから名が付いたといわれている。地図からは魚町1丁目から4丁目までが見受けられ、町の構成も広い。現在は煮貝の「みな与」が残るのみだが、当時は多くの魚屋があった。商品の魚に砂埃が付かないようにと店先は石畳だったそうである。 

柳町

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図5 大正時代の甲府市の地図(柳町)

 明治から昭和初期にかけて甲府の中心部であり、明治20年代に県内にあった72の銀行のうち、その多くは柳町にあった。他に、旅館、書店、履物など多くの商店が並んでおり、一つ一つの建物も大きい印象がある。

鍛冶町・桶屋町

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図6 大正時代の甲府市の地図(鍛冶町・桶屋町)

 その名の通り、鍛冶屋、桶屋が多く店を並べる職人街であった。
 鍛治町では、職人が農機具などをつくる作業場が道路から見えており、鉄の色、鉄を熱する火の色などが混ざり合っていたことが想像される。
 桶屋町は、ガラスの酒樽から、台所用や洗濯用の桶に至るまで日常生活には欠かせない容器を売る場として、商店が軒を連ねたという。ガラス枡、桶が店頭に並び、色調としては淡い雰囲気の通りになっていたのだろう。
 これまで見てきた昭和初期の写真や旧町名から見える甲府市中心部には、威厳すら漂う近代建築、人々を熱狂させた芝居などの文化、生活感を漂わせるいわゆる専門店街といった歴史的資産がうかがえる。
 これらの「色」を日本カラーデザイン研究所による色のイメージに当てはめると、図7のように、淡い色というよりは、明度の高い明るい色から、明度、彩度が低い色まで様々に分布される。

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図7 言語イメージスケール・カラーイメージスケールC(株)カラーデザイン研究所

 今回、旧町名を復活させる取り組みを行っている株式会社ニュースコムの川上明彦氏に話を聞いた。川上氏が開く旧町名に関する講座は毎回人気を集める。参加者は、街で見られなくなってしまった息づかいを思い起こそうとする人、歴史を風化させないよう勉強する人など様々とのことである。
 経済構造も変わり、生活形態も変化する中で、当然のことながら街も様々に変化する。変化の中にも色であれ、旧町名であれ、建物の素材であれ、自分が住む街のルーツをどこかに感じさせる表現ができたなら、それは町の特徴になり風情につながるのではないだろうか。 

発想の転換

東京都・歌舞伎町

 東京都新宿区では、平成25年4月より「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」を施行した。ここでは、違反広告の取締りの強化や屋外広告物デザイン基準の明確化とデザイン審査によるデザインコントロールなどがある一方で、建築壁面等に掲出する屋外広告物の設置規模や範囲等の規制を緩和した。これは、公民連携によるまちづくり活動および関連計画より、歌舞伎町の特性・魅力を検証した結果として打ち出された“エンターテイメントシティ”の発展・再生が背景となっている。規制による統一化ではなく、歌舞伎町らしさを出していくためにこれまでよりインパクトのある屋外広告を認める、という発想の転換が感じられる。

 ニューヨークタイムズスクエア

 ニューヨーク市では、タイムズスクエアのエリアに派手なサインの設置を義務付けた。そもそもは、治安悪化を改善させるための手段としてのことであるが、エンターテイメント街という歴史的背景を景観のテーマおき、街路に面するビル壁面に一定規模以上の広告を掲載することを条例に定めている。デザイン面でも、他店と色やサイン類の方法において統一性や関連性を持たさないことやその店の経営者の個性を表すことが指定され、統一性、均一性とは真逆の取り組みで街のアイデンティティを示し、雑多な色の競演で世界有数の観光地として人を集めている。

 まとめ

 甲府市中心部に人が集まっていた頃の太宰が表現した「派手に、小さく、活気のあるまち」。それは整然と混沌を楽しむ街だったのではないだろうか。甲府盆地を取り囲む山々。私たちをソファの背もたれのように支えながら、街の活気に溶け込む。普段は意識していないが、これらが息づく生活にこそ、甲府の粋な文化の発祥源があったのではないだろうか。都市化により、現在は、人々の生活を彩っていた街の色や地名が失われた。その結果、街には派手さも活気もなくなった。歴史資産を見れば見るほどそんな思いに駆られる。
 山梨は今後10年の間に、インフラの大きな転換期を迎える。中部横断自動車道の静岡までの開通、リニア中央新幹線の開業と、首都圏への移動はもとより太平洋への距離も大きく短縮される。
 山梨県を囲むように大きな道路が張り巡らされ、地上20メートルの橋脚とトンネルが田園風景に広がる中でリニア中央新幹線が通る街。この混沌をどう受容し、どう楽しみ、どうこの街に溶け込ませ、地域の特色を出すのか。色も含めた「地域らしさ」を本気で考えていかなければならない時が来ている。


<参考文献>
甲府街史 中丸眞治 楠木裕次共著(山梨日日新聞社)
山梨の百年(山梨日日新聞社)
「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」(新宿区)
「地域特性の再認識と逆転の発想」『派手なサインをつけなさい?! ニューヨークを変えた驚きの逆規制に学ぶ』武山良三著(社団法人日本サインデザイン協会)
イメージスケール(日本カラーデザイン研究所)

<協力> ニュースコム 川上明彦 代表取締役


[1] マンセル値:「色相」(=色合い)、「明度」(=色の明るさ。0から10までの数値で表す)、「彩度」(=鮮やかさ。0から14程度までの数値で表す)の3つの属性を組み合わせて表記した記号。