Vol.232-2 デザイン思考による地域課題解決
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 小林 雄樹
1.はじめに
IoTやビッグデータ、AI、ロボット、シェアリングエコノミーに代表される第4次産業革命の進展や、新興国企業の追随等により、わが国経済を牽引してきた“ものづくり”の比較優位性が揺るがされ始めてきている。また、社会構造が複雑化し、利用者のニーズが多様化してきているなか、日本企業は、技術主導による事業創造の限界を感じ、新たな取り組みを模索し始めている。
公共部門においても、人口減少問題やそれに伴う少子・高齢化、地方創生、社会保障問題、環境問題、ワークライフバランスなどといった複雑多様化する社会課題に直面しており、伝統的な行政手法のみでは限界が見えはじめてきている。
こうしたなか、論理的思考だけでなく、デザインの「人の情動に訴えかける力」を原点とするデザイン思考(デザインシンキング)による課題の解決が注目されている。対象分野の担当者や関係者だけでなく、他分野、他業種・他職種の多様な人々の協働により、共感を得るヒントを見つけ、解決のアイデアを想起し、アイデアからプロトタイプを作り、試行・検証を繰り返して本物の解決策を見出すことが、デザイン思考の手法である。
近年、企業活動においては、デザイン思考の手法を取り入れ、イノベーションの誘発や問題解決の手段としての活用が増え始めてきており、その結果、商品やサービス等の価値を発見し、利用者に適切に価値が伝わることで、商品・サービス購入の理由付けとなっている事例も見受けられる。
一方、公共部門においては、国の計画や先進地域において、デザイン思考を活用した取り組みが見られるようになり、今後、広がりを見せる可能性がある。
本稿では、特に、地域の公共部門に焦点をあて、デザイン思考の手法を公共サービスや地域課題の解決に取り入れている事例をもとに、デザイン思考による地域課題解決手法の可能性について考察する。
2.デザイン思考とは
デザイン思考は、アップル社のマウスなどをデザインしたアメリカ企業IDEO社を中心に提唱されている利用者の真の課題を解決するためのイノベーション手法である。デザイン思考で対象とする「デザイン」は、商品やパッケージの装飾のような狭義の「デザイン」ではなく、サービス、新事業、戦略などの領域を含めた広義の「デザイン」である。様々な関係者が協働しながら、利用者でさえ把握していない真の課題を見つけ出し、試行錯誤によるアイデアのブラッシュアップをすることでイノベーションへと至る。また、デザイン思考では、論理的には導き出せないストーリーやアイデアと、具体化しながらの試行錯誤を重視している。
公共部門においては、現状の制度や手続から考えるのではなく、住民、企業、行政職員など、各々の利用者の立場で解決すべき課題や必要なサービスを特定し、それを実現するための制度改正や業務改革を考え、それにより、利用者が必要とするサービス、利用者の使い勝手が良いサービスの実現を目指す取り組みと言えよう。
デザイン思考の5つのステップ
デザイン思考では、以下の5つのステップを繰り返し、解決策を洗練させていく。
(図表1)デザイン思考の5つのステップ
Step1 Empathize:共感
人々の気持ちに共感することで、彼らが本当に求めているものは何かを明らかにする。共感するために以下を行う。
- 観察する:利用者と、彼らの生活環境における振る舞いを観察する
- 関わる:利用者と交流・インタビューをする
- 没頭する:利用者が体験することを自分でも体験する
Step2 Define:問題定義
人々の欲求が満たされていない現状を明らかにし、どのような状態を目指すべきかを定める。
Step3 Ideate:創造
理想の状態にたどりつくことを支援する多様なアイデアをできる限り多く洗い出す。いわゆる、ブレーンストーミングを実施しながら、質より量を重視し、評価は後回しにする。
Step4 Prototype:プロトタイプ(試作)
頭の中で発想したアイデアを実際に目に見え、触れられる形にすることで、実現の可能性を探り、さらにアイデアを得るきっかけにする。ポストイット、ロールプレイング、空間や物など、触れられる形であれば、どのような形態でもよい。プロトタイプに触れながら発想を拡散・収束していくことが重要であるため、多くの異なる可能性を確認できるように、ラフで手軽な手段で、まずは作ってみることが重要である。
Step5 Test:テスト(検証)
解決策を洗練し、よりよいものにするための機会とする。テスト段階は、利用者が生活している適切な文脈の中で、未完成の解決策を評価する。プロトタイプ段階とは異なる実践の場の繰り返し作業である。プロトタイプ段階では、解決策の良い点に焦点を合わせて行動するが、この段階では解決策に改善の余地がないか考えながら検証する。
デザイン思考では、常に利用者視点に立った課題解決を行い、人々が本当に望むものを提供すること、つまり、人間を物語の中心にすることが一番重要なポイントとなる。
3.公共部門にデザイン思考が求められる背景
(1)国の動向
政府は、2017年5月に閣議決定した「官民データ活用推進基本法」に基づく「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」において、サービスデザイン思考[1]に基づく業務改革(BPR)の推進を決定した。
計画では、「社会環境の変化や技術進展が急速に進む中、行政サービスの維持・向上や持続的な経済成長を実現するため、利用者目線に立って、サービスのフロント部分だけでなく、行政内部も含めて業務・サービスを再構成する業務改革(BPR)が必要」としており、「サービスデザイン思考を取り入れつつ、2017年内を目途にサービス改革の重点分野を設定し、取組内容、スケジュール等を具体化」することとしている。行政内部の業務改革にあたっては、テレワークなどのリモートアクセス環境の整備や会議におけるタブレットの活用など、業務のデジタル化・ペーパレス化を推進し、生産性の向上や多様なワークスタイルを実現することにより、国民と職員双方の負担を軽減しつつ、利用者中心の行政サービスを目指すこととしている。
この計画は、各地方自治体にも策定を求めており、2017年10月には、効率的に計画策定に取り組めるよう、「官民データ活用推進計画策定の手引」が示された。これを契機に、電子政府や業務改革に限らず、地方自治体にも幅広くデザイン思考が広がっていく可能性がある。
(2)公共部門がおかれた状況
わが国は、主要先進国の中でも、高齢化率とその上昇スピードが高水準にあり、人口構造も急速に変化している。こうした変化に伴い、経済の再生と財政健全化の一体的な実現や社会福祉の充実等様々な社会的課題への対応が求められている。また、多様化する住民ニーズへのきめ細やかな対応がこれまで以上に求められるなか、住民生活において求められるものを的確に把握することがより重要となってきている。
一方で、厳しい財政状況のなか、行財政改革が進められており、職員数の削減にも取り組んでいる。地方自治体について見てみると、職員数は、1994年をピークに、1995年から22年連続で減少しており、特に、一般行政部門においては、1994年から2016年にかけて2割以上職員数が削減された。複雑多様化する地域社会からの需要が高まる一方で、より少ない資源(人員・予算等)で、より多くのものを(しかもより良く、より早く)提供することが求められている。
(図表2)地方自治体の1994年からの部門別職員数の推移(1994年を100とした場合の指数)
出所:総務省「平成28年地方公共団体定員管理調査結果の概要」
4.地域における取り組み
各地域において、デザイン思考を活用した取り組みが始まっている。
(1)事例1 市民協働プロジェクト(愛知県長久手市)
名古屋市の東側に隣接する愛知県長久手市は、人口約5万7千人、市民の平均年齢は、39.5歳のいわゆるベッドタウンである。市長を中心に、デザイン思考に必要な仕組みをつくりながら、住民とともに市の課題解決に取り組む姿勢が確立されつつある。
デザイン思考の取り組み
ある時、市の住宅地付近の雑木林にガイガラムシという害虫が大量発生した。こうしたケースでは、住民からの通報を受け、市役所の職員は殺虫剤を持って現場に向かい、害虫を駆除するのが一般的な対応であると思われるが、長久手市役所の場合、そうした方法はとらなかった。
長久手市役所は、まず、専門家に依頼し、大量発生の原因を究明した。その結果、ガイガラムシの大量発生はその数年前に別の害虫を駆除する際に使用した殺虫剤によって、ガイガラムシの天敵であるコバエを死滅させたことが原因であることが判明した。今回も同じように殺虫剤で駆除してしまうと、さらに生態系が崩れ、別の害虫の大量発生を招く危険性があるため、大量発生を防ぐには雑木林を伐採するしかないと結論づけられた。その後、住民と市役所職員は話し合いを重ね、かつての雑木林の生態系を取り戻そうという考えになり、住民と市役所は協働して対策にあたるようになった。
(図表3)住民プロジェクト「絆」
長久手市では地域の課題を地域の方々と一緒になって解決していく住民プロジェクト「絆」を推進している。
長久手市長は、苦情がきたらすぐに排他的論理で対応することに疑問を持ち、市役所の体質改善を進めるために、デザイン思考の手法によって解決を目指す体制を整えた。その方針によって生まれたのが、一人ひとりに役割と居場所がある(=立つ瀬がある)まちを目指してできた「たつせがある課」である。また、小学校区毎に、地域課題を話し合う拠点としての機能を持つ「地域共生ステーション」を整備し、市民、市民団体、事業者、行政などが、それぞれの地域で気軽に集い、語らい、地域の様々な課題に取り組み、その解決策に予算をつけていくという方針を打ち出した。これにより、「共感」、「問題定義」、「創造」、「試作」、「検証」のプロセスを繰り返しやすい環境をつくり、地域活性化を図ることを目指している。
課題に対する局所的な解決策は、短期的な効果は見込めるものの、問題を先送りしただけなってしまう場合もある。真の課題を導きだし、住民を交えた話し合いで解決策を決める体制をつくることによって、住民や市役所職員がまちに愛着を持つようになり、問題に対処できる体質へ変化してきていることは、市役所、市民の双方にとって、大きな財産ではないだろうか。
(図表4)市民協働プロジェクトの様子出所:長久手市ホームページ
(2)事例2 市民参加によるまちづくり 「ちばレポ」(千葉市)
千葉市では、利用者視点に立つというデザイン思考の特徴を活かし、市民の利便性を向上しながら、行政の効率化を進める取り組み「ちばレポ」に取り組んでいる。
道路が傷んでいる、公園の遊具が壊れているといった市内で起きている様々な課題を、ICT(情報通信技術)を使って、市民がレポートすることで、市民と市役所(行政)、市民と市民の間で課題を共有し、合理的、効率的に解決することを目指す取り組みである。
ここにレポートされる「地域での課題」は、市役所やその他の専門的な機関でなければ解決することのできない課題もあれば、市民や地域で活動する団体が自ら解決できる課題、あるいは市民と市役所が協力することで解決できる課題など、それぞれの課題に応じた効率的な解決方法がある。
千葉市では、市民が主体となって自らのまちをより住みよく、ずっと住み続けたくなるまちに変えていくことを目指している。そのためには、「地域での課題」を市民間で共有し、共通の課題として認識し、そのうえで最適な課題解決へつなげていく取り組みが必要であると考えている。さらに、「ちばレポ」には、課題の発見、課題の解決に参加するだけでなく、市民と市役所(行政)、市民と市民が力を合わせ、まちをつくり上げていくための情報共有の仕組みとして、市民へ提供するねらいもある。
(図表5)ちばレポ(スマートフォンアプリ画面)
(3)事例3 登山情報の可視化 「富士山チャレンジ」プロジェクト
世界文化遺産「富士山」においても、デザイン思考を活用した取り組みが進められている。
富士山登山者の安全を確保するために立ち上がった、「富士山チャレンジ」プロジェクトである。きっかけは2014年の御嶽山の噴火災害だった。登山者の安全を守り、登山者の家族や関係者の不安をなくしたい。そんな思いから始まり、企業や団体、公的研究機関などが連携して取り組むプロジェクトである。
「富士山チャレンジ」では、近距離無線通信「Bluetooth」を使った小型発信機「ビーコン」を登山者に身につけてもらい、山小屋など登山道沿いに設置した受信端末で通過情報を測定し、登山者数や通過に要した時間、登山経路などを把握、受信したデータはサーバーに送信され、登山者や関係者などの登録したメールアドレスへ登山道の混雑状況や位置情報、山頂到着予想時刻などの情報を即時に提供する仕組みである。
(図表6)富士山チャレンジで何ができるか?
出所:「富士山チャレンジ実証実験2017山梨県報告資料」富士山チャレンジ事務局
当初、数人で始まったプロジェクトは3年目の今年、30もの企業や団体、研究機関が参加し、2,368人の登山者を対象に実証実験を実施するまでに拡大した。「安全安心で、皆が楽しめる登山環境を創る!!」という理念に「共感」する人々が集まり、富士山登山の安全確保や防災・救命・救助、観光、環境保全等の課題を共有したうえで、連携して解決策を想起し、それぞれが、資金や機材、技術、知見、人脈などを持ち寄り、2015~17年の3年間で、4つの登山道における実証実験を行った。
今後は、実証実験から浮き彫りになった課題を整理したうえで、データ整備やデータのオープン化を行う「実装フェーズ」につなげ、2020年からの「実現フェーズ」で関係機関との防災連携を目指している。
プロジェクトからは、ドローンによる上空からのビーコン検知(登山者の見守り)や精密な登山道三次元地形図の作成といった新たな試みも数多く生まれている。
プロジェクトの目標には、富士山に登るすべての人へのビーコンを活用した安全、安心な仕組みの提供を掲げる。さらに先の目標には、他の山や国立公園、海外への展開も掲げている。
(図表7)富士山チャレンジ プラットフォーム「実現」イメージ(‘20~)
出所:「富士山チャレンジ実証実験2017山梨県報告資料」富士山チャレンジ事務局
5.おわりに
利用者視点を重視し、業務プロセスを抜本的に見直すデザイン思考は、地域課題の解決に役立つものとして関心が高まっている。人口減少や少子・高齢化、地域振興等の諸課題に取り組む地域にとっては、魅力的な手法である。
一方で、国は、「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」において、サービスデザイン思考に基づく業務改革(BPR)を推進するうえで、「行政内部も含めて業務・サービスを再構成する業務改革が必要」としている。また、Service Design Network 日本支部が公表している資料では、「デザイン思考を一過性のものに終わらせず、より根付かせていくためには、行政組織全体への浸透が求められる」としている。一部の地域においては、デザイン思考を活用した取り組みが既に始まっているが、今後、取り組みを進めようとする多くの地域においては、まずは、組織の変革と人材育成が必要ということではないだろうか。
長久手市では、市長が舵取り役になり、職員の意識を変え、デザイン思考の手法によって解決を目指す組織体制を整えようとしている。また、長久手市や千葉市の取り組みは、協働の取り組みをとおして、市民、市役所職員双方のまちへの愛着の向上も目指している。「富士山チャレンジ」プロジェクトは、民間主導の取り組みであるが、行政組織も加わり、職員も触発されながら、組織を超えた連携で地域課題の解決と事業化に向けて取り組んでいる。
先日、OECD(経済協力開発機構)は、2015年に実施した「国際学習到達度調査(PISA)」の結果を公表した。調査のうち、他者と協働で課題を解決する力を測る「協同問題解決能力調査」の結果を見ると、日本の平均得点は、参加した52カ国・地域のうち2位であった。また、学校現場においても、総合学習などで問題解決能力を育む課題探求型の学習が進められている。
こうしたことなどからも、日本の地域において、協働で取り組むデザイン思考の浸透の可能性は高いのではないだろうか。さらに、山梨県に目を向けると、古くから“無尽”の文化が根付いており、日頃の交流から、助け合い・支えあいや協働の精神が育まれてきた地域であるため、デザイン思考浸透の素地を有する地域の可能性がある。
外部環境の変化がますます速まるなかでは、一旦創り上げたサービスや制度は劣化の進行も速いため、利用者が抱く期待とのズレが再び発生してしまう可能性がある。つまり、サービス提供後も継続的に問題定義、仮説立案、試行・検証、改善を繰り返し、その都度、最適なサービスに見直していく必要がある。
各地域には、デザイン思考を活用した取り組みのための基盤づくりが期待される。
[1] デザイン思考をより具体的にビジネスに落とし込むプロセス。サービスを利用する際の利用者の一連の行動に着目し、利用者がその手続を利用しようとした背景や、手続を利用するに至るまでの過程、利用後の行動までを一連の流れとして捉え、利用者の心理や行動等を含めた体験(UX:ユーザーエクスペリエンス)全体を最良とすることを目標にしてサービス全体を設計する考え方のこと。
〈参考・引用資料〉
- 「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」首相官邸
- 「都道府県官民データ活用推進計画策定の手引」、「市町村官民データ活用推進計画策定の手引」官民データ活用推進基本計画実行委員会、地方の官民データ活用推進計画に関する委員会
- 「平成28年地方公共団体定員管理調査結果の概要」総務省
- 「デザイン思考家が知っておくべき39のメソッド」スタンフォード大学ハッソ・プラットナー・デザイン研究所、一般社団法人デザイン思考研究所[編集]
- 長久手市、千葉市ホームページ、「富士山チャレンジ」Facebookサイト
- 「富士山チャレンジ実証実験2017山梨県報告資料」富士山チャレンジ事務局
- 「SERVICE DESIGN IMPACT REPORT: PUBLIC SECTOR」Service Design Network 日本支部
- 「第4次産業革命におけるデザイン等のクリエイティブの重要性及び具体的な施策検討に係る調査研究報告書」経済産業省