Vol.231-1 縁 紅葉山御養蚕所


山梨科学アカデミー理事(農学博士)
眞浦 正徳

1.はじめに

 平成15年からです、当時の甲府第一本店社長笠井清寿氏からバトンを受け継いで、年に一度、紅葉山御養蚕所にお邪魔し、第一本店が納めた毛羽取機のメンテナンスをさせていただいています。それまで、皇室との縁などあるはずもない私が、光栄なことに以降毎年わずか1日ではありますが皇居へ参内し、皇后陛下が使われる毛羽取機のメンテナンスというご奉仕ができるのには、幸運の重なりがあってのことで、つくづく縁というものを感じています。このことは、私にとってとても光栄なことなのですが、山梨県で開発された機械が皇居の伝統行事で使われていること、そのメンテナンスを山梨県の人間が担当させていただいていることは山梨県の誇りでもあります。
 皇居で皇后さまが養蚕をなさっておられることもご存知の方が少ないのではと思いますので、ご紹介したいと思います。

2.紅葉山御養蚕所

 東京駅の丸の内口を出て西へまっすぐ進むと皇居が見えてきます。和田倉門跡を過ぎ、右に桔梗門を見ながら堀に沿ってさらに西へ進むと坂下門(写真1)。ここをくぐると宮内庁の庁舎があり、その裏手の小高い森が紅葉山です。ここまでくると、東京駅周辺の喧騒はいつのまにか消えた別世界になります。また大きな樹々がたくさんあるので、空気もこころなしかひんやりしています。紅葉山御養蚕所は紅葉山の中央でおおきな樹に囲まれるようにしてひっそりとたたずんでいる和風の建物です。
 毎年いわゆる春蚕(しゅんさん、または、はるご)を皇后陛下自らここで飼育されるのですが、その量は蚕種にして約60g、蚕の頭数にして12万頭ですから、今日では結構大規模な養蚕農家並みです。

(写真1)坂下門

3.「小石丸」

 紅葉山御養蚕所では、普通品種(交雑種)のほかに「小石丸」という俵形の繭をつくる原産種の飼育も行っています。「小石丸」というのは、蚕の品種名、しかも原産種(日本種)の名前です。原産種には日本古来の品種である日本種、中国大陸古来の中国種、ヨーロッパを源にする欧州種などがあり、明治時代までは一般農家で飼育されていました。大正時代になってから一般の農家では、これらを掛け合わせた交雑種の蚕を飼育しています。原種に比べて幼虫が丈夫で、作る繭は大きく、生糸がたくさんとれるからです。紅葉山御養蚕所であえて能率の低い「小石丸」を飼育しているのは、皇后陛下が、養蚕の伝統を守りたいと仰せられたためとのことです。そして、この「小石丸」の糸がのちに、正倉院御物の復元や修繕に大きな役割を果たすことになったそうです。そのあたりの詳しいいきさつは、「皇后さまとご養蚕」(扶桑社2016)に譲りたいと思います。

4.繭毛羽

 これを養蚕の分野では単に毛羽と呼んでいます。毛羽というのは、蚕が空中に浮くかたちで繭をつくるに先立って、足場となる糸を周囲5センチ四方の壁をたよりに吐いたものです。この毛羽は繭から繰糸(そうし=いとくり)をする際、特に機械繰糸では邪魔者で生糸としての品質も良くありませんから、あらかじめ取り除く必要があります。そこで使われるのが毛羽取機です。

(写真2)繭毛羽

5.毛羽取機

 毛羽取機は繭の周囲にある毛羽を取り除く機械で、繭が硬くて丈夫な普通品種つまり一般に養蚕農家が飼育する蚕がつくる繭であれば、後に述べる全自動収繭毛羽取機などで能率的な毛羽取り作業ができるのですが、「小石丸」という原蚕種は繭が小粒で繭層が薄く、全自動収繭毛羽取機などの毛羽取機にかけると、つぶれたり機械に巻き込まれたりするため、この機械では毛羽取りができません。そこで「小石丸」の繭に限っては、古くからある動力毛羽取機で手を添えながら毛羽取り作業を行わなければならないのです。

(写真3)皇后様の毛羽取り

6.毛羽取機の開発研究

 甲府第一本店の笠井社長と知り合ったのは、昭和50年頃。山梨県蚕業試験場に勤務して4年目の頃です。それまでの動力毛羽取機に改良を加えて、全自動収繭毛羽取機の開発という共同研究を担当したときのことです。今では民間企業と公的研究機関との共同研究は当たり前に行われていますが、当時はなかなかそういう研究が許される環境ではありませんでしたから画期的なことでした。その甲斐あって、開発した全自動収繭毛羽取機は山梨県発明協会から発明賞をいただいたものです。この共同研究は当初、私の先輩研究員が担当する予定だったのですが、先輩が人事異動で栄転したため急きょ後輩の私が担当することになりました。

7.毛羽取機の調整

 おそらく笠井社長が昭和40年頃、昭和天皇の時代に紅葉山御養蚕所に奉納されたものと思いますが、その当時はこれが最新式の毛羽取機で、従前、ゴムベルトを手回ししていたものを、モーターで動かせるようにしたのですから、画期的な開発製品であったことは間違いありません。奉納されてから30年以上、社長みずから、毎年メンテナンスに出向かれていましたが、冒頭に述べたとおり、平成13年頃から私が同行するようになり、同15年からは小職一人で参内するようになったのです。以来今日まで毎年5月末の1日、動力毛羽取機2台のメンテナンスをさせていただいております。
 一昨年の秋、紅葉山御養蚕所の100周年を祝う会が天皇皇后両陛下ご臨席のもと吹上御所で開かれ、紅葉山御養蚕所にかかわる多くの人々の一人として私もお招きをいただき、皇后陛下からお声をかけていただきました。皇后さまは回転まぶしにご興味をお持ちのようでしたので、これも山梨県の人間が発明したものである旨、ご説明させていただきました。


参考文献:1.「皇后さまとご養蚕」(2016) 扶桑社
写真3提供:宮内庁