Vol.225-1 北の杜に生きる


hamai北杜市役所 企画部 部長 濱井 和博


 過分にも一筆記す機会を得ましたので、謹んで筆を執らせていただきます。北杜市役所では、平成の大合併にあたり「新しい時代の新しいふるさとを創ろう」と、景気低迷や少子化といった社会経済の激変に揉まれながらも諸先輩方がしなやかに行政運営を行って今日を迎えております。
 そして、多くの方々に愛される甲斐駒ケ岳や尾白川といった南アルプスの大自然がエコパークとして国際的に認められたことなどを契機として、現在、地域資源の魅力を活かす様々なプロジェクトに取り組んでいます。ともすれば単なる行政のスタンドプレーやアピール活動に思われがちなこれらのプロジェクトは、私たちの目的“市民の幸せの実現”のための手段の一つであり、山も、川も、田も、畑も、集落も、伝統や行事も、当たり前かも知れないけれど、かけがえのないこれらのものに包まれて家族や友人とともに暮らすことの素晴らしさを見直すとともに、子の世代、孫の世代、100年先までこのふるさとで暮らせるようにしていくための挑戦だと考えています。厳しい社会経済情勢の中、生きる、知る、仲間になるという人の喜びの本質にどれだけ私たちが近づいていくことができるのか。
 本項では、その営みの一端をご紹介させていただきたく思います。

1 生きる ~安全・安心 日本の台所~

 平成26年11月1日、市政10周年記念式典において北杜市は、「安全・安心 日本の台所 北杜市」を宣言しました。釜無川の源流にあって、多様な生態系や眩しいほどの太陽のもと育てられた多彩な「食」で市民の健康を増進するとともに、国内外の多くの人々に届け、次世代に継承していくことを誓ったものです。
 北杜市は、ご案内の方もおられると思いますが、実に多様で食味が良く新鮮な食材、あるいは加工品や酒類に恵まれています。これらは、基本的に、日本一を自負する日射量、昼夜・年間の寒暖差、約半分が国立・国定公園となっている森林のミネラル、肥沃な土など、豊かな自然環境に支えられていますが、普段、そのありがたさを忘れがちです。
 穀物の栽培は、約1万年前に南西アジアにおいて始まり世界各地に広まったとされていますが、現在、多くの地域が気候変動等の影響から砂漠化や塩害などにさいなまれています。アフリカや南アジアを中心に、70億人を超える世界人口の9人に1人が十分に食べられません。そうした中、詳細は後ほどにしますが、この峡北の地の自然環境は生命力に富み、安定的な食料生産が比較的容易な、稀な地域と言えます。ただし、麓には降雨が少なく、農業に利用できる大きな河川など表面水が少ない地域です。先人達は、水田を開発し、水路やため池を整備し、集落ごと・集落間のルールを決めるなどして生産条件を整えます。国際的にもそうした価値を見直そうと、最近、世界かんがい施設遺産制度が設けられ、一千年の歴史を有すると言われる村山六ケ村堰疎水が登録を受けたところです。また、輪換畑や肥料採取等のため共同して里山を利用して食料増産に務め、人口増加に対応してきました。
 「質」も重要な要素です。ここでは、作物体の大半を占める質の良い水に恵まれています。また、一般的にも、中山間地域で小規模・多品種生産を余儀なくされてきたことや冷涼であることなどから病害虫の発生が抑えられ、農薬の使用量が比較的少ないと考えられます。私は徒歩で通勤することが多いのですが、ツボやカワニナが巣くう水辺環境は貴重です。農地の土手は、強度を維持するために農薬に頼らず、炎天下でも草刈りしています。これがカエルなど両生類の生息環境を維持しています。
 「台所」に込めた思いです。諸説ありますが、人類の祖先が激しい気候変動にも適応して生き残っていくためには、より多くの食べ物を摂取し、身体を丈夫にし、知恵を生み出す脳を発達させる必要がありました。家族の誕生は、様々な危険を回避し、食べ物を確保し、煮炊きするなど安全・安心に生きていくための知識や知恵などを子や孫に伝える必要があったことがきっかけになった、とされています。一昔前のご家庭の台所は、客間とは区別され、家族で朝ごはんや夕餉を楽しみながら一日の出来事を話し、あるいは味噌や醤油を加工し、ご近所や親しい友人が勝手に出入りする交流の場であり、色んな情報や個性にあふれる心豊かな空間だったように思います。ときどき、3世代同居する心温まるお話を伺います。
 日本の農業・農村においては、数十年前から人口減少・少子化が深刻化し、担い手不足や荒廃農地の増加、引いては集落機能の維持が課題となってきており、北杜市においては、農地集積や農業機械の共同利用を行う集落営農組織等農業経営の法人化を進め、集落の中核的な担い手が育ってきています。高原野菜で有機・無農薬栽培に取組むなど品質の向上を通じたブランド化に取組む新規就農者も多く活躍しています。そして、荒廃農地の有効活用を図るとともに、組織力や情報発信力を有する企業型農業生産法人も20社を超えました。自然環境を活かしながら食料の生産条件を維持し、様々な農業者とその技術の交流を図り、農業や集落を巡る将来の課題に対応しようとしていくことで、地域社会を次世代へ継承していく、これが本旨です。

225-1-2

2 知る ~世界に誇る「水の山」~

(1)自然環境と人間社会の共生 

 平成26年、こうした北杜市の自然環境と地域社会の共生の姿の一端が世界に認められました。生物多様性の保全と人間社会との共生を通じて持続可能な地域づくりを行おうとする甲斐駒ヶ岳など南アルプスとその山麓をユネスコが評価したもので、高い山と深い谷で困難となっている集落ごとの文化交流も進めるようメッセージが込められています。人と自然と文化が躍動する環境創造都市を掲げる北杜市の大きな自信となりました。ご尽力いただいた諸先輩・関係機関の方々には改めて感謝申し上げます。
 世界的には、人間社会が自然環境を圧迫して、砂漠化など食料生産が困難な地域もあるのです。地球温暖化が進む中、大規模な旱魃や山火事、湿原燃焼、逆に豪雨・洪水、海面上昇といった事象が、この瞬間にも起きています。山々の麓で揺らめく稲穂。長年、厳しい自然とうまく付き合ってきた私たちにとっては、さして珍しくない光景かも知れませんが、この地が世界的には珍しいのです。
 大西洋の真ん中のアイスランドでは地球の割れ目が見えるそうです。プレート・テクトニクスで説明されるように、大西洋で分かれるユーラシアプレートと北米プレートが衝突する。更に、太平洋プレートに押し出されたフィリピンプレートが南から衝突し、急速な隆起が起こることで、100万年以上の時を経て3,000m級の山々が形成された、それが甲斐駒ヶ岳などの南アルプスです。約1万年前まで氷期で、以後、温暖化とともにライチョウを始めとした寒冷系の動植物が取り残され、温暖系も相まって実に多様な生態系を残しているのです。また、地震や洪水など自然の厳しさと向き合いながら、高い山と深い谷で集落ごとの独特の文化を育み、里山を利用し、水田を伝えるなど自然環境と上手につきあい、持続可能な社会を形成していることが「ユニーク」なのです。地域住民においては、現状の課題を踏まえ、次世代にしっかり地域を伝えようと北杜市南アルプスユネスコエコパーク地域連絡会を結成し、環境を守り、学び、伝える活動を展開しています。

225-1-9

(2)奇跡の環境

 日本列島、とりわけこの地域は、地球活動の中で生まれた極めて稀な生命力をもつ自然環境を有しています。勿論、地震や火山といったリスクを負って住み着いてもいるのですが、主に地球規模の造山活動と海流活動が豊富な水資源を生み出しています。
 赤道直下にあるインド洋が暖まると水蒸気が発生し、ユーラシア大陸に向かって北上します。山々がなければ素通りする水蒸気は、これもプレートの活動で形成された8,000m級のヒマラヤ山脈に遮られます。空気はそれより高い層までいけないからです。バングラデシュなどで多くの雨を降らせた後、行き場を失った空気は、偏西風に乗り東へ向きを変え、多少乾いた空気は、東シナ海で湿気を再度含みます。この空気が、南アルプスなど高山帯に遮られ、上昇気流となり空気が冷えて年間3,000mmの雨雪を降らせる。一方、麓には、乾いた空気が吹き込み、好天に恵まれるということです。
 もう1点あります。地球は、約1万年前まで寒冷な気候が続き、木の実や果物などが育ちにくくなりました(最後の氷期)。空気や海流の活動が低調になり、特に大陸の内部では乾燥が激しく、小麦の発見を契機に栽培を始めます。穀物栽培と定住集約は文明を形成しますが、かんがい施設の脆弱性と薪炭林利用による森林消失で砂漠化が進み、現在、温暖化しても回復が難しく食料と水の問題にさいなまれています。
 一方、日本列島には常に暖流が流れているため寒冷な気候の影響を受けず、比較的温暖な気候が続くとともに、先に述べた「水」に恵まれたことから、こうした問題は起きません。縄文銀座が形成されたことはうなずけることで、家族で暮らすには十分な基本条件をもっています。ただし、子どもを育てるには、常に住処を変えるリスクを減らし、より多くの食料を求める過程で稲作を始め、食料生産と集落形成を図ったものと考えますが、それはわずか二千年前のことでした。
 そう考えると、この地で本能的に生命力を感じ、今なお、多彩な「食」に恵まれているのは当然なのかも知れません。ただし、今、自然と共生する生活スタイルが崩れて、鳥獣被害が収まらず、集落・里山機能の低下が懸念されるなど、そういう意味での暮らしの持続性には予断を許さない状況です。

225-1-5

(3)水を考える

 “水”は生命、環境、産業その他、私たちが生きる上の全てに関わります。意外に感じるかも知れませんが、地球上の生命の全ては水から生まれ、人体では年齢とともに比率は変わりますが6割以上が水分です。水を見ると本能的に癒され元気になりませんか。この地では質が良い。例えば、山肌の白さが魅力の甲斐駒ヶ岳は、地下でマグマがゆっくり固まりできた花崗岩が100万年以上のときを経て隆起したもので年間3~4mm隆起していますが、この大きな山が雨雪を捉え、深い谷には原生的な天然性林が広がり、豊かな森と多様な生物が質の良い水を育んでいるのです。八ヶ岳南麓は70をも超える湧水に恵まれ、金峰山・瑞牆山源流域の渓谷美に心を奪われます。山々に囲まれるから晴天に恵まれ、日照時間は日本一。ライチョウなどの氷期の生物種をはじめ、国内でも貴重な動植物が残り、多様な生態系が存在する山・里・農の幸が豊富な特別な地は人間の力を回復します。
 北杜市では、これに基づき、平成27年5月19日に「世界に誇る『水の山』」を宣言しました。また、サントリー食品インターナショナル㈱、山梨酩醸㈱、金精軒製菓㈱とパートナー協定を締結し、北杜市の自然環境の価値を世界に広め、故郷のブランド化を通じて地域活性化を図るプロジェクトも開始しました。現在は、萌木の村、北杜市農業企業コンソーシアム(いずれも敬称略)とも締結するとともに、32の地元事業者にサポートしていただいています。活動は、地域の企業の取組や思いに感動・共感したことがきっかけです。どの企業・団体も愚直に環境保全活動に取組んでいます。のみならず、「サントリー南アルプスの天然水」は全国に地域の魅力を発信されていますし、名水を醸して300年の「七賢」や水を食べる「水信玄餅」は数々の評価を受けるとともに、地元産のお米や青大豆を活用するなど農業者と連携した地産地消を実現しています。更には、「水育」や「森の学校」、「ふれあい自然塾」など環境教育・体験活動にも熱心です。
 水を巡る自然環境を人類の貴重な財産として守り育て、その価値と魅力を伝えつづけることで意気投合したもので、コンセプトやロゴの設定は勿論、キャラクター「ミズクマ」の開発や、市産のストロベリーを使った「南アルプスの天然水かき氷」の販売(5月に道の駅南きよさとなど)、フォーラム、体験ツアー、マルシェ、ディキャンプ、映画祭を開催し、更には、コマーシャルを通じて、北杜市の自然環境でリピュアする楽しさを感じて欲しいと取組んでいるところです。消費者や市民がどんなところで楽しさを感じるのか、求めていることは何か。企業との連携なくして、とてもできるものではありません。

225-1-6

225-1-7

225-1-8
南アルプスの天然水かき氷(左上)・七賢(右上)・水信玄餅(下)

3 仲間になる ~北の杜フードバレープロジェクト~

 「安全・安心 日本の台所 北杜市」宣言を具現化するため、北杜市の農業や集落を支える集落営農組織や地域活動を行う市民団体、安心を支える有機・無農薬栽培に取組む農業者、更には、情報発信力や販売力を有する企業型農業生産法人、消費者と接する観光事業者や飲食事業者などが交流することで、多様で新鮮な農産物の共同出荷や、移住希望者へのこの地の魅力や暮らしに関するきめ細かな情報提供、更には、隙間をつなぐ新たな仕事を生み出して価値を高め、地域内の経済循環を形成して、持続的な地域にしていこうとする場を提案し、仲間づくりを始めます。皆さんひとかどの方々ですからどのようなコトやモノが生み出されるのか私にも分かりません。分かるようなら誰も苦労しないでしょう。
 消費者や市民のニーズという点では、最近、ふるさと回帰支援センターが発表した「2016年移住希望先ランキング」で山梨県が2年ぶりにトップに返り咲き、移住希望者向けのとある雑誌ランキングで北杜市は、若い世代の希望先第3位という高い評価をいただきました。ヨーロッパでは少し以前から始まっているのですが、日本においても20年ほど前には田園回帰の傾向が見られ、その頃は、「将来」という言葉があったと思いましたが、今は「若者が」、なんですね。4年前にこちらに引っ越すまで、乗客がうつむく(スマホなどを扱っているのですが)電車で、少しでも自然を感じようと遠くの空や山を見ていた私(ボーっとしたおじさんに見えたことでしょう)にとっては、都市部からの“避難”のようにも感じます。しかし一方、北杜市では年少・生産年齢人口とも減るのです。何かが歪んでいるように感じます。
 このことに既に30年前に気付き、都市・農村交流に取組んだ地域があります。観光農園、ワイナリー、企業型農業生産法人などが展開される明野地区ですが、かつては養蚕業の衰退で農地が荒廃し、地域の活力が失われていたことを懸念して諸先輩が取組んだ壮大なプロジェクトです。今では、㈱村上農園や㈱九州屋、カゴメ㈱と契約栽培する(有)アグリマインド、シダックス㈱の志太北杜ワイナリーなどが全国に向けた生産に取組んでいます。厳しい農業情勢の中で共同で営農を行う集落営農組織には、集落機能の維持も含めて大きな期待が寄せられています。有機・無農薬栽培に取組む新規就農者は北杜市農業のイメージリーダーともなって、この地の良さを伝えています。広大なひまわり畑や秋の田の稲穂のうねり、高原野菜が青々とし、牛がのんびり昼寝をする姿は訪れる人々を癒し、こだわりのシェフや料理人が認めた料理は、滞在する人々を満足させます。しかし一方、年少・生産年齢人口とも減るのです。何かが足りないように感じます。
 田舎暮らしを希望する子育て世代や若者が増えているのに、地域経済が厳しいという認識の下、農業、観光、飲食業、雇用、生活、教育が個々の経営や運営に追われ、それぞれの人財が有する貴重な情報やノウハウの交流から生み出される新たな産業創造にもつながらず、この地で生まれた若者が外へ出ざるを得ず、自然と人間の共生バランスが崩れる。この地にあこがれても、暮らしぶりや人々の交流に関するきめ細かな情報にアクセスできない。悲観的にすぎるでしょうか。

4 むすびに

 北の杜には、実に多彩な、一流の方々も活躍されています。私たちは、もっと色んな方々に繋がって欲しい、21世紀らしく、大胆な発想とスピード感をもって取組んで行きたいと考えています。
 この北杜市は、四季が織り成す姿が美しい日本にあって、特徴的で豊かな自然環境、首都圏や中京圏などとのアクセスの良さ、豊穣の土地、そして質の良い水といったここにしかない資源があります。無から有を生み出す「食」を巡り、ふんだんに活かして産物を生み、地域内で循環させて日々の糧を得ながら生きることができます。
 かつては、そうした人財を一人百姓といい、今なら百人十姓とでもいいましょうか、健康や家庭や集落をつくる市民、新しいものや発展を生み出す企業、サポートする行政それぞれが好奇心を働かせて様々な知恵を磨いて楽しみ、交流の中で変化を受け入れ、新たな技術と産業に挑戦して喜び、暮らしの糧を得て堂々と暮らしていく。この地で生まれ、親は子に伝え、子は孫へとつなげ、家族3代にわたって仲むつまじくいつまでも暮らしていく。北の杜にしかできない所為と考えています。