まち・ひと・しごとについて考える
毎日新聞No.504 【平成29年12月22日発行】
インスタ映えなどという知らない者にとっては何のことか見当もつかないことばが氾濫する昨今、平成26年に施行された「まち・ひと・しごと創生法」はひらがなで表されている。気になるのは、なぜひらがななのか、この順番はどのようにして決められたのかである。
「ひと」「しごと」はともかく「まち」に対応する漢字には「町」と「街」がある。「漢字の語源」(角川書店)によると前者は「田の間の道から、現在わが国で通用している家屋間の道、すなわち『まち』の意味に使われるようになった」とある。また、後者は「ひとつ所から分かれる」の意であるが、別に「交道なり」とあるのに従えば「交」の意であるとして、今は「交会(まじわりあう)」の意に見ておくとしている。たしかに、商店街、住宅街としてつかわれている。
そうすると、「まち」には「田」が不可欠であり、区画があって人々が住まい行き交うところということになる。人口減少により消滅が危惧される「まち」にとっては、優遇制度を設けて移住を促進し、人口減少に歯止めをかけたいところであるが、「田」との関係、「住まい行き交う」ところであることを忘れてはならないと思う。
この三つの言葉の順番が気になるのは、思考プロセスに影響するという思いが強いからである。1~10までの合計を、順番に足し算をしていって求めるやり方ではガウスの公式は導けない。順番を変えて、(1+10)+(2+9)+・・・+(5+6)=55と計算するのがガウスの公式となる。
そこで、「まち」「ひと」「しごと」の順番が気になるのであるが、よくよく考えてみると、これは順番の問題ではないことに気づく。「ひと」がいなければ問題にならないからだ。ガウスの計算法にしても、実は1~10までの全体を見据え、それら要素の関係に着目したからこそ得られたのである。
これは、「まち・ひと・しごと」を考えるには、「まち」「ひと」「しごと」のそれぞれとともに、それら相互の関係も含めて全体を考えなければいけないことを示唆している。
(山梨総合研究所 理事長 新藤 久和)