Vol.228-2 「働き方改革」について思うこと
公益財団法人 山梨総合研究所
理事長 新藤 久和
1.はじめに
一億総活躍社会の実現に向けて「働き方」改革が叫ばれている。国民一人ひとりが活躍できる社会が実現されることに反対する者はいないであろう。しかし、その実現に向けて叫ばれている「働き方」改革については、重要な視点が抜け落ちているように思われる。
筆者は、40年以上にわたって、品質管理の研究・普及に携わってきた。当初、統計的品質管理(SQC:Statistical Quality Control)といわれて製造業を中心に普及していった品質管理活動が、総合的品質管理(TQC:Total Quality Control)へと発展し、日本では日本的品質管理とか全社的品質管理(CWQC:Company Wide Quality Control)とも呼ばれるようになった。その後、総合的品質経営(TQM:Total Quality Management)と呼称されるようになって現在に至っている。
このような変遷の背後には、戦後米国から導入されたSQCが製造プロセスを意識していたのに対し、TQCはそうした品質管理の考え方を組織全体で実践することという違いがある。当然、日本でもTQCの理念を理解し実践することになるのであるが、そこには当時の品質管理の指導者たちの知恵と情熱があふれていたといってよいであろう。それ故にこそ、品質管理活動が戦後日本の復興に大いに貢献できたものと考えている。
本稿では、こうした品質管理の変遷から見たとき、いま叫ばれている「働き方改革」において欠落している重要な視点について指摘しておきたい。
2.品質管理の誕生と日本への導入
品質管理(QC:Quality Control)は、1920年代にベル研にいたW.A.シューハートが提案した管理図に始まるといわれている。これは、蒸気機関の利用によって大量生産が行われるようになり、生産効率を上げるために誕生した生産管理の科学的アプローチを品質の管理にも応用しようとしたものである。生産管理が、いわば生産の量的側面にスポットを当てた科学的管理法というならば、品質管理は、生産の質的側面にスポットを当てた科学的管理法ということができる。品質管理は、管理図に始まり、管理図に終わるといわれるように、管理図には、品質管理の重要な概念が凝縮されている。
戦後、日本の品質管理活動は、W.E.デミング博士の品質管理8日間コースなどの講習会によって、主に通信機器メーカーの技術者たちを対象に始められた。その理由は、GHQが戦後の統治政策を進めるために、日本各地の状況(食料や医薬品の不足情報など)を把握する必要があったが、通信機器に用いられていた真空管が切れて通信できなくなるというトラブルが頻発し、それを解決するには真空管の信頼性を向上させる必要があったからだといわれている。デミング博士は、その後も数次にわたって来日し、SQCについてのセミナーを行っている。
デミング賞は、デミング博士のこうした功績を顕彰するために1951年に創設され、品質管理を実践して効果を上げた企業に授与されている。
3.SQCからTQCへ
1950年代になって、A.V.ファイゲンバウムは、品質管理は製造部門だけでなく、組織全体で行うべきであるとして、各部門に品質管理の専門家を配置する総合的品質管理(TQC)を提唱した。また、1951年に発行された、J.M.ジュランのQuality Control Handbookなどにより、品質を重視する経営の考え方が浸透していった。
日本でも、SQCを勉強して製造部門中心に品質管理が行われていたが、TQCを学ぶことにより、組織全体で取り組む必要性が理解された。問題は、「組織全体で行う」という点にある。ファイゲンバウムのTQCでは、組織の各部門にQCの専門家を配置することにより行う活動をTQCだというのである。
契約社会である米国では、社員は経営者と自らのプロフェショナリズムに基づいて契約を取り交わして業務に従事しているのであるから、新たに必要な人材は契約を行って採用する必要がある。あるいは、新たな業務を付加するためには、契約を更改してさらなる給与を支給しなければならない。しかし、プロフェショナリズムを考慮すれば、まったく異なる業務を受け入れることは考えにくいことである。つまり、米国では、ファイゲンバウムのTQCを具現化するためには、やはりQCの専門家を雇って組織各部門に配置するのが自然だということになる。
4.TQCがCWQCになったわけ
「組織全体で行う」というTQCを日本で行うために、当時の品質管理の指導者たちは、日本に適合した形で実施する道を選んだ。すなわち、経営層から現場第一線の従業員に至るまで、それぞれの立場でTQCを勉強し、全員参加によるTQCすなわち全社的品質管理(CWQC)を推進したのである。契約社会でもなく、プロフェショナリズムよりゼネラリスト志向の強い日本においては、賢明な選択だったということができる。
かくして、TQCという用語を用いながら、日本では各部門に配置された専門家が行うのではなく、すべての構成員がそれぞれの立場で品質管理を行うという日本的品質管理を編み出したのである。1962年に始められたQCサークル活動は、日本で始められた小集団活動であるが、いまは、海外にも広まっている。そのほかにも、方針管理や機能別管理など、全社的品質管理として品質管理を推進し、日本で考え出された管理手法が効果を上げることにより、世界から注目されるようになっていった。
5.デミング賞からマルコム・ボルドリッジ賞へ
1980年代は、TQC(すなわち全社的品質管理)全盛の時代であり、製造業から建設業やサービス業まで広く普及浸透していった。景気低迷に喘いでいた米国は、日本に視察団を派遣し、日本の全社的品質管理を学ぶとともに、デミング賞の果たしている役割の重要性に着目し、当時商務長官を務めていた、マルコム・ボルドリッジに因んだマルコム・ボルドリッジ賞を1988年に国家品質賞として創設し、全米で品質管理を推進することになった。
こうした動きは、全米各州に波及し、州ごとに品質賞が設けられるとともに、ヨーロッパにも影響を及ぼし、ヨーロッパ品質賞も創設されることになった。さらに、日本にも逆輸入される形で、日本経営品質賞が制定され、経営品質の向上を促進することに貢献している。
6.プロフェショナリズムとゼネラリスト志向
ここまで、SQCからTQCへの移行において、「全社的に行う」という考えが、米国と日本では異なるスタイルで具現化されたことをみてきた。簡単に言うと、両国における「働き方」が異なるからだといえるであろう。こうした違いがどこから来るか、TQMの権威である狩野紀昭東京理科大学名誉教授は狩猟民族と農耕民族になぞらえて次のように説明している:狩猟民族は、獲物を求めて移動するため、定住することがない。また、獲物を捕らえるためには、石を遠くまで投げて当てられる能力、槍を急所に突き刺す能力、捕らえた獲物を解体する能力、調理をする能力など、異なる能力をもつ人材が協力して活動する必要がある。つまり、各自がプロフェショナルとしてそれぞれの能力を発揮することが求められる。これに対して、農耕民族は、農地から離れることができないため、定住して生活することになる。しかも、田植えの時期には一斉に田植えをしないとならないため、みんなが助け合って田植えを済ませなければならない。また、収穫の時期にも一斉に稲刈りをしなければならないから、協力は不可欠となる。さらに、通常、収穫は年に一回であるから、災害等で収穫できない場合に備えて、常に貯えをしておく必要がある。
こうした民族の違いは理屈ではなく、長い人類の歴史の中で自然に脳に刷り込まれた特性であり、それぞれの特性に基づいて構築された社会の基盤となっている。「働き方」は「仕事のやり方」であり、まさに民族固有の価値観や歴史・文化などさまざまな要素と関連して営まれている。したがって、これを無視して改革を行うことはできないと考えるべきであろう。
7.日本の労働生産性の低さ
「働き方」改革では、日本の労働生産性の低さが問題にされる。先進7か国で最低だということである。その原因として、意思決定の遅さが指摘されることが多い。たしかに、意思決定に際して、すり合わせや根回しを行い、組織内部の共通認識を得られるよう時間をかけて調整するのが普通である。しかし、それ故に、いったん意思決定がなされ、実施段階に入ると円滑に事が進むことになるのである。
日本でも、組織は階層型であり、それぞれの階層に管理・監督者が配置される。当然、管理・監督者には果たすべき責任や権限が与えられているはずであるが、そうした責任や権限を意識して行動するより、上下のすり合わせや調整によって仕事を進めるタイプの管理・監督者が多い。それが、日本的な仕事のやり方である。
また、プロフェショナリズムでないこともあって、日本企業では定期的な人事異動が行われている。これにより、必要な業務経験や知識を学ぶことを通して、人材育成が行われている。もちろん、言うまでもないが、ゼネラリストとしての人材である。
8.おわりに
「働き方改革」について、長時間労働をなくすとか残業を減らすといった議論がなされている。しかし、「働き方」「仕事のやり方」は、それぞれの国や民族によって、長い歴史の中で培われてきた価値観や歴史・文化などに関連して規定されてきているのであって、単なる労働時間などの量的な議論で済むものではない。
かつて、SQCからTQCへ移行する時期に、日本は米国におけるTQCをそのまま導入するのではなく、日本に適合する工夫をして成果をあげることに成功した。こうした経験に鑑み、将来を見据えて、仕事のやり方、意思決定のメカニズム、さらには、効率的な業務処理のイノベーションなど抜本的な議論をする必要があると思われる。その際、契約に対する考え方、プロフェショナリズムとゼネラリスト志向など、彼我の違いにも目を向けて実りある議論がなされることを期待したい。